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JR東海道新幹線、琵琶湖線
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鴨川遊歩道へ@塩小路橋・・・先に七条大橋
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「千と千尋」の油屋(ゆや)のような佇まい |
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三条大橋
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向こう岸に渡れる飛び石
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亀石の飛び石 |
半木(なからぎ)の道 |
北大路通〜北山通間の賀茂川左岸(東側)にある遊歩道で枝垂れ桜が咲き誇る事で有名です。半木は植物園内にあった流木神社に由来するとされますが、洪水で社殿が流されたのを嫌って半木と改名されたと伝えます。
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遠くに鞍馬山・・・(加茂大橋)
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植物園への並木道
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半木の道碑 |
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半木の道は桜並木で有名
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五山の送り火の一「船山(妙見山)」
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明神川守護神の藤木社、楠は樹齢約500年 |
社家の家並み(国重要伝統的建造物保存地区) |
上賀茂神社門前を流れる明神川沿いに神官達が住む社家が今も30軒ほどが建ち並びます。
国重要伝統的建造物群保存地区に指定され一般公開されている西村家では平安時代に上賀茂神社の神主によって造営されたと伝える庭園は、曲水の宴の為の小川や井戸神山が現存しています。★社家・・・上賀茂神社の神官を世襲する家を称します。
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社家の家並みと明神川
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上加茂神社(世界文化遺産) |
正しくは加茂別雷(かもわけづち)神社と称し加茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)を祭神とします。下鴨の加茂御祖(みおや)神社を下加茂(鴨)神社と称するのに対して当社は上加茂神社と称し両社を併せて加茂神社と称します。『山城国風土記』の逸文によると日向国より当地に来住した加茂建角身命(たけつぬみのみこと)は伊可古夜日女(いかこやひめ)をめとって玉依日子(たまよりひこ)と玉依日売(たまよりのひめ)をもうけました。ある日、玉依日売が瀬見の小川(加茂川)で丹塗の矢とは乙訓郡にいます火雷命(ほのいかづちのみこと)である伝々と記しています。別雷といい、火雷といい、雷神は農作に必要な水を給与する神として古代農民から崇敬されました。この崇敬の心を神話化したのが『加茂伝記』です。従って両社の創建は、すこぶる古く欽明天皇の時代には既に現在の葵祭である加茂祭が存していたと伝えます。平安遷都には王城の守護神とされ伊勢神宮に次ぐ崇敬を得、歴代の皇女が斎王として奉仕されました。延喜の制には名神大社に列し多くの神領が寄進され中世には山城国一ノ宮として社運は隆盛を極めました。本殿(国宝)は三間社、流造り、檜皮葺。権殿(国宝)と東西相並び他の四十棟(重文)とともに世界文化遺産に登録されています。664,000uに及ぶ広大な神域内には幾多の檜皮葺の典雅な社殿が建ち並び、王朝時代さながらの景観を呈しています。
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上加茂神社(高札所:一の鳥居)
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校倉(あぜくら)
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庁の舎 |
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二の鳥居
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円錐先に神の依代として松葉が立てられる立砂と細殿
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御手洗(みたらし)の手水石は舟形の磐座石 |
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楼門
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岩上
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中門 |
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御物忌(みものいみ)川
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渉渓園(しょうけいえん)・・・加茂曲水宴の地
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楢(なら)ノ小川 |
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楢ノ小川
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鞍馬街道をチャリチャリ
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ず〜と上り坂とです・・・σ(^◇^;)
アッチッチ〜 |
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貴船、鞍馬分岐・・・時雨れてきました。(>_<)
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梶取橋と一の鳥居
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橋碑 |
