宇治川、瀬田川(宇治川ライン)チャリチャリ散策「宇治川編」

 

くれてゆく 春のみなとは しらねども 霞におつる 宇治の柴舟  (新古今和歌集)寂蓮法師

 

寺田屋〜許波多(こわた)神社(五ヶ荘:ごかしょう)〜橋寺放生院〜宇治神社〜宇治上神社(世界遺産)〜天ヶ瀬(あまがせ)ダム〜宇治川ライン

 

宇治川、瀬田川(宇治川ライン)

琵琶湖(面積674ku)には119本の河川が流れ込んでいます。琵琶湖から発するただ一本の川(琵琶湖疎水などの人工河川を除く)を滋賀県域では、瀬田川と呼び滋賀県大津市のJR東海道本線の上流を琵琶湖と瀬田川分界とし山峡を西南し京都府境付近で宇治川と河川名を変え天ヶ瀬ダム〜伏見の観月橋〜京都府と大阪府境の八幡市付近で木津川、桂川と合流し大阪平野を南流し大阪湾に注ぎます。瀬田川は滋賀県、京都府境までの延長約16kmの河川で宇治川は滋賀県、京都府境〜伏見・観月橋までを言い下流を淀川と言います。宇治川ラインは瀬田川の滋賀県大津市の南郷(瀬田川)洗堰〜京都府宇治市の宇治橋に至る間を総称し「米かし」、「しし飛び」と呼ばれる奇岩、怪石が川中に横たわり下るにしたがって両岸は断崖絶壁で幽遠な雰囲気があります。今回は、初の京都圏外になりましたが宇治川、瀬田川に沿った宇治川ライン(R3、R422)で伏見〜天ヶ瀬ダム〜立木観音〜石山寺〜瀬田唐橋をチャリチャリしました。山々の緑、渓谷を渡る涼風など清々しい山河チャリ散策となりました。

坂本龍馬所縁の旅籠・寺田屋

酒蔵(宇治川派流)

長建寺

閼伽水とカエル石

八重桜

本堂

十石舟

川鉄橋(宇治川/近鉄電車京都線)

平戸樋門(宇治川派流)

指月の浜

宇治川に臨む川畔を称し豊臣秀吉が伏見城築城に際し、建設資材の荷揚げ場として造営した所と伝えます。

指月の浜(三十石船)

京阪電車宇治線

山科川と宇治川合流地点

許波多(こわた)神社(五ヶ荘:ごかしょう)

天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)、瓊々杵尊(ににぎのみこと)、神倭磐余尊(かんやまといわれひこのみこと/神武天皇)の三神を祀る五ヶ庄一帯の産土神で木幡の許波多神社と共に古くから崇敬されています。創祀年月は明らかにせず社伝によれば皇位継承をめぐる壬申の乱(671)を前に大海人皇子(天武天皇)が近江の大津宮から吉野に赴かれる時に参詣し手にした柳の枝のムチを社頭の瑞垣に挿し「我に天位を践まばこの柳、芽を出すべし。」と戦勝祈願し、天武天皇として即位するや柳も芽吹きその霊験を賞賛し社領を寄進され名も柳大明神と名付けたとされます。明治8年(1875年)9月、陸軍火薬庫が増設されるにあたり翌9年10月、お旅所であった現在地に移されました。「山城風土記」、「宇治郡木幡社(祇社:くにつかみのやしろ)」、「延喜式神名帳」の「宇治郡許波多神社三座」とあるは当社と断定され社名の柳大明神を許波多神社に改めました

木幡池

許波多神社

二の鳥居と割り拝殿

境内

山吹

本殿

墓参りへ(萬福寺塔中・法蔵院)

萬福寺

三室戸寺へチャリチャリ・・・宇治の眺め

三室戸寺

第五十二帖・蜻蛉(かげろう)之古跡

源氏物語ミュージアム
橋寺放生院

雨宝山と号する真言律宗の寺で一に常光寺として地蔵尊を祀り道路交通の安全を祈る寺として古くから知られます。寺伝によれば大化2年(646年)、僧道登が宇治橋を架けた時に宇治橋の守り寺として併せて建立したとされるが弘安9年(1286年)西大寺の僧叡尊が宇治橋の架け替えにあたり橋供養をした時だとされます。断碑は、上下二つに割れたものを一つに繋ぎ合せ碑文は大化2年(646年)、僧道登によって宇治橋が初架橋されたと記します。元橋畔にあったのがいつの世にか流出し行方不明でしたが寛政3年(1791年)、たまたま付近土中から断片が発見され、失った部分を補ったのが現在の石碑で日本最古の石碑とされますが近年、古さを誇示する為に平安初期頃に偽作されたという説もあります。

東屋観音石像[第五十帖・東屋]之古跡

宇治橋

山門(橋寺放生院)

日本最古?の石碑「断碑」

境内と本堂

至福の一時とです・・・ランチタイム!(^o^)/

キララとキラキラ・・・宇治川の川面とです!

