親鸞、鴨長明ゆかりの伏見・日野

 

明日ありと思う心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは 親鸞

 

長建寺〜法界寺(日野薬師)親鸞産湯の井、胞衣塚(えなづか)〜親鸞生誕の地・日野誕生院〜鴨長明閑居跡(方丈石)〜日野山

要所に地図をリンクしましたのでご参考に!(^_-)

親鸞生誕の地・日野 ☆地図

承安3年(1173年)、浄土真宗の開祖・親鸞聖人は、日野の里で生まれました。父は、日野氏一族の皇太后宮大進日野有範(ありのり)卿、母は、清和源氏・八幡太郎義家の孫娘・吉光女(きっこうにょ)であった。当地は代々、藤原北家の一流である日野氏の所領でした。初代・藤原真夏は「ここは、仏法有緑の地である。」という老翁「萓尾の翁」のお告げにより光仁天皇より当地を賜ったと伝わります。7代の孫にあたる藤原資業(すけなり)が別荘を営み、自ら出家して法界寺を建立し日野氏と称するようになった。以来、法界寺には、阿弥陀堂を始め五大堂、三重塔、観音堂、地蔵堂などが次々造営され七堂伽藍に輝く威勢を誇ったが、比叡山を焼き討ちにした織田信長の兵火に焼かれ、往時を偲ばせる現存の建物は、阿弥陀堂のみとなりました。

幕末維新のステージ・龍馬ゆかりの寺田屋 水の流れが戻った宇治川派流
朝ドラ・カーネーションに登場していた酒蔵 いよいよ十石舟の巡航始まる!(^-^)v 島の弁天さん・長建寺
近鉄京都線・澱川鉄橋(有形文化財:昭和期) 平戸樋門と観月橋 レトロチックな木造三階建ての温泉旅館
おけいはん(京阪電車・宇治線) 山科川、宇治川合流地 山科川右岸
・・・ かつては、宇治川(巨椋池)東端に位置した木幡池 地図
隠元禅師上陸の地・岡屋の津跡に架けられたので隠元橋と呼ばれる。 地図 「黄檗開山隠元禅師渡岸之地」記念碑(功徳碑)
京阪・黄檗駅近辺 シャッター商店街と化した黄檗新生市場 萬福寺塔頭・宝蔵院
墓参りへ・・ 鉄眼一切経収蔵庫 宝蔵院の甍
春の便り・・・スイセンの花(*^-^*) 霊苑からの宇治俯瞰
宝蔵院開山塔 大相撲3月場所・貴乃花部屋へ なかなかの激坂や〜(; ̄ー ̄A
大相撲春場所の貴乃花部屋・・・残念ながら、昼前だから?出払った後で誰もいませんでした。(^▽^;)
貴乃花部屋 紅梅 ・・・
住宅に囲まれている宇治陵14号 (@_@;)
藤原氏塋域碑 藤原摂関家、出身の皇室関係者の陵墓が37ヶ所は宮内庁に管理され、宇治陵1号は総遙拝所
旧奈良街道を北上・・・ 日野へ 道標石
法界寺(日野薬師) 地図

真言宗醍醐派に属する法界寺は、日野薬師とも言われ、一般に安産・授乳に霊験のあるお寺として知られています。弘仁13年(822年)、藤原家宗が薬師如来を祀ったのが始まりで、永承6年(1051年)、藤原氏一族、日野資業(ひのすけなり)が薬師堂を建立した寺院で「阿弥陀堂(国宝)」は兵火をかいくぐって残り、藤原時代の遺構として宇治・平等院鳳凰堂、大原三千院・往生極楽院や岩手県・中尊寺金色堂と並び貴重な平安時代の代表的な遺構とされる建物です。本尊の阿弥陀如来坐像も国宝に指定されています。僧によって元旦〜14日間、修正会と称して薬師堂で五穀豊穣、天下大平を祈願し結願の1月14日の夜、群参の内、精進潔斎した青少年、壮年の信徒が二組に分かれ、褌姿で水をかぶり身を清め、両手を上げて合掌しながら「頂礼ちょうらい頂礼ちょうらい」と連呼しながら踊ります。踊りに用いれられた下帯(褌)は、妊婦の腹帯として用いる信仰もあります。当夜は、牛王串(ごおうぐし)の御守が授与され、かす汁の振る舞いもあります。

