比叡山・延暦寺初詣

 

白雪の 消えぬにつけて 大比叡の 山の高さを 空に知るかな (桂のひと葉) 熊谷直好

 

比叡坂本→延暦寺(世界文化遺産)東塔・根本中堂→西塔・釈迦堂→東塔→無動寺谷弁天堂→明王堂→親鸞聖人御修行旧跡・大乗院

 

世界文化遺産・比叡山延暦寺 ☆地図

延暦寺は天台宗総本山です。延暦7年(788年)、伝教大師最澄は比叡山上に自ら刻んだ薬師如来像を本尊として、一乗止観院(根本中堂)を創立し比叡山寺と号したのが延暦寺の創始であると伝える。延暦寺という単一の堂宇は無く、東塔(とうどう)、西塔(さいとう)、横川(よかわ)の三塔からなり夫々の中堂(本堂)と付随する堂宇があり三塔十六谷三千坊と称され比叡山全体が延暦寺です。桓武天皇の平安遷都に伴い、都の鬼門の方向にある比叡山寺が官寺(国家を鎮護する為の寺院)に選ばれました。延暦寺と号したのは、伝教大師最澄没後の弘仁14年(823年)であると伝わります。その後、他山の宗教争い等で、しばしば多くの堂を焼失しましたが、その度に復興され現在に至ります。比叡山から数多くの名僧、高僧を輩出しており、平安〜鎌倉期に各宗派を広めた法然、親鸞、道元、一遍、栄西、日蓮らの僧もここで修行し日本仏教の発祥地とされる所以です。元亀2年(1571年)、織田信長の軍勢によって比叡山全山すべて焼き払われ建物で残ったのは西塔にある瑠璃堂のみとされ僧侶、坂本の住民など二千人以上が惨殺されました。その後、豊臣秀吉、秀頼、徳川家康、家光らによって延暦寺は復興されました。比叡山は日本仏教の母山とされ、文化遺産が豊富な寺院としても有名で63点の国宝、重要文化財を含む数百点もの寺宝を所蔵し世界文化遺産にも登録されています。かっては、皇室を檀越とし一般庶民を近づけずに長く女人禁制を守り続けていた叡山も今日では一般庶民に親しまれる寺院となりました。

不滅の法灯

不滅の法灯

比叡山延暦寺の総本堂、根本中堂には不滅の法灯が、千二百年という長い歳月の間途絶えることなく今に受け継がれています。

2015年の正月、京都市内は62年ぶりという22cmの積雪を記録・・・3日の朝も残雪しています。
近鉄・桃山御陵前駅 積雪している京都駅
雪国の風情・・・JR京都駅
湖西線で坂本を目指します・・・
かなり積雪している近江坂本にとうちゃこ〜(*゜▽゜)/
比叡山を目指します・・・
生源寺:しょうげんじ地図

比叡山延暦寺の開祖・伝教大師最澄の生誕地と伝える寺です。山門を入った右手の古井戸は最澄の産湯に使われたという伝説があり、毎年8月18日には盛大な誕生会が行われます。西塔の総里坊で、一山の寺務総括をしていた重要な里坊であった事もあり、叡山文庫に多くの「生源寺記録」が残されています。現在の本堂は文禄4年(1595年)、詮瞬(せんしゅん)によって再建された後、宝永7年(1710年)に改築されました。本尊は十一面観世音菩薩像で、最澄の弟子・慈覚大師円仁の作と伝える。

伝教大師最澄生誕の地・生源寺 伝教大師最澄幼少像 伝教大師最澄生誕の絵画
日吉大社参道

日吉大社の石鳥居をくぐると、石灯篭の並ぶ参道両側に坂本の南にある穴太(あのう)に居住した石工達による天然石を巧みに積み上げた穴太衆積み(あのうしゅうづみ)の石垣が続き参道に並ぶそば屋の手打ちそばと共に門前町・坂本の名物になっています。

