比叡三塔物語
比叡山延暦寺・西塔編
横川〜西塔〜東塔〜ガーデンミュージアム比叡
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常行堂(荷い堂) |
法華堂(荷い堂) |
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相輪 橖 |
弥勒石仏 |
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伝教大師立像 |
「釈迦伝4降魔」・・・18禁絵図?!修行が足らんぞ! 私が?(;^_^A |
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釈迦堂 |
椿堂 |
浄土院 |
山王院(千手院) |
西塔(さいとう) |
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東塔より1km離れた西塔は山上で最も古いお堂で天台建築様式の代表とされる荘厳な釈迦堂、伝教大師の御廟である浄土院、弁慶の荷い堂と呼ばれる常行堂、法華堂や織田信長の焼き討ちを唯一免れた瑠璃堂など訪れる人達にやすらぎと神秘の世界へ導いてくれるのが西塔地域と言われています。 | ||
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西塔参道口 |
箕淵弁財天社 |
親鸞聖人修行の地 |
椿堂 |
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聖徳太子が比叡山に入山した時、杖に使っていた椿の枝をさして帰ったところ根をおろして辺り一面に椿が大きく育ったという伝説から、椿堂と名付けられたと伝えます。 |
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鐘楼 |
椿堂 |
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荷い堂(にないどう:重要文化財) |
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渡り廊下でつながった阿弥陀如来を本尊とする常行堂、普賢菩薩を本尊法華堂を俗に荷い堂と呼ばれます。弁慶が渡り廊下を天秤棒にして両堂を担いだという伝説から荷い堂と称されたと伝わります。にない堂では四種三昧行という修行が行われる。四種三昧は常坐、常行、半行半坐、非行非坐からなり、常坐は90日間、食事とトイレを除き一日も休むことなく坐禅し続ける行であり、常行は90日間本尊阿弥陀如来の周りを歩き続ける過酷な行であると言われます。 |
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親鸞聖人旧跡 |
荷い堂 |
渡り廊下 |
常行堂 |
渡り廊下 |
法華堂 |
釈迦堂(転法輪堂:重要文化財)、恵亮堂 |
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西塔の中堂(本堂)で正式には天法輪堂と言います。貞和3年(1347年)に建てられた園城寺の弥勒堂を、織田信長の比叡山焼き討ち後、豊臣秀吉の命で文禄4年(1596年)に、ここに移築したものであるとされています。天台様式の典型な堂々とした風格のある建物で、延暦寺に現存する建物では最古です。釈迦堂と鎌倉時代に造られたという最澄自作の秘仏・木像釈迦如来立像は共に重要文化財に指定されている。大楽大師(恵亮和尚)を本尊として祀る。当時、比叡山で修力霊験に最も優れ京都の妙法院を創建した人です。 |
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釈迦堂への石段 |
恵亮堂 |
釈迦堂 |
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釈迦牟尼佛 |
仏足石 |
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鐘楼・・・Pちゃん、良い鐘の音を出します!ガンゴン撞き過ぎかもね?!まっ、良いかっ?!(;^_^A |
釈迦堂 |
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釈迦堂 |
釈迦堂内 |
伝教大師立像への階段 |
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伝教大師立像 |
相輪橖(そうりんとう)への参道 |
愛宕山方面の眺め |
相輪橖(そうりんとう:鬼門柱:重要文化財) |
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高さ約10mの青銅製の相輪で鬼門柱とも呼ばれ明治28年(1895年)に改修され、塔内には法華経、大日経などの経典が収められています。 |
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相輪橖(そうりんとう) |
弥勒石仏 |
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浄土院(伝教大師最澄御廟) |
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伝教大師の御廟がある浄土院は、弘仁13年(822年)6月4日56歳で入寂された大師の遺骸を、慈覚大師が仁寿4年(854年)7月ここに移して安置している比叡山で最も清浄な聖域とされています。現在も僧侶が生前と同じように大師の霊前に仕えています。厳しく戒律を守り十二年を一期とし籠山(ろうざん)して行に励んでいます。 |
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椿堂〜浄土院への参道 |
Pちゃん息継ぎの水? |
浄土院 |
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浄土院〜山王院への石段・・・・結構きつくて長い石段です!(;^_^A 大汗かきました! |
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山王院(さんのういん:千手院) |
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山王院は、第五世天台座主・智証大師円珍の住房と伝えます。千手観音像が祀られており、別名、千手院とも呼ばれます。弁慶が千日間、千手院に参籠したとも伝えます。 |
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ゴ〜〜ル!!!Pちゃん吠える!がぁ゛おぉ〜?!(;^_^A |
山王院(千手院) |
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弁慶水 |
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浄土院〜山王院〜根本中堂に至る道中に有り千日間、山王院(千手院)に参籠していた弁慶が汲んだ水とも伝わり、現在も水が湧き出ています。 |
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山王院 |
無縁仏、慰霊碑 |
弁慶水 |
Tourist 2004.08.16(M) |