日野だけに火の見櫓?!(≧▽≦)ぷっ ・・・ 乳薬師とも言われる日野薬師(法界寺)
境内 解説
阿弥陀堂 こま札 薬師堂(本堂)
親鸞聖人産湯の井、胞衣塚(えなづか)

親鸞聖人の誕生時に産湯に使われた閼伽井(あかい)の水で「産湯の井戸」と伝えられています。聖人の「えな」(胞衣:胎児を包む膜と胎盤)を埋納したという胞衣塚(えなづか)があります。

親鸞聖人の胞衣塚(えなづか)
親鸞聖人生誕之地・日野誕生院 地図

本願寺第20代・広如宗主の文政11年(1828年)9月、宗主・親鸞聖人の誕生地である日野を顕彰して1つの堂宇が建てられたのが日野誕生院の始まりです。親鸞聖人の父・日野有範(ありのり)卿に因んで有範堂とも宝物堂とも言われた。前代の本如宗主は、宗主の顕彰に熱意を示し、学僧に当地の調査をさせたり、日野家の菩提寺・法界寺との交渉をしました。文久2年(1862年)、講持の為、京都の同行の間に日野誕生講が結ばれました。第21代宗主・明如は、明治11年(1878年)、堂宇を日野別堂と改名、大正12年(1923年)、立教開宗700年記念の慶讃法要が営まれたのを契機に堂宇の一大改宗が計画され第23代宗主・勝如の昭和3年(1928年)5月、着工され昭和6年(1931年)5月、本堂が完成し落慶法要が営まれました。この時に、日野誕生院と改名され現在に至ります。

親鸞聖人産湯の井戸 鬼太郎と一反もめん?一子地のモニュメント!! 親鸞聖人生誕の地・日野誕生院
親鸞聖人生誕の地・日野誕生院 解説
いつ訪ねても隅々まで清楚に手入れが行き届いているので気持ちよく参拝できます!(*^-^*)
親鸞の歌碑 親鸞聖人童形の像(発心の像) 親鸞聖人生誕之地碑
日野家廟所
誕生院の北東傍に日野家の墓所があり日野家の先祖である真夏卿、有範卿、吉光女(きっこうにょ)などの五輪塔婆が並んでいます。
春の香り・・白梅 参道から日野俯瞰 日野家廟所
日野家廟所 日野家先祖・真夏卿、有範卿、吉光女などの五輪塔婆
「鴨長明方丈石 左八百米」道標 ・・・ 竹林のトンネル
方丈石(閑居跡)を目指して急坂の山道をチャリテチ・・・キララくんは、山道口で待機!
・・・ 以前来た時に比べて倒木など随分と道が荒れてるやんか〜(@_@;)
鴨長明閑居跡(方丈石)

口碑によると鴨長明が方一丈(3m余り)の小庵を営み「方丈記」を著わした場所と伝える。長明は元加茂社の神官として和歌、琵琶に優れました。後鳥羽院に認められ和歌所の寄人になったが、父祖の後を継いで神官になる事を望んだが果たせず年50の元久元年(1204年)に出家、洛北大原に隠棲しました。平安末期〜鎌倉初期の激変革期の中で幾多の天災地異を体験し自分の不遇、貴族社会の没落を併せて世の無常を痛感し建暦元年(1211年)、日野の外山に移り草庵を結び、「方丈記」を著しました。この地にある事、5年に及び建保4年(1216年)、64歳で没したと伝える。

