稲荷山初詣

 

稲荷山 多くの年を 越えにけり 祈るしるしの 杉をたのみて  (蜻蛉日記) 右大将道綱母(うだいしょうみちつなのはは)

 

Pちゃんズ、今年もご利益を頂きに稲荷山初詣(お山めぐり)・・・

稲荷山(お山めぐり)

稲荷山は、東山三十六峰の最南端に位置し伏見稲荷大社の背後に聳える円錐形の優美な霊峰として親しまれています。海抜:232mで山頂に一ノ峰(上之社)、二ノ峰(中之社)、三ノ峰(下之社)の三つの峠(峰)からなり神の降臨地として崇められています。初めは、一ノ峰に上之社、二ノ峰に中之社があって山麓に下之社があり「三つの御社:みやしろ」と称しました。今のように山麓に合祀されたのは室町時代になってからと伝えます。それまでは、稲荷詣と言えば山頂(一ノ峰(上之社)まで登らなければなりませんでした。清少納言も「枕草子」に大変に苦しい思いをした・・・と記しています。特に二月の午の日は稲荷神が稲荷山に降臨された日にあたると伝えそれに因んで神徳を仰ぎ讃える為に多くの人々が参拝します。これを「初午詣」と言い、この日稲荷山の杉の苗を抜いて持ち帰り家の庭に植える慣わしがあり、もしその木が根付けば願い事が成り枯れると成らぬと言われます。これを「験の杉:しるしのすぎ」と言います。今は、山麓の稲荷大社の社務所で「験の杉:しるしのすぎ」が授与されるので初午の日にわざわざ山頂まで登る労は、なくなりました。先記したように稲荷大社本殿の背後にある稲荷山参道口から鳥居のトンネルを歩き一ノ峰(上之社)へ参拝する事を「お山めぐり」と言い正式には四つ辻〜一ノ峰(上之社)、二ノ峰(中之社)、三ノ峰(下之社)を時計周りで参拝します。・・・稲荷山は神の降臨地として崇められる霊峰で小社が山頂付近まで点在し、幻想的な雰囲気をかもし出しています。

お陰様で・・・祝!Oちゃんの成人式!! (^_^)v
お陰様でOちゃんが、めでたく成人式を迎える事となりました。。。 <m(_ _)m>
金札宮(恵比寿/商売繁盛の神)

縁起には「伏見久米の里の白菊の翁という老人が、毎年秋になると白菊に水をやり育てていました。ある年、干ばつが続き稲が枯れかかった時、翁が白菊の露を注ぐとたちまちそこから清水が湧き出た。」と伝わります。この翁が天太玉命(あめのふとだま:白菊明神)で天平勝宝2年(750年)に創立し清和天皇の御代、橘良基によって阿波国(徳島県)より勧請したと云われ社格は、旧村社で伏見における最古の神社の1つで祭神は、天太玉命です。清和天皇が、金札に白菊大明神と記し社内に奉納された事から金札宮と号するに至ったと伝えます。

金札宮 天然記念物「クロガネモチ/伏見区民の木」 拝殿、本殿
大黒寺(大黒天/開運・出世の神)

大黒寺の創建は不明ですが真如法親王の開基による名刹で当初は円通山長福寺と号しました。江戸時代の元和元年(1615年)、薩摩藩主・島津義弘が伏見奉行・山口駿河守に懇請し薩摩藩の祈祷所となりました。本尊は五穀豊穣の神で出世開運を授けると云われる大変にありがたい大黒天です。寺田屋事件の薩摩九烈士、家老・平田靭負(ゆきえ)の墓所があります。

大黒寺 平田靱負(ゆきえ)顕彰碑と伏見義民遺髪塔 本堂
藤森神社(勝運の神)

神社の創建は平安遷都以前に遡り、神功皇后が三韓征伐より凱旋後、この地に纛旗(とうき)と兵器を埋納した事が起こりと伝わります。早良(さわら)親王は天応元年(781年)、蒙古追討にあたり当社に詣で戦勝祈願されたと伝わり、係る伝承などから祭神は神功皇后を初め、武内宿禰(すくね)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)、別雷(わけいかづち)神、日本武尊(やまとたけるのみこと)、応神天皇、仁徳天皇、天武天皇、舎人親王、井上内親王、早良(さわら)親王、伊予親王と12柱に及ぶ神々を奉祀しています。祭神の中には怨霊と恐れられた井上内親王、早良親王、伊予親王などの名もあり駈馬、相撲、騎射、猿楽などは御霊会において怨霊を鎮める行事だと伝わります。藤森神社としての社名は室町時代以後で、「真幡寸神社」、「藤尾社」、「塚本社」など諸社を合祀して藤森神社とされました。

秘仏の大黒天、不動明王、毘沙門天を安置 藤森神社南参道 拝殿
伏見名水「不二の水井」 旗塚(いちの木さん) 八福神? σ(^◇^;) 
本殿 京都歩兵連隊跡 旧16師団本部司令部庁舎跡(聖母学院)
楼門(重要文化財:桃山期)