鬼一法眼古跡 |
相性椋(むく:京都市指定の天然記念物)の大木の下にあり鬼一法眼の墓所と伝えます。「義経記」によれば奥州に下った義経は再度上洛し一条堀川に住む兵法家・鬼一法眼の所に至り法眼の娘を恋人とし導きによって法眼秘蔵の「六韜三略:りくとうさんりゃく」の秘巻を盗み出させた事を知った法眼は大いに怒り高弟・堪海に暗殺を命じたが義経の返り討ちにあい、娘は奥州に去った義経の後を慕って焦がれ死にをしたと伝わります。歌舞伎・狂言「鬼一法眼三略巻」はこれに因んで作られたもので世に流布する義経伝説の一つです。
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鉄輪掛石(かなわのかけいし)のあった所
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鬼一法眼古跡
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石寄社 |
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由岐神社お旅所
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庭石として高価な鞍馬石・・・デカ〜(@_@;)
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鞍馬寺門前に到着したとです・・・ |
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デカ〜鞍馬天狗じゃ〜
σ(^◇^;)
ふぉ〜
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叡電・鞍馬駅(第1回近畿の駅百選選定駅)
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鞍馬駅にキララを駐輪してテチテチ開始・・・ |
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最後の浮世師が描く源平の世界「月岡芳年の義経」
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妖艶じゃ〜常盤御前σ(^◇^;)美しぃ〜
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謡曲「鞍馬天狗」の僧正ケ谷 |
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五条大橋で弁慶との戦い(出会い)
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鵯越(ひよどりごえ)の坂落とし(一ノ谷の合戦)
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建礼門院徳子と義経(壇ノ浦の合戦) |
新西国第十九番鞍馬山
鞍馬寺(くらまさん くらまでら) |
正しくは松尾山金剛寿命院と号し鞍馬弘教の大本山です。南都唐招提寺の鑑真(がんじん)和上の高弟・鑑禎(がんてい)上人が宝亀元年(770年)1月4日初虎の夜、山背国の北方に霊山のある事を夢で見て当地に来ると朝日輝く雲の彼方に鞍をおいた白馬を認めその止まる所に草庵を結び毘沙門天を安置したのが鞍馬寺の創始で延暦15年(796年)、造東寺長官の藤原伊勢人が貴布禰明神のお告げにより、王城鎮護の道場として伽藍を造営し、千手観世音を祀ったとされ寛平年間(889〜898年)には峯延が入寺して真言宗の寺になったが、天永年間(1110〜1113年)に天台座主忠尋が入寺して天台宗に復したといわれ昭和22年(1947年)には鞍馬弘教が立教され、当寺が総本山となり、現在に至っていると伝わります。
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義経と静、雪の吉野(女人結界)の別れ
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鞍馬寺門前町
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鞍馬寺参道 |
鬼一法眼社 |
一条堀川に陰陽師・鬼一法眼が住んでいました。義経は、奥州に下っていましたが、彼が所持している秘伝の兵法「六韜三略」(りくとうさんりゃく)を修得したいと思い京に戻って鬼一法眼に弟子入りしますが「六韜三略」の閲覧を許されませんでした。そこで義経は鬼一法眼の三女・いつき姫(皆鶴)と契りを結び、これを盗み出させ奥義を習得しました。これを知った鬼一法眼は、激怒して弟子を刺客として差し向けたが、返り討ちに遭いその後、義経は奥州に戻りました。いつき姫(皆鶴)は、義経を諦めきれず、恋煩いによって亡くなったという義経伝説の一つです。
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仁王門
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春日灯篭が連なる参道
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鬼一法眼社 |
由岐(ゆき)神社 |
創建はすこぶる古く、朱雀天皇の御代、天慶3年(940年)の勧請と伝わります。大巳貴大神、小彦名大神を祭神とします。社名は、昔から天皇が天災や騒乱の時、勅して社前に靭(ゆぎ:矢を盛る器)をかけて祈った事が所縁になっています。鞍馬村の産土神で、毎年10月22日に行われる例祭は京都三奇祭の一とされる「鞍馬の火祭」として有名です。本殿は慶長12年(1607年)、拝殿は慶長15年(1610年)に豊臣秀頼によって再建されました。拝殿は重要文化財(桃山期)で桁行六間、梁間ニ間、単層、屋根は入母屋造り、桧皮葺とし中央一間を通路にした割拝殿で屋根中央に唐破風を付し、崖に臨んだ舞台造(懸造)です。
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魔王の滝・・・水が落ちてませんがな?!(>_<)
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割拝殿(重文:桃山期)
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割拝殿(重文:桃山期)
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御神木・がんかけ大杉(天然記念物)
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由岐神社 |
義経公供養塔(東光坊跡) |