宇治橋方面

一の鳥居(宇治神社)

宇治神社

地域の産土神(うぶずながみ)であった離宮社は、対岸に平等院が建立されると、その鎮守社としての地位も与えられました。江戸時代迄は宇治神社と宇治上神社は一対でした。この一帯は応神天皇の皇子で、宇治十帖の八宮(はちのみや)のモデルとも言われている「莵道稚郎子(うじのわきいらつこ)」の邸宅跡と考えられ、皇子の亡くなった後、邸宅跡にその霊を祭ったのが両神社の縁起と伝わります。応神天皇の離宮とも関わりがあったと思われ、「離宮社」、「離宮八幡」などと称されました。

二の鳥居

拝殿

本殿

宇治上神社(世界遺産)、本殿(国宝)

元は下社の宇治神社と一体で平等院の鎮守社ともいわれ明治維新までは、「離宮上社」と呼ばれていました。本殿は平安時代後期に建てられた現存するわが国最古の神社建築です。祭神は応神天皇とその皇子菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)、兄の仁徳天皇とされています。境内正面の拝殿は鎌倉初期のもので、寝殿造りの様相を伝えています。特に縋破風(すがるはふ)といわれる手法を用いた屋根の美しさは格別です。三棟の内殿を一列に並べて、共通の覆い屋で覆った特殊な形式の建物で、左右の社殿にある蟇股(かえるまた)も建築年代を示すものです。覆屋(おおいや)のある本殿には、三社が収められ、祭神は向かって右が「莵道稚郎子(うじのわきいらつこ)(弟)」真中が「応神天皇(父)」、左が「仁徳天皇(兄)」とされています。それぞれ神殿としては小規模ですが、その造りは大変優雅で、神社築としては日本最古のものと伝わり、建築年代は平安時代後期と推定され国宝に指定されています。

一の鳥居(宇治上神社) 神門(宇治上神社) 拝殿

桐原水(きりはらすい)

室町時代に「宇治七名園」が作られ、それに伴いお茶に欠かせない水にも「宇治七名水」が定められ、桐原水一つとされ現在他の六名水は失われましたが、桐原水だけが、今もなお枯れる事なく涌き出していますが残念ながら生での飲料水としては不可のようです。

桐原水(きりはらすい)

本殿

第四十八帖・早蕨(さわらび)之古跡

宇治十帖モニュメント

宇治川右岸の朝霧橋の手前にあります。源氏物語「宇治十帖」では、浮舟(女性)は薫に連れられて宇治に移りますが、匂宮(男性)は浮舟の居場所を探して宇治を訪れ、二人は小舟で橘島へ渡りました。モニュメントはその場面をモチーフされました。

宇治十帖モニュメントと朝霧橋

浮島(塔の島)

浮島(橘島)

亀石

天ヶ瀬吊り橋

天ヶ瀬(あまがせ)ダム

宇治橋の上流約2.5km、宇治川天ヶ瀬に水害防止と発電の二つを主目的に建造されたダムで高さ73m、長さ254mのアーチ式ダムで2000万㎥(東京ドーム7杯分) の貯水量で下流域の洪水を防ぎ新たに発電所を設け92000kwの電力を宇治市、城陽市などに送電し併せて宇治、城陽、久御山、八幡市など山城地域へ上水道(府営)の取水口も設けられています。総工費66億円と言われ当時、我が国土木技術の粋を結集して昭和32年(1957年)〜7ヵ年半の歳月を費やして同39年(1964年)11月に一応完成しました。ダムの完成により宇治川に延々24kmに渡って一大人造湖が出現し他所に見られない水上公園とされ鳳凰湖と名付けられました。

天ヶ瀬ダム、発電所

鳳凰湖(天ヶ瀬ダム湖)

宇治川ライン(R3)をチャリチャリ・・・

大峰吊り橋・・昔、天ヶ瀬駅から走ったおとぎ電車の堰堤駅が、この辺りに水没しています。

美しい山河(宇治川)

チャリチャリチャリ・・・

喜撰山大橋

曾束橋

Tourist  2005.04.25(M)

 

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