日吉大社地図

比叡山の麓に鎮座する日吉大社は、約2100年前、崇神天皇7年に創祀されたと伝える全国3800余の日吉・日枝・山王神社の総本宮。平安京遷都の際には、この地が都の表鬼門(北東)にあたることから、都の魔除・災難除を祈る社として、また伝教大師が比叡山に延暦寺を開かれてよりは天台宗の護法神として多くの方から崇敬を受けています。

穴太衆(あのうしゅう)積みの石垣が続く参道 日吉大社  
坂本ケーブル(登録有形文化財)地図

昭和2年(1927年)に開業した坂本ケーブルの洋風建築のケーブル坂本駅、延暦寺駅は、平成9年(1997年)12月、駅舎としては国内では3番目(山口県・JRの萩駅、島根県・一畑電鉄の出雲大社前駅)の国登録有形文化財に選定されています。平成13年(2001年)、ケーブル延暦寺駅は近畿駅百選にも選ばれました。ケーブルの全長は2,025mあり、日本一長いケーブルです。坂本駅〜延暦寺駅を約11分間で運行しています。因みに昭和19年(1944年)2月、廃線になった愛宕山ケーブルも当時としては日本一の長さ(約2,000m強)と技術水準を誇ったと伝えます。

ケーブル坂本駅・・・京都側からのアクセスがなく坂本ケーブルが唯一の公共交通機関です。
ケーブル坂本駅とケーブル延暦寺駅間、日本最長の2025mを約11分で結ぶパノラマワイドな窓をもつヨーロッパ調のケーブルカー
運転席 出発進行〜!(*゜▽゜)/ ・・・

ケーブル延暦寺駅にとうちゃこ〜

かつて、駅裏山の山頂には・・・

比叡山(848m)山頂付近に極秘に建設された特攻兵器「桜花」の発射基地

桜花発射基地は8月15日完成予定でしたが、この日は、日本が終戦を迎えたため、桜花が 配備されることはなかった。施設は戦後すぐに米軍に破壊され、研究者によると基地の存在を示す資料としてカタパルトの遠景や回転台の一部を写した写真2枚と、特攻隊員の記憶を頼りにしたメモなどが残るだけです。

本土決戦に添えて桜花のカタパルト(発射台)が建設されていた・・・(@_@;)
東塔(とうどう)地図

比叡山延暦寺の総本堂でもある根本中堂(国宝)があり、伝教大師自作の秘仏の本尊薬師如来像を祀る宝前に1200年間灯り続ける「不滅の法灯」が光り輝いています。それぞれの一宗を開基された阻師像が安置されている大講堂、戒壇院、文殊楼、法華総持院、阿弥陀堂など重要な塔堂が数多く集まっています。

薩回峰行者が全国の神仏遥拝する万拝堂
今年も・・鶴喜の比叡そば定食 (^^♪ 凄い積雪でござる・・・(@_@;)
大講堂(だいこうどう:重要文化財)

五年に一度の法華大会(広学堅義:こうがくりゅうぎ)を始め経典の講義などに使用されるお堂で昭和31年(1956年)の焼失後坂本にあった讃仏堂を移築し本尊に胎蔵界大日如来を祀り聖徳太子、桓武天皇始め比叡山で修行した法然、親鸞、栄西、道元、日蓮などの各宗祖師の木造が安置されています。

大講堂・・・参拝しました。(^-^)v 鐘楼(開運平和の鐘)
今年も根本中堂(国宝)で僧から、ありがたい幸先矢と牛王印を頂きました! ☆⌒(*^∇゜)v
根本中堂(こんぽんちゅうどう:国宝) ☆地図