・・・ 方丈石(閑居跡)碑 3m四方のでっかい巨岩!方丈石(閑居跡)
方丈石(閑居跡)上に方丈の庵が結ばれていた。(小庵は下鴨神社摂社・河合神社に復元) 方丈石の下のせせらぎ
方丈記に「峰によじのぼりて はるかにふるさとをのぞみ・・・」と記されているので峰を目指します・・。(; ̄ー ̄A
しかし、倒木の多さが目立ちました・・山道は随分と荒れています。
ボーイスカウトが設置してくれた、案内板が、大変に役立ちました。しかし、ユウレイ峠?レイのものが出るんでしょうか?・・・/(^◇^;)怖いぜ〜
こんな山中にたくさんの石仏群が?!(@_@;) SKB48かっ?!(^▽^;)爆
石仏の風化が進んでいて首落ちしてしまった石仏もあるけれど、日野の人たちの信仰心の篤さを感じられる。
小祠の中にも石仏が奉られている。 こんなところに岩清水が!(@_@;) 早速、岩清水を頂戴します!(^▽^;)爆
洪水峠を目指します・・ 坂を上りきると・・・洪水峠
プレートや赤いリボンが峠であることを示しているが峠からの展望は全く効かない!(>_<) 日野岳(日野山山頂)へ・・・
・・・ お〜賽の河原かっ!?(^▽^;)爆 これは立派なケルン(石積み)・・日野岳(日野山山頂)でつ!(^-^)v
日野岳373mと記された、幼稚園のかわいい登頂記念パネルなどもあります! ケルンの大きさがわかるでしょうか?(^_-)
とがった石でケルンの頂をとったどぉ〜(^▽^;)爆 どこが道かわからん(>_<)
いたるところに倒木など荒れ放題!(@_@;)
木々の合間から景色がどうにか見えます。 石仏群の所まで戻ってきました。
たくさんの石仏があります。 岩清水を汲んでいた2Lのペットボトルを回収! 分岐にある案内パネルが助かります!(^-^)v
しかし、このルートも無っ茶荒れてるな〜(>_<)
おいおい・・すぐ横は谷やんか〜(>_<) 大岩 ・・・
どこがルートかわかりにくい(>_<) ルートに合流できました!(*´ο`*)=3ホッ
・・・ ユウレイ峠・・レイのものが出るのか?(>_<) 大岩がゴロゴロ(@_@;)
この大岩の所は視界が開けて、絶景が拝せます!(^-^)v・・・日野の新名所・パノラマ岩と言うらしいが、正にパノラマ!素晴らしい絶景!!(^-^)v
パノラマ岩からの俯瞰・・南は生駒山系〜大阪〜天王山〜西山〜愛宕山の大パノラマが楽しめる!(^-^)v 
伏見桃山城が見える!ヾ(≧▽≦)ノヤッホ〜 愛宕山も見える!ヾ(≧▽≦)ノヤッホ〜
パノラマ岩からの大阪〜西山、洛西〜洛南〜洛中の絶景をきっと、長明さんも俯瞰したでしょうね?!
ユウレイ峠方面 レイのものに出会うのも嫌やし戻ります!(^◇^;) ・・・
所々の案内板が助かります!(^-^)v しかし、ルートが分かりづらいなぁ・・(~ヘ~;)
・・・ 分岐にある案内板 ・・・
鴨長明が方一丈(3m余り)の小庵を営み「方丈記」を著わした方丈石(閑居跡) 日野野外活動施設から眺める日野山
日野野外活動施設からパノラマ岩が見える?! ・・・ 段々畑?棚田??
平重衝(しげひら)ゆかりの善願寺(腹帯地蔵尊) ☆地図

近江国・坂本の聖衆来迎寺(地蔵教院)の末寺として創建。長保年間(999〜1003年)、恵心僧都源心を招き当地で再興されました。地蔵菩薩坐像(腹帯地蔵)は、重要文化財で鎌倉時代の作と伝わります。寺伝によれば、平重衝(しげひら)が生まれる時、安産を祈願の為に建立されたと伝わる。安産祈願の信仰がある。境内には、樹齢千年を下らないといわれる栢の木に先の住職によって彫られた不動明王があります。昔、この木から幽霊が出て街道を行く人々を怖がらせたと伝えます。

丸大根と高菜の漬物買いました!(^-^)v 白梅・紅梅 善願寺(腹帯地蔵尊)
稲荷神として祀られる陀枳尼天(だきにてん) 腹帯地蔵尊 幽霊伝説のある樹齢千年を下らない栢の木
世界文化遺産・醍醐寺 ・・・
JR奈良線・六地蔵駅 醍醐山〜日野山の稜線・・パノラマ岩が見える! 外環状線を西進・・・
観月橋交差点 杉玉と漆喰、焼杉板壁、犬やらいなどの建築意匠が絶妙な雰囲気を醸し出している酒蔵

Tourist 2012.03.19(M)

 

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