三尾(高雄(尾):たかお、槙尾:まきのお、栂尾:とがのお)華街道散策

 

 春来ても 誰かは問わん 花咲かぬ 槙の尾山の あけぼのの空 (新後撰) 雅経

 

城南宮〜法金剛院〜妙心寺〜龍安寺〜仁和寺〜五智山蓮華寺(五智如来石仏群)〜神護寺〜西明寺〜高山寺

 

高雄、周山街道

高雄は一に高尾につくり、梅ヶ畑の西北、清滝川の中遊にあって渓流に沿って北は槙尾(まきのお)、栂尾(とがのお)と共に三尾(さんび)と言います。洛西きっての紅葉の名所で渓谷を埋める楓と共に清滝の渓流と相俟って天下の絶景と謳われます。周山街道は一条通りの西延長道で京都〜丹波へ抜ける街道です。御室・仁和寺から周山街道(R162)を西北へ進むと御経坂峠を超えて景勝地の三尾(高雄(尾)、槙尾、栂尾)、清滝川沿いに山間を北へ進み、中川〜周山までの沿道は世に名高い北山杉の美観に思わず見惚れます。川端康成の小説「古都」に中川辺りの情景を書き映画化もされました。銘木の北山丸太(磨き丸太造りの台杉:床柱)は、当地でしか生産出来ず、和室の床の間の必需品として価値は高く桂離宮、修学院離宮を始めとする室町期の茶室の床柱、垂木などに使用されています。周山は古くから丹波と京を結ぶ交通の要所で明智光秀は、城山に天正7年(1579年)、周山城を構え本丸跡の石垣を始め15もの遺跡が残っています。周山という地名も明智光秀が中国の周の国に因んで名付けたと伝えます。

城南宮

黄桜(御衣黄)

八重桜

城南宮

菊水若水

山ツツジ(楽水苑:春の山)

菜の花(桂川堤防)の中をチャリチャリ・・・

堤外人道橋(嵐山サイクリングロード:天神川)を渡って天神川沿道を北上・・・

学生時代を思い出すとです・・・西京極球場

天神川沿道をチャリチャリと北上・・・(;^_^A 桜、柳などが美しか〜

法金剛院

律宗唐招提寺派の寺で五位山と号します。鳥羽天皇の中宮・待賢門院が兼ねてより仁和寺に護願の御堂を建立したいと願っていましたが大治5年(1130年)、当地にあった旧天安寺(双丘寺)の地に着目し壮麗な伽藍を造営されたのが起こりで初め仁和寺の御堂と称しましたが後に法金剛院と改めました。往時は一町四方の寺地を占め、中央の苑地を挟んで東西に門を開き池の西側に阿弥陀堂、東側に女院御所を設け舟で往来したと伝えます。女院の皇女・上西門院も伽藍を重修し壮麗を極めましたが皇室の哀徴に次第に荒廃し鎌倉時代、円覚上人が復興に務めたが昔日の盛観を見るには至らず近年、境内を修復し面目を一新されています。

チンチンチンチン・・・嵐電(京福電車)がガタゴト通過中でつ・・・(;^_^A アジ〜

法金剛院

花の寺と称される境内

妙心寺

臨済宗妙心寺派の大本山で正法山と号します。古の時代、この辺りは公卿邸があり花畑では四季折々に美しい花が咲き乱れ、いつしか花園と呼ばれるようになり康永元年(1342年)、禅宗に帰依した花園上皇が当地に造営した離宮花園殿を関山慧玄(かんざんえげん)を請うじて開山とし禅苑に改めました。上皇は傍らに玉鳳院を建てて塔所としました。足利義満の為に一時中絶の憂き目にあいましたが細川勝元、政元父子の外護を得て復興し戦国末期には大小名の帰依を受け多くの塔頭子院が建立され寺運は隆盛に赴きました。明治以後も臨済九派の随一として栄え今尚、末寺は全国に3500ヶ所寺の多きを有します。現在の伽藍は応仁の乱の罹災後、慶長年間〜江戸時代に再建されたものが多く勅使門(重文:桃山期)、三門(重文:桃山期)、仏殿(重文:江戸期)、法堂(はっとう/重文:江戸期)など威風堂々の七堂伽藍を始め、46もの塔頭が立ち並んでいます。法堂の天井には狩野探幽筆の雲龍画「八方睨みの龍」が描かれ日本最古の銘をもつ黄鐘調(おうじきちょう)の梵鐘(国宝:奈良期)などがあります。

地蔵院

妙心寺(南総門) とうちゃこ〜(*゜▽゜)/

勅使門(重文:桃山期)

三門(重文:桃山期)

仏殿(重文:江戸期)