牛若丸(義経)は、7歳〜16歳まで「東光坊」に預けられ阿闍梨・覚日の弟子となり遮那王(しゃなおう)と呼ばれて学問修行を行った場所で平家を滅ぼす決心をして学問、夜は僧正ケ谷で天狗僧正坊、大天狗・太郎坊などに兵法(剣術など)を習ったと伝わります。
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義経公供養塔(東光坊跡)
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牛若丸の守り本尊と伝える川上地蔵堂 |
九十九折(つづらおり)坂 |
由岐神社〜金堂(本殿)に至る約791mの坂道を称します。清少納言が「枕草子」に近くて遠きものとして、「鞍馬のつゞらをりといふ道」と記したところで幾曲がりもしているのでこの名になりました。
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中門は元、仁王門の脇にあった勅使門
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由岐神社〜金堂(本殿)は約791mの九十九折の参道でっす!σ(^◇^;)
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紅葉が始まった参道
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金堂前から眺める比叡山
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金堂(本殿) |
金堂(本殿)は、昭和20年(1945年)焼失し昭和46年(1971年)に再建され内部は外陣、内陣、内々陣に分かれ内々陣に宝殿があり、中央に毘沙門天、東に千手観世音菩薩、西に護法魔王尊像が安置されます。鞍馬寺は、昭和24年(1949年)に鞍馬弘教の総本山となりました。鞍馬弘教とは、宗派を超越し三身一体の尊天を尊崇して国境や人権差別を超越し地球上の平和を祈り、全人類の進化と向上を願うというものです。
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金堂(本殿)
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翔雲台(しょううんだい) |
650万年前、護法魔王尊(サナート・クマラ)が金星より地球の霊王として降臨した場所と伝わります。板石は鞍馬寺に平安時代より伝えられた如法写経会の経巻を埋納した経塚の蓋石です。
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翔雲台(経塚の蓋石)
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瑞風庭(ずいふうてい)と奥の院参道入口
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鐘楼・・・鐘があるから鐘を撞く?!σ(^◇^;) |
冬柏亭(とうはくてい:与謝野晶子の書斎) |
東京の与謝野晶子邸にあった冬柏亭と呼ばれる晶子の書斎を移築されました。冬柏亭は晶子の誕生日(50歳)に、お弟子さん達が寄贈したと伝えます。
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与謝野晶子、鉄幹の歌碑
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冬柏亭(とうはくてい:与謝野晶子の書斎)
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洛北の山姿(真中奥:比叡山) |
牛若丸(義経)息継ぎの水 |
牛若丸(義経)が天狗僧正坊と出会い武芸の修練を行う為に東光坊〜僧正ケ谷不動堂への行き帰りに喉を潤した水井と伝えます。
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奥の院へ
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牛若丸息継ぎの水が出ていません!(@_@;)
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遮那王堂 |
牛若丸(義経)背比べ石 |
牛若丸(16歳)が平家追討を決心し鞍馬を去る時に名残を惜しんだといわれる約1.2mの背比べ石
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牛若丸(義経)背比べ石
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岩盤が硬く地下に根が張れずに木の根が地表に露出した「木の根道」とです・・・
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大杉権現社と魔王尊「サナート・クマラ」降臨の大杉 |
大杉権現社に、魔王尊「サナート・クマラ」が降臨したと伝わる大杉がありました。樹齢千年で3本の幹よりなる巨大な杉でしたが昭和25年の台風で折れ、今は約15mの根幹が残るだけです。大杉大権現(魔王尊影向の杉)を素材として光明心殿の魔王尊像と宝殿の三尊尊天像が新しく彫られ、霊宝殿では、大杉権現として祀られています。
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鞍馬山(標高:580m)に点在する経塚(鞍馬寺最高峰点)
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魔王尊「サナート・クマラ」が降臨した天狗杉
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大杉権現社 |
僧正ケ谷、不動堂、義経堂 |
不動堂は方三間、単層、宝形造、本瓦葺、正面一間向拝付きの仏堂で昭和9年の改修、建築細部は鎌倉中期頃の様式を参考にしたという。厨子には最澄(伝教大師)作という不動尊像が安置してある。不動堂から奥の院に至る鞍馬山中の渓谷を「僧正ケ谷」と言い、山岳修行者の霊地として呪術者の活動した場所である。謡曲「鞍馬天狗」には、牛若丸が天狗僧正坊と出会い夜な夜な天狗達と剣術や妖術を習い修練を行った場所と伝えます。
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僧正ヶ谷、不動堂への参道
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牛若丸と天狗が武芸修練をした僧正ヶ谷
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義経堂 |
兵法石 |