天正17年(1589年)、豊臣秀吉の造営とされています。秀吉の母・大政所の病悩平癒祈願が成就すれば一万石奉加すると記した「大病平癒の願文」が伝来し神社の楼門規模としては最も大きいものに属します。昭和49年(1974年)12月14日に解体修理されました。

伏見稲荷大社表参道 Pちゃんズの愛車のキララ、ラッキー2号 楼門
本殿(重要文化財:室町期)

応仁2年(1468年)、応仁の乱により、境内の殿舎堂塔の全てが焼亡し、やがて仮殿の復興があったようですが、その後諸国へ勧進が行われ明応8年(1499年)に再建されました。社殿建築としては大型に属し、装飾、特に「懸魚」の金覆輪や「垂木鼻」の飾金具、前拝に付けられた「蟇股」等の意匠に安土桃山時代の気風、豪放にして優華な趣があります。

拝殿 本殿 稲荷山参道へテチテチ
千本鳥居は義経千本桜「鳥居前」の舞台

歌舞伎演目で特に人気の高い「義経千本桜」二段の口「鳥居前」の鳥居とは稲荷大社の千本鳥居を指しています。主役は義経ではなく滅び行く平家の武将達を描いています。義経が静に形見として「初音の鼓」を与えた後、静を助ける佐藤忠信が登場しますが実は狐が忠信に変化していました。狐(忠信)は鼓の皮に使われた狐の子である事を明かし親を慕う子の心を思った義経は狐に初音の鼓を与えました。

刀が欲しい?!σ(^◇^;) おいおい お山詣に出発 千本鳥居
命婦社(みょうぶしゃ:奥の院奉拝所)、おもかる石

命婦社(みょうぶしゃ:奥の院奉拝所)・・・本殿の東方、千本鳥居を抜けたお山への上り口、通称「命婦谷」にあり一に「奥の院」の名で知られています。この奥の院奉拝所はお山を遥拝する所で、稲荷山三ケ峰は、この社殿の背後に位置しています。参道は左右二本あってその両側には鳥居が林立し、あたかもトンネルの有様で「千本鳥居」と称され稲荷大社の名勝となっています。おもかる石・・・灯篭の前で願い事の成就可否を念じて石灯篭の空輪(頭)を持ち上げ、そのときに感じる重さが、自分が予想していたよりも軽ければ願い事が叶い、重ければ叶い難しとする一種の神占石です。

千本鳥居 奥社奉拝所(命婦社) おもかる石
膝松さん(根上りの松)

枯れた松の根で左右2股になっていてこの木股をくぐると神経痛、腰痛、肩コリなどが治ると言われ奇妙大明神とも言います。

四つ辻へテチテチ 膝松さん(根上りの松) 鳥居のトンネルでつ・・・
Pちゃん、歩くの早くなったな〜 飛ばし過ぎで逮捕されるかも?? σ(^◇^;)(爆) 間もなく熊鷹社(新池)
熊鷹社、新池(谺ケ池:こだまがいけ)

お鳥居、神具店・竹屋前の熊鷹社にある池は新池、谺ケ池(こだまがいけ)との別称があります。行方知れずになった人の居場所を探す時、池に向かって手を打ち、こだまが返ってきた方向に手がかりがつかめると云う言い伝えがあります。

お鳥居、神具店の竹屋さん(熊鷹社、新池)・・・毎年、熊鷹社にお鳥居を奉納していまつ。 竹屋さんの店内で休憩中 σ(^◇^;)
熊鷹社に参拝中 ∧(-.-) 新池(谺ケ池:こだまがいけ)
三つ辻 参道からの眺めとです・・・ 四つ辻からの伏見の絶景 O(^◇^)O ふぉ〜
三ノ峰(下之社神蹟)

白菊大神と崇められています。明治20年代の半ば頃、改修工事がなされたらしくここから変形神獣鏡が出土しました。

竹屋さんに頂いたお菓子、ジュース パクッ(^_^; 下社・中社・上社に詣るお山巡りへ 三ノ峰(下之社神蹟)
奴祢鳥居(ぬねとりい:間ノ峰(荷田社神蹟)

伊勢大神と崇められています。神域入り口に建つ石鳥居は、奴祢鳥居(ぬねとりい)と称し、額束の両側に合掌状の破風扠首束(さすつか)をはめた特異な形をしています。

白菊大神と崇められている三ノ峰(下之社神蹟) 間ノ峰(荷田社神蹟)

二ノ峰(中之社神蹟)

青木大神と崇められています。ニ神ニ獣鏡(渡来品)1面、変形四獣鏡(国産品)1面が当時の玉垣より東へ10mの所から出土し京都国立博物館に出陳されています。

青木大神と崇められている二ノ峰(中之社神蹟)

ノ峰(上之社神蹟)

稲荷山の最高峰(標高233メートル)でここを末広大神と崇める信仰があります。勾玉が出土し石室は海石で石棺らしきものがあると伝わります。稲荷山には幾つかの塚がありますがここでの塚は古墳を意味しています。親塚を建てた以前から続く信仰らしく、神蹟改修を示す親塚裏面に(明治10年6月、燈明講奉納・末広社)という刻字が見出せます。