法堂(はっとう/重文:江戸期)

手前から法堂、仏殿、三門

大方丈

経蔵

浴室(明智風呂(蒸し風呂)重文:桃山期)

風情ある参道・・・

龍安寺(世界文化遺産)

臨済宗妙心寺派に属し大雲山と号する禅苑の古刹です。宝徳2年(1450年)、室町幕府官領・細川勝元が徳大寺家の別荘を譲り受けて山荘内に一宇の仏堂を創建し妙心寺の義天玄承を開山として龍安寺と号したのが起源です。応仁の乱に焼失し長享2年(1488)、細川勝元の子・政元が再興し近世は塔頭子院20余有を数える大寺になり妙心寺派十刹の一に数えられましたが寛政9年(1797)の火災で方丈を残して仏殿、開山堂などを失い現在の建物は、その後の再建によるものです。方丈(重文:桃山期)は、慶長11年(1606年)、塔頭・西源院の本堂を移築したもので入母屋造り、柿葺(こけらぶき)で簡素な中にも桃山期の建築様式を伝え釈迦如来像、細川勝元像などを安置しています。方丈の前庭は枯山水の庭(史特名・室町期)として世にも有名です。ユネスコ世界文化遺産にも登録されています。

多くの塔頭子院

妙心寺北門

竜安寺

参道

参道の八重桜

山門

しだれ桜などが美しい・・・

きぬかけの道碑

仁和寺(にんなじ:世界遺産)

真言宗御室派の大本山で第58代・光孝天皇によって、先帝の菩提を弔い、仏法の興隆を図るため「西山御願寺」と称する一寺の建立を発願された事に始まりその後、宇多天皇が仁和4年(888年)に造営を完成されました。「御願寺」と称する寺院は、皇室の私寺を意味しますが、西山御願寺は完成と共に、先帝から受け継がれた「仁和」の年号をもって寺号と定められ、大内山仁和寺と呼ばれました。応仁元年(1467年)、応仁の乱によって一山ことごとく灰燼しました。徳川幕府三代将軍・家光の御代に再興されました。京都御所の再建とも重なり御所から仁和寺金堂になっている「紫寝殿」、他多数の建造物と再建資金として20数万両を徳川幕府から得て再興されました。明治の大火で本坊、寝殿などが消失しましたが現存するほとんどの伽藍は寛永年間の遺構で明治維新では第30世・純仁法親王が還俗した事で皇族が門跡となる宮門跡になる時代が終わりました。平成6年(1994年)に仁和寺は世界遺産に登録されました。仁王門は、知恩院の「三門」や南禅寺の「山門」と共に、京都三大門と呼ばれ、同時代を代表する建築物として知られますが知恩院や南禅寺の門が禅宗様式(唐様)であるのに対し、仁和寺の仁王門は和様である事に違いがあり寛永14年(1637年)〜正保元年(1644年)にかけて建てられました。

仁和寺 とうちゃこ〜(*゜▽゜)/ 仁王門(重要文化財:江戸期)

花丈が低いのでお多福桜とも言われます・・・

待機のキララ

花の菩薩

中門(重要文化財:江戸期)

名勝・御室桜(お多福桜とも泣き桜とも呼ばれる)

五重塔(重要文化財:江戸期/仁和寺)

しだれ桜

金堂(本殿:国宝・桃山期)

金堂は京都御所より下賜されたもので、慶長年間に建立された「紫宸殿」の遺構だけに平安時代の建築様式である「寝殿造」の様式を残し我が国の建築史上重要な建造物として国宝に指定され金堂には本尊の阿弥陀三尊像が安置されています。

金堂(国宝:桃山期)

鐘楼(重要文化財:江戸期

御影堂(重要文化財:江戸期)

水掛不動

仁和寺西門(御室八十八ヶ所巡拝口)

山ツツジ

日本最古の織部灯篭(重文:江戸期)

五智如来石仏群

前方に胎蔵界の大日如来を中心とする丈六の五智如来(薬師、室生、大日、阿弥陀、不空成就釈迦)、後方に地蔵菩薩を中心に観世音などの諸像11体が並び伏見深草・石峰寺のそれと共に京都市における石仏群の双璧です。

五智山蓮華寺

五智如来石仏群

五智如来石仏群

満開のしだれ桜(高雄小学校)