石灰岩で牛若丸が剣術修行で切り付けた刀傷という伝説がありますが実は雨水が岩を浸食した跡でカレンと言います。
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不動堂
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奥の院へ続く木の根道
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牛若丸が切り付けた刀傷と伝える兵法石 |
奥の院(魔王殿) |
鞍馬寺(山)の信仰は650万年前、宇宙の大元霊である尊天の指令によって金星から派遣された魔王尊が、人類救済の使命を帯び地球の霊王として鞍馬山上に降臨した事に始まる。魔王尊「サナート・クマラ」は降臨した時の16歳の若さを永遠に保ち霊王として活動し、様々な姿(天狗など)を現し、人類が遠い未来に水星に移住する時、人類を誘導してくれると伝わります。奥の院一帯が聖域で、魔王殿は多々の奇岩(化石を含んだ水成岩)の上にあり護法魔王尊「サナート・クマラ」が祀られています。石灰岩の重なる柵内は、日本庭園の源流ともいわれる磐座(いわくら)です。
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魔王殿
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本殿
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鞍馬寺西門(仁王門から約2.5km) |
貴船神社 |
創祀は延喜遷都以前の反正天皇の御代頃と伝わります。社伝によれば浪花(大阪)から黄船に乗った女神が現れ「われは玉依姫(たまよりのひめ:神武天皇母后)なり、この船の留まる所に社殿を建て、そこの神を大事にお祀りすれば国土を潤し、庶民に福運を与えん」とのお告げがあり、その船は淀川、鴨川を遡り水源の地である奥宮辺りの川の傍から水の湧き出る所に船を留め、社殿を建てたと伝えます。
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貴船神社の参拝は「三社詣」とも言われ「本宮」⇒「奥宮」⇒「結社:中宮」の順に詣でるのが古式正しい参拝とされます。
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二の鳥居(貴船神社本宮)
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春日灯篭が連なる本宮の参道
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本宮神門
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境内
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神馬像(願かけ馬)と絵馬発祥の社碑 |
本宮 |
平安時代の女流歌人・和泉式部(いずみしきぶ)は夫の心変わりに悩み、貴船参りをした時に貴船川の螢を見て切ない心情を「物思へば沢の螢も我が身よりあくがれ出ずる玉かとぞ見る」と詠んだところ、社殿の貴船の神から「奥山にたぎりておつる滝つせの玉散るばかり物な思ひそ」と返歌をされ、その後、夫婦仲が円満に戻ったいう伝説話は有名です。延喜の制には、名神大社という最高格式に列し、明治の神社制度は官幣中社とされました。祭神は高龗神(たかおかみのかみ)で降雨、止雨など水を司る水神です。本殿は流れ造り・檜皮
(ひわだ)葺きで創建年代は不詳です。奥宮が元の鎮座地でしたが天喜3年(1055年)、奥宮より現地に移築されました。現在の建物は大正11年のものです。社裏の貴船山々中に鏡岩がありますが禁足地になっています。春日灯篭が連なる参道は名探偵コナン「迷宮の十字路:クロスロード」の映画ポスター、パンフに使われました。
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社殿(拝殿、本殿)が新しくなっていたとです・・・
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おもひ川 |
奥宮の参道途中の谷川に架かる橋で昔は禊ぎ川として身を清めて奥宮へ参拝しましたがいつ頃からか、和泉式部の恋事に付会され「おもひ川」と呼ぶようになりました。そして、奥宮は丑の刻参りの舞台としても有名です。境内の木々には五寸釘の打ち込まれた跡が残ります。この川の上流に雨乞いの滝がありますが禁足地となっています。
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本宮参道から奥宮へテチテチσ(^◇^;)
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相生の杉
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おもひ橋(おもひ川) |
つつみが岩 |
貴船石特有の紫に輝き、岩形、古代火山灰堆積の模様を表している巨岩です。高さは4.5m、重さ43tもあります。
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つつみが岩
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大杉並木道
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奥宮神門 |
奥宮、船形石(ふながたいわ) |
奥宮・・・古社中の古社といわれ、創建年代は不詳。祭神は本宮と同じ高龗神(たかおかみのかみ)です。奥宮となっていますが、元はここが本宮でした。奥宮の鎮座地は貴船谷の一番低い所にあり、しばしば水害に遭い、天喜3年(1055)に貴船神社本宮を現在の地に遷(うつ)しました。しかし、奥宮は貴船神社にとって重要地で、本宮と変わらずに祀られています。鎮座伝説に、「川のそばから水の湧き出る所があり、そこに一宇を設けた」とあり、現在は水は涸れていますが奥宮本殿の下に龍神が住むと伝わる龍穴があり日本三龍穴の一つと言われています。文久年間(1861〜64年)、本殿修理時に大工が誤ってノミを落としたところ俄かに強風が吹き荒れてノミを空高く吹き上げたという伝説もあります。船形石(ふながたいわ)・・・船の形をしています。神武天皇の母・玉依姫が浪速(大阪)より水源の地を求め、黄色の船に乗って鴨川を遡り、貴船川の当地に至った時、乗って来た船を人目に触れないように小石で積み囲んだと伝えられ航海や旅行にその小石を携帯すると航海、旅行安全のご利益があるそうです。
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11/12.13.19.20日のライブイベントの準備かな?