根本中堂は東塔の中堂(本堂)であるだけでなく延暦寺第一の総中堂(本堂)でもあります。延暦7年(788年)、伝教大師最澄は一乗止観院(現・根本中堂)を創建し自らが刻んだ薬師如来像を安置して比叡山寺と号しました。これが延暦寺の始まりです。現在の建築は徳川家光の命により復興されたもので寛永19年(1642年)、落慶法要が営まれその後大小の修繕が加えられ現在に至っています。桁行は11間(20m)、奥行6間(11m)で中堂の前庭をコの字型に約90mの回廊が取り囲んだ入母屋作りの壮麗な建築物です。中央の大厨子には秘仏の薬師如来像祀られ、その前には開創以来1200年間灯され続けている「不滅の法灯」があります。

最澄自作の三面大黒天を祀る大黒堂・・・朱印を頂戴いしました。(^-^)v 円仁が創建した比叡山総門の文殊楼

文殊楼(もんじゅろう)地図

慈覚大師円仁が中国五台山の文殊菩薩堂に倣って創建しましたが寛文8年(1668年)に焼け、その後建てられたのが現建築です。楼上に文殊菩薩が祀られ受験生の合格祈願にご利益があります。根本中堂前の石段を上がった所にあり比叡山の総門の役目を果しています。数えませんでしたが石段は「悟りには、52段階がある」という意義から52段あるとの事です。この高さは、根本中堂の屋根と同じ高さだと言われています。

戒壇院(かいだんいん:重要文化財) ☆地図

天台宗の僧侶が受戒する道場として重要なお堂です。戒壇建立は伝教大師の入寂後に勅許がおり第一世天台座主・義真の時に創建されました。内陣には本尊の釈迦如来坐像と僧形の文殊菩薩、弥勒菩薩が祀られています。

江戸初期に再建され大乗戒を授かる戒壇院
阿弥陀堂(あみだどう)地図

昭和12年(1937年)の比叡山開創法要を記念して建立されました。本尊は阿弥陀仏坐像で全国の壇信徒、有縁各家の先祖を祀り念仏回向が日々行われています。

・・・ 悟りへ52段階が必要とされる52段の石段 法華総持院東塔、阿弥陀堂
法華総持院東塔(ほっけそうじいんとうとう) ☆地図

伝教大師最澄は、日本全国6ヶ所の聖地に宝塔を建立しました。「六箇所の宝塔」の中心をなすものとして貞観4年(862年)、慈覚大師によって創建されましたが、元亀2年(1571年)9月、織田信長の比叡山焼き討ちにより焼失。400年以上たった昭和55年(1980年)に再建されました。上層部に仏舎利と法華経1000部、般若心経50万巻、100万遍の念仏名号を納め下層部の須弥壇には胎蔵界大日如来を中心に五仏が祀られています。

宗派を問わず先祖の回向が受けられる阿弥陀堂 法華総持院東塔 東塔をあとに・・スリップに気をつけて西塔へ
弁慶水
浄土院〜山王院〜根本中堂に至る道中に有り千日間、山王院(千手院)に参籠していた弁慶が汲んだ水とも伝え、現在も水が湧き出ています。
・・・ 弁慶が汲んだと伝える弁慶水 無縁仏(慰霊碑)
・・・ 弁慶が千日間、参籠した山王院(千手院)
浄土院(伝教大師最澄御廟) ☆地図

伝教大師の御廟がある浄土院は、弘仁13年(822年)6月4日56歳で入寂された大師の遺骸を、慈覚大師が仁寿4年(854年)7月ここに移して安置している比叡山で最も清浄な聖域とされています。現在も僧侶が生前と同じように大師の霊前に仕えています。厳しく戒律を守り十二年を一期とし籠山(ろうざん)して行に励んでいます。

山王院〜浄土院への石段・・・・ 浄土院(伝教大師最澄御廟)
浄土院(伝教大師最澄御廟)・・・今年も無事参拝させていただきました。m(__)m 最澄御廟をあとに西塔(釈迦堂)へ・・
弁慶が両堂を担いだと伝える荷い堂(にないどう:重要文化財) ☆地図

