万灯呂山(まんどろやま:大峰山)チャリチャリ散策

 

色も香も なつかしきかな 蛙なく 井手の渡りの 山吹の花   (新撰拾遺) 小野小町

 

歴史街道「サイクリングロード」・・・流れ橋〜山城大橋〜万灯呂山(まんどろやま:大峰山)散策

 

山吹ハイキングコース

万灯呂山(大峰山:303m)を初の林道(山吹ハイキングコース)でアタック!高神社〜龍王の滝〜代官屋敷跡〜六体石仏〜大正池〜万灯呂山展望台まで約12kmのダートコースをチャリチャリしました。残念ながら大正池の分岐路は閉鎖されていた為に素通りしてしまい見れませんでした。かなり行き過ぎてから道標で大正池を通過した事に気付きました!(>_<) しか〜し、戻りませんでした。何故なら幾つもの坂を上り下りし後輪の反射板を破損!更に前日の雨でダートにヌカルミ箇所もありキララはドロドロ・・・飲料水も残り僅か!(>_<) 地図で確認したら北峰(249m)、高雄山(443m)、大焼山(429m)、有王山(378m)、山吹山(373m)の山間部を周回して万灯呂山展望台に到達したようです・・・通りでアップダウンの連続で距離もあったはず!!!(>_<) はははは〜(T_T) しか〜し、恐るべし「龍王の滝」・・・さすが!「雨乞いの滝」とです・・・下山後、突然の雨風にズブ濡れ!(T_T) まぁー無事に万灯呂山をチャ輪破して帰還できて何よりとです・・・山吹ハイキングコース、二度と行くもんか?! byキララ?!(*≧m≦)プッ  

井手

木津川に架かる玉水橋〜三山木(京田辺市)の東にある奈良街道一帯を言い綴喜郡に属します。元、井手村と言い玉水、水無、石垣、上井手、田村、新田(俗に有王)南北の七集落からなっていたましたが昭和32年(1957年)、多賀村と合併し今は井手町となっています。東の山中より流れ出る玉川の土砂の堆積によってできた扇状地で前方は木津川に臨んで東高西低となっています。灌漑用水路に用いる堰から地名が生じたと伝わり今尚、条里制の地割りや古墳が残存し当地が早くから開拓されていた事を実証しています。奈良朝時代、橘氏の所領地となり左大臣・橘諸兄(もろえ)は天平12年(740年)、当地に壮麗な別業を構え聖武天皇の行幸を仰いで盛大な豪遊を催しました。古図によると往時の井手の山野一帯には橘氏一族の多くの邸館が建ち並んでいた様が描かれています。元より後世の想像図によるものとされますが相当広大な地域を占めていたとされます。橘諸兄の没後、その子・奈良麻呂が藤原氏打倒クーデターを企てて失敗し政界から姿を消した事から凋落し後に橘嘉智子が嵯峨天皇の皇后(檀林皇后)になったが往時の勢力を取り戻すに至りませんでした。

第2京阪国道をチャリチャリ・・・

お京阪特急と準急&桃山城

宇治川(巨椋おぐら大橋)

巨椋大橋の環境対策説明碑

宇治川の葭原は野鳥の楽園

広大な巨椋池干拓田

久御山JCT(ジャンクション)

おっと!ロケット?!電波塔??

木津川大橋(R1)

サイクリングロードへ・・・

流れ橋

久御山側へ渡るとです・・・

橋脚

久御山側からの眺め

流れ橋の全景

京奈和道

田辺の浜船着場跡碑

木津川鉄橋(近鉄京都線)

富野の渡し場跡碑

山城大橋を木津川右岸へ渡ります・・・

万灯呂山を目指して右へ行きます・・・

谷川ホタル公園・・・源氏ボタル生息保護地域

石碑

高(たか)神社

一に多賀神社と記し和銅4年(711年)の創祀と伝えるが定かでありません。元、大梵天王と言われたが明治維新に際して高神社と改めました。これは「延喜式」に記す「高神社」に因んだとされます。現在の祭神は伊耶那美命(いざなみのみこと)、伊耶那岐命(いざなぎのみこと)、菊理姫の三神とされるが後世の勧請によるもので高氏一族の祖神を祀ったとのが縁起と推測されています。社殿は慶長9年(1604年)の再建と伝えます。