御経坂峠・・・高雄です!(;^_^A

嵐山高雄パークウェイ分岐

山ツツジ

西明寺が見えるとです・・・

神護寺への石段

待機のキララちゃん

神護寺

高野山真言宗の寺で高雄山と号します。延暦年間(782〜806年)に和気清麻呂が河内国に建立した神願寺をその子・真綱らにより天長元年(824年)、当地に移し神護国祚真言寺と改めたのが当寺の起こりと伝えます。後に弘法大師に譲られたが大師が高野山に入山時に高弟・真済が継承し伽藍を造営、鎮護国家の道場となりました。正暦5年(994年)、久安5年(1149年)の火災によって伽藍を焼失したが仁安3年(1168年)、文覚上人が来山し諸方を勧化して再興に努め朝野の外護を得て寺運は隆盛に赴いたが応仁の乱で罹災し再び荒廃し現在の建物は江戸時代以降の再建になるものが多いです。国宝9件、重要文化財20件を有しています。

高雄橋(清滝川)

神護寺参道の日本最古の下乗石(右)

神護寺 とうちゃこ〜(*゜▽゜)/

参道途中から山ツツジが見えるとです・・・

硯石

楼門

書院

和気公霊廟

鐘楼

和気清麻呂墓所への参道

和気清麻呂墓所

不動明王石像

多宝塔

手前から五大堂、毘沙門堂

金堂

閼伽井

厄除け・土器(かわらけ)投げ

錦雲峡(千仞せんじんの渓谷:土器投げの場)

金堂への石段

弘法大師が住まいした大師堂

五大堂

毘沙門堂

明王堂

書院

神護寺から石段を下ります・・・

山ツツジが美しい・・・

参道途中の茶店・・・

谷山林道(愛宕山)、西明寺裏門分岐

山ツツジ

指月橋

西明寺

槙尾山と号する古義真言宗大覚寺派の寺で一に平等心王院と言います。天長年間(824〜34年)、空海の高弟・智泉が神護寺の別院として改創したが荒廃し鎌倉時代の建治年中、和泉国(大阪府)槙尾山の白証上人が再興し正応元年(1288年)、後宇多上皇が新たに堂塔を建立し平等心王院と号しました。永禄年中、兵火に掛かり伽藍を悉く焼失し一時は神護寺に合併され別院となっていたが慶長7年(1602年)、神護寺の僧・明忍によって再興され律宗を兼ねました。元禄年間(1688〜1704年)、徳川五代将軍・綱吉の生母・桂昌院は本寺に帰依し諸堂建立に努め再興しました。本堂の唐様須弥壇上に安置する本尊・釈迦如来立像(重文:鎌倉期)は高さ51cmの小像ですが嵯峨清涼寺像を真似た尊像で高山寺明恵上人の造顕と伝え脇檀には千手観音立像(重文:藤原期)を安置します。境内は幽邃閑寂で三尾の一として紅葉の名所でもあります。

指月橋

待機のキララちゃん

石段を上ります・・・(:^_^A

宝篋印塔(ほうきょういんとう)

山門

客殿(旧祖師堂)

本堂

歓喜天堂

高山寺(世界文化遺産)・・・緑茶発祥の地

栂尾(とがのお)山と号する真言宗の単立寺院です。初め神願寺都賀尾坊(とがおぼう)と称する天台寺院でしたが久しく荒廃していたのを鎌倉時代の建永元年(1206年)、明恵(みょうえ)上人によって再興され、後鳥羽上皇から「日出先照高山之寺(ひいでてまずこうざんをてらすやまのてら)」の勅額を賜り高山寺と改めました。以後、華厳宗興隆の道場となり次第に朝野の崇敬を集め北条泰時は政治の要諦を上人に謀り、建礼門院は上人より受戒したとされます。南北朝時代は寺域も広大でしたが室町時代の応仁の乱で退転し諸堂の多くを失ったが近世、豊臣秀吉から寺領58石を与えられ寛永11年(1634年)、仁和寺の旧御所の建物を移築し金堂を再建しました。本尊・釈迦如来像を安置し開山堂には明恵上人樹上坐像(重文・鎌倉期)を安置します。石水院は鎌倉時代初期の寝殿造りの形式を留める貴重な建造物で国宝に指定され文化財も頗る多く、絹本著色仏眼仏母像一幅(国宝・鎌倉期)、薬師如来坐像(重文:天平期)、善妙神、日光神立像(重文:鎌倉期)、狛犬四対(重文:鎌倉期)、華厳宗祖師絵伝(国宝・鎌倉期)など国宝8点、重要文化財51点にも及び中でも鳥羽僧正筆による紙本墨画鳥獣人物戯画四巻(国宝・鎌倉期)は有名で平成6年(1994年)にユネスコ世界文化遺産に登録されました。境内にある栂尾茶園は鎌倉初期に栄西禅師が宋から将来した茶種を明恵上人に送り栂尾の深瀬三本木に植えたのが我が国最初の茶栽培となって隆盛し宇治の茶は栂尾から移植したもので宇治の茶業家は現在も新茶を明恵上人の廟前に供えるのを慣わしとしています。

山ツツジ

高山寺 とうちゃこ〜(*゜▽゜)/

灯籠

参道

中門(客殿、石水院/国宝:鎌倉期)

石水院(国宝:鎌倉期)

日本最古之茶園(茶畑)

開山堂

開山廟(明恵みょうえ上人墓所)

仏足石

金堂

おっと・・・美人?!前姿は?(;^_^A これこれ

清滝川(白雲橋)

しだれ桜

小社ですが天照太神宮?