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拝殿
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船形石 |
丑の刻参りと幻の鉄輪掛石(かなわのかけいし) |
貴船神社の呪咀神信仰は、平安中期に成立していた事は「栄花物語」などに藤原頼通の病気が貴船の呪咀が原因だと記された事で明らかで鎌倉後期には更に強力な魔力を加え「源平盛哀記・剱の巻」の「宇治の橋姫」の物語を脚色化され、そして室町後期、謡曲「鉄輪」として結実しました。この事は、貴船神社にとって誤った信仰を生む結果となったようです。幻の鉄輪掛石は「宇治の橋姫」が丑の刻参りの時に鉄輪を外して置いた石であると伝わります。貴船神社始め当地の人達も所在を知らず貴船神社にあった「貴船神社・神社紀行」も手に入れて調べたのですが載っていません。所持している鳥瞰図には所在地を断定しているのですが度々の洪水で梶取橋の架け替えや相当年数が経っているので所在を断定する事は不可と思います。
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鉄輪掛石の説明札の傍に神石
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権地にも鳥瞰図(古絵図)になかった神石が!
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本殿 |
結社(ゆいのやしろ:中宮)、天の磐船 |
結社・・・古来、縁結びの神として知られ次のような伝説があります。昔、瓊々杵尊(ににぎのみこと)が磐長姫、木花開耶姫(このはなさくやひめ)姉妹の内、妹の木花開耶姫を娶られる時、姉妹の父である大山祇命(おおやまつみのみこと)は姉の磐長姫も共に奉ろうとしました。しかし、尊は木花開耶姫だけを召されたので、磐長姫は大いに恥じて、「我長くここにありて縁結びの神として世のため人のために良縁を得させん」と言われてこの地に鎮座しました。結社と呼ばれる由縁もこの伝説に基くもので、平安期にはすでに縁結びの神としてご利益があり貴族〜庶民まで大勢の人々が参りました。天の磐船・・・貴船山中で見つけられた船形の自然石。平成8年(1996年)3月、貴船神社に奉納され、結社御祭神・磐長姫命(いわながひめのみこと)の御料船として結社境内に納められました。長さ3.3m、舳先の高さ1.5m、幅1m、重さは6tもあるそうです。
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結社(ゆいのやしろ:中宮)
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天の磐船 |
烏帽子岩(えぼしいわ) |
参拝者が冷水を浴びて身を清めた場所で大宮人が烏帽子(えぼし)を下して身を清め、休息した所とも伝わります。観光バス駐車場のすぐ下流の川中にあり、道路から見る事ができますが、かなり注意深く見ないと見過ごしてしまいます。
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御神木・杉の大木(結社境内)
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御神木・桂の大木(結社境内)
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烏帽子岩
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蛍岩(ほたるいわ) |
平安の昔、宮廷の女流歌人・和泉式部(いずみしきぶ)が貴船神社に参詣して恋の成就を祈り、「もの思へば沢の蛍もわが身よりあくがれ出づる魂かとぞ見る」と有名な歌を詠んだのが、この蛍岩近辺の光景だといわれ、今も蛍の名所となっています。
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貴船川(蛇谷橋)
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和泉式部ゆかりの蛍岩
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叡電・貴船口駅・・・電車で鞍馬駅へ |
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パノラミック電車・きらら号(デオ900系)
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開業当時の車両先頭部と動輪(デナ21形)
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鞍馬駅構内とです・・・ |
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キララちゃん、お待たせ〜σ(^◇^;)
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鞍馬寺
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木の芽煮、栃餅、草餅などをゲット! |
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さぁ〜伏見へ帰るとです・・・貴船口駅を通過
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叡電を通過・・・
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山間の日暮れは早い!キララも速い?!σ(^◇^;) |
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六条河原(鴨川)を通過・・・
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京都タワー・・・まさしくロウソクでっす!
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夕暮れの京の玄関口の京都駅 |
Tourist
2005.10.31(M)
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