高神社碑

狛犬

神馬像

参道

割拝殿

本殿

本殿

舞台

奉納絵馬

奉納絵馬(右:義経(牛若丸)と弁慶の絵馬・・・)

万灯呂山を目指して右へ行きます・・・

上り坂を快調にチャリチャリ・・・

林道は左(龍王の滝)へ行くとです・・・

程なくダートの上り坂!さすが林道コース?!(笑)

龍王の滝

江戸時代「山城誌」にて紹介された落差13mの滝で古来より竜神が祀られ旱魃の際に「雨乞い」の神事が行われました。

龍王滝・・・雨乞いの神事をした滝と伝わります。滝の近くは冷や〜としていて息が白くなるとです・・・

チャリチャリと上るとです・・・(;^_^Aアジ〜

登山道入り口・・・左(大正池)へ行きます・・・

下ったら・・・上りです!(爆)

激坂をチャリチャリ上りました!(;^_^Aアジ〜

激坂を上ったと思ったら更に上り坂ですがな!(@_@)

延々と続く上り坂をチャリチャリ・・・(>_<)

代官屋敷、六体地蔵

この辺りは通称「多賀新田」と呼ばれた集落跡で古老談によると当地は江戸時代中頃に開拓され新田開発によって生産された米は三十石、内二石は禁裏御領地の為、代官所を通して献上されました。昭和の初期頃迄、生活の場があったと伝わります。現在、この地には明和8年(1771年)の年号を刻む六体石仏と代官屋敷跡など僅かに名残を留めています。

竹林を抜けると・・・茶畑とです!

ゲッ!こんな所に代官屋敷跡?!僅かな礎石が残るだけ?おねげ〜しますだ!お代官様?!(*≧m≦)プッ

明和8年(1771年)の年号が刻まれている六体石仏

下り坂・・・

ダートコースを上っては下り、下っては上りの連続に大正池分岐点を通過してしまいました!(>_<) 右へ・・・左へ行くと大正池だとか?!(>_<)

ゲゲッ!大正池?!(*≧m≦)プッ

此処まで上ったのに下り坂・・・って事は?(_ _;)

次は強烈な上り坂でした!(爆爆爆〜)

よーやく表山道?と合流!あと僅か?・・・

多賀大峯不動講社

大峯大日大聖不動明王石像

万灯呂山(大峰山)

大峰山は龍王の滝と共に雨乞いの神事が行われた所で滝で降雨を祈った村人達はこの山頂まで松明行列を行い枯木を積み上げて山焼きを行いました。この時の行列が万灯呂のように見えた事から万灯呂山と呼ばれるようになりました。山頂の展望台からの眺望は絶景で北は京都市、眼下の木津川の向こうには学研都市や生駒山系を臨みます。8月16日には「盆の送り火」も点火され多くの人達で賑わいます。

キララ@万灯呂山展望台・・・霞んでますがな!(爆)

山城、精華町方面

玉水橋、飯岡方面

飯岡〜京田辺市(学研都市)方面

山城大橋〜八幡市方面

京都市方面

下山中・・・涼しか〜

山間からの眺めです・・・

林間のダウンヒルは快適!(^_^)v

茶畑

山城大橋下で雨宿り中・・・(_ _;)

小止みになり出立した直後に強烈な雨風!

ズブ濡れで流れ橋に到着・・・(T_T)

木津川大橋(R1)が見えてきたとです・・・

雨雲の中からお日様が・・・

強烈な向い風の中、伏見を目指して第2京阪国道をチャリチャリ・・・ハ〜ックション!(爆)

Tourist  2005.523(M)

 

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