山ツツジ(周山街道/R162)

嵐山高雄パークウェイ分岐

御経坂峠

印空寺

印空上人が仁和寺門跡寛隆法親王(靈元天皇の皇子)より広沢池近くに広大な寺領を賜り、元禄元年(1688年)に建立したのが起源とされます。その後、中興・了海上人が住持し、寺運は隆盛しましたが明治維新後の廃仏毀釈によって次第に荒廃したが昭和45年(1970年)、現住職の圓空瑞元が普山して寺の復興に努め、浄土宗開宗800年記念の昭和49年(1974年)に鐘楼を建立、平成3年(1991年)、檀家などの協力を得て本堂、山門、庫裏を一新され境内も石庭、北山老杉、梅、辛夷、桜、紅葉などを配し復興されました。門跡のお茶所でもありました。

印空寺(旧御室御所茶所)

美しい境内、石庭

本堂

チャリチャリしていると茅葺葺の庵、しだれ桜などを発見!

広沢池

嵯峨野の北部に位置し背後に優婉な遍照山を負い前方には桜並木の長い堤道に囲まれた周囲約1kmにも及ぶ洛西屈指の大池で伝説によると宇多天皇の皇孫・寛朝僧正が遍照寺を建立する時に開削したとされますが修築拡張を行った池で上古嵯峨野が野沢池であった名残を留める池とされます。秦氏のハダはハリダ(墾田)の約言であるというのもこれに因みます

しだれ桜

広沢池 とうちゃこ〜(*゜▽゜)/

愛宕山が見えます・・・風情ある広沢池

遍照寺山(朝原山:ちょうはらやま/千代原山)

遍照寺跡

寛朝僧正は早くから当地に広沢山荘を構えていましたが永祚元年(989年)10月、山荘を寺とし遍照寺と号しました。池の畔には釣り殿、月見堂などがあり池中の観音島へ橋を架けたとされかかる大寺でしたが惜しくも長徳4年(998年)、寛朝の没後、早くに荒廃し今は池南に旧名を留めるだけです。権中納言・藤原定頼が藤原範永を誘って中秋の月見に訪れたのは遍照寺が出来てから50年ばかり後の事で「すむ人も なき山里の 池の面は 宿る月さへ 寂しかりけり」と早くも寺が荒廃している様を詠んでいます。

広沢池観音石仏

遍照寺観音堂(観音島)

嵯峨の里

遍照寺

永祚元年(989年)10月、円融天皇の勅願により寛朝僧正が創建した広沢山と号する真言宗御室派寺で元、広沢池畔にあって真言宗広沢派の本源地として寺域拡大、伽藍も荘厳を極めたが長徳4年(998年)、寛朝の没後、以外に早く退転し近世、当地に再建され遍照寺の寺名を継承したが往時の寺観を偲ぶに足らないですが本堂に安置する本尊・赤不動明王坐像(重文:藤原期)、十一面観音立像(重文:藤原期)は共に一木彫成になる尊像で遍照寺創建の遺像とされています。広沢池の西北の北嵯峨六代芝町は六代御前の潜居地と伝え池裏町の西は六代を守護していた斉藤五、斉藤六兄弟の屋敷跡と伝え遍照寺の南を御所ノ内町と言い安井御所があった所で安井御所は初め、高倉宮似仁王の王子・野依宮(のよりのみや/木曾宮)が木曾義仲に奉戴され還俗して都入りされた所とされ、後に安井門跡の管理する所となりました。現在の遍照寺の西南にある本宮なる小祠は元、安井御所の鎮守であったと伝わります。

遍照寺

宝篋印塔(ほうきょういんとう)

境内

本堂

嵯峨豆腐で有名な森嘉、買いました〜(^_^)v

清涼寺(嵯峨釈迦堂)

嵐山の夕暮れ@渡月橋

一の鳥居(松尾大社)

二の鳥居

松尾大社 とうちゃこ〜(*゜▽゜)/

御手洗川辺に山吹が咲います・・・

水車があるとです・・・風流どすな〜

拝殿

本殿

Tourist  2005.04.18(M)

 

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