二ノ峰からの眺め 一ノ峰へテチテチ 一ノ峰(上之社神蹟)
一ノ峰は、末広大神と崇められています。 参拝中でつ ∧(-.-) 上之社神蹟
おみくじ・・・中吉! 一ノ峰は、稲荷山最高峰(233m) 鳥居のトンネルをテチテチ
稲荷参道から外れて稲荷山三等三角点を目指します・・・ 木の根道もどき?
三角点への山道をテチテチ 雲母坂もどき? 稲荷山では珍しい???石地蔵さま どっち?(爆)
途中にある稲荷社神蹟 将軍菩薩 三角点では、ありません!じゃ〜何???
稲荷山三等三角点(標高:239.3m)に着きました。ここは西野山で山科区です・・・ 稲荷社神蹟???
雲母坂もどき? 稲荷参道へテチテチ・・・
200段の石段

清少納言が、枕草子で大変に苦しい思いをしたと書いている急勾配な石段で釼石(長者社神蹟)〜一ノ峰(上之社神蹟)迄を一気に約200段の石段を登りますが、今回は、逆に一気に下ります。

稲荷参道合流地点 清少納言が「枕草子」に苦しい思いをしたと記した200段の石段
御釼社(長者社神蹟)

謡曲「小鍛治」の舞台とされ三条小鍛冶宗近が勅命を受け御剣を打つが、その努力精進が神に通じ稲荷明神が狐の化身となって現れ、宗近の相い打ちをつとめ見事な宝剣を完成させるという話で、その時の名剣を鍛えるのに用いたのが、御身体の岩だと伝えられる。力鍛冶、刃物業者の信仰が篤い社です。この社は、狛犬で狐ではありません。一対の狛犬は、石造で文久3年(1863年)とあり山中現存の石造で最古と言われています。別名を長者社と言い加茂玉依姫(かもたまよりひめ)を祭神とします。神殿の後に大きな岩石があり、この岩(釼石)がご神体です。

200段の石段を振り返っていまつ・・・ 灯籠に灯りが灯って幻想的な参道
おせき社、薬力社(薬力の滝)

おせき社・・・風邪、咳にご利益があると言われ葉書にしたためた祈願文が山積みになっています。セキは関所を意味し山頂の一の峰と山科に通じる山道の分岐点にある所から「お関稲荷」と言われたのが関を風邪、咳に附会した信仰になりました。薬力社(薬力の滝)・・・薬の世話にならずに健康に生活をできる事(無病息災)を祈願する社で薬力の滝は稲荷山で一番奥の行場でここからの流は、清明滝の下流で御膳谷からの流と合流し清滝となり白滝からの流を合流し御壺滝、五社滝となり最後に東福寺通天橋の下を流れる三の橋川となります。

謡曲「小鍛治」の舞台とされる御釼社(長者社)と社殿の裏上に鎮座する釼石(長者社神蹟) おせき社
薬力の滝・・・滝水が出てませんがな!(>_<) 薬力社

御膳谷奉拝所

御前谷とも記され、稲荷山三ヶ峰の北背後にあたり、往古はここに神饗殿(みあえどの)と御竈殿(みかまどの)があって三ヶ峰に、神供をした所と伝えられています。

四つ辻へテチテチ 金龍大神(経塚跡??) 御膳谷奉拝所

眼力社

眼科信仰があり眼の病気の完治など眼科にご利益があると言われている社です。狐の口から出ている水に人気があります。ちなみにこの水は、湧き水をパイプで通水しているそうです。

御膳谷奉拝所 お山詣で人気のある狐の手水(眼力社)
眼力社 大杉社 四つ辻
田中社神蹟(荒神峰)

権太夫大神と崇められています。この神蹟の後方にまわると景観が開けます。ここでは四ツ辻で見えなかった京都市内中心部〜以北の絶景を拝む事ができます。

四つ辻からの絶景 O(^◇^)O ふぉ〜 荒神峰(田中社神蹟)への石段
権太夫大神と崇められている荒神峰(田中社神蹟) 再び、おみくじ・・・なななんと、大吉!
四つ辻より市内の絶景が拝める荒神峰からの眺め O(^◇^)O ふぉ〜
下山するとです・・・@四つ辻 お産場稲荷へテチテチ 狛カエル?阿吽のかえる??
お産婆稲荷、大八嶋社

お産婆稲荷・・・昔、狐がここでよくお産をしたといわれ狐は稲荷神の神使いとされお産も大変に軽く狐の安産にあやかるべく安産を願う者は、社前の燃え残りのローソクを持ち帰ると陣痛がローソクの短さで済むと言われています。大八嶋社・・・元々、山上の田中社神蹟(荒神峰)にあったものを、中世になってここへ移したと伝わります。社殿が無く大八嶋大神石碑があるだけです。

お産場稲荷 社殿がない大八嶋社
稲荷大社本殿・・・参拝中 ∧(-.-) 楼門

幻想的な社殿と月 伏見稲荷大社神幸道(裏参道) 出た!出た〜!!やっぱりね!!!恐れ入りまつ!σ(^◇^;)

Tourist  2006.01.09(M)

 

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