渡り廊下でつながった阿弥陀如来を本尊とする常行堂、普賢菩薩を本尊とする法華堂を俗に荷い堂と呼ばれます。弁慶が渡り廊下を天秤棒にして両堂を担いだという伝説から荷い堂と称されたと伝わります。にない堂では四種三昧行という修行が行われる。四種三昧は常坐、常行、半行半坐、非行非坐からなり、常坐は90日間、食事とトイレを除き一日も休むことなく坐禅し続ける行であり、常行は90日間本尊阿弥陀如来の周りを歩き続ける過酷な行であると言われます。

弁慶が渡り廊下を天秤棒のようにして、担いだと伝える荷い堂(にないどう) (@_@;)
西塔(さいとう)

塔より1km離れた西塔は山上で最も古いお堂で天台建築様式の代表とされる荘厳な釈迦堂、伝教大師の御廟である浄土院、弁慶の荷い堂と呼ばれる常行堂、法華堂や織田信長の焼き討ちを唯一免れた瑠璃堂など訪れる人達にやすらぎと神秘の世界へ導いてくれるのが西塔地域と言われます。

西塔の中堂(本堂)・釈迦堂にとうちゃこ〜(*゜▽゜)/ 釈迦牟尼佛
さすが比叡山・・・50cmは積雪しています。。。(@_@;)
相輪橖(そうりんとう:鬼門柱:重要文化財)
高さ約10mの青銅製の相輪で鬼門柱とも呼ばれ明治28年(1895年)に改修され、塔内には法華経、大日経などの経典が収められています。
・・・ この辺りに西塔があったと伝え経典が納められる相輪橖(そうりんとう)
織田信長の焼き討ちで光背を欠損したと伝える弥勒石仏(鎌倉初期作) 積雪で道が消えてます。。。(>▽<;;
無動寺谷(東塔別格)地図

無動寺谷は比叡山の標高550mの中腹、坂本ケーブル・延暦寺駅の南に位置している。無動寺谷は、回峯行者の拠点であり不動信仰の谷になっている。無動とは、不動、不動明王を意味し、不動明王は大日如来に代わり、回峯行者を守護するとされている。慈覚大師円仁の弟子・相応和尚が不動明王を信仰し無動寺谷に草庵を結び修行をし貞観7年(865年)、明王堂を建立しました。東塔の中心より南側にあり南山とも称され東塔の別格です。無動寺谷は回峰行の本拠で弁天堂、明王堂、護摩堂、大乗院などが点在しています。本堂の明王堂は、比叡山を代表する荒業で知られる千日回峰行の根本道場です。本尊は不動明王像と、二童子像の三尊像で不動明王像は重要文化財に指定されています。弁天堂は白蛇出現の霊地とされ毎年9月の巳の日に「巳成金:みなるかね」の大祭が行われます。

無動寺谷参道(無動寺坂) ・・・
閼伽井(あかい)・・・閼伽は仏に供える清浄水を意味し閼伽を汲む井戸の事です・・・ 無動寺弁財天堂参道口
無動寺弁財天堂 ☆地図

相応和尚き来る日も来る日も山中を歩き続け、拝み続けました。回峰中の相応和尚を守る為に白蛇として出現したと伝える弁財天を祀っています。正月の初巳や巳成金の法要には坂本、京都、大阪などからの参拝者で盛況になります。

無動寺弁財天堂にとうちゃこ〜(*゜▽゜)/
無動寺弁財天堂
百日、千日(無道寺谷)回峰行の本拠・無動寺谷(東塔別格)

回峰行とは無動寺谷を開いた相応和尚が始めた行で毎日休む事なく比叡の峰を歩く修行で行者が歩く道を行者道と言います。白装束のいでたちは、浄衣とよばれ腰には死出紐(しでひも)、降魔の剣(こうまのけん)をつけます。回峰行は礼拝行で諸堂だけでなく霊木、霊石、霊水まであらゆるものに礼拝し1日に約30km歩きます。行に入れば休む事は許されず万一、挫折の時は死出紐で首を吊るか、降魔の剣で自決すべしという行不退とされます。百日回峰行とは3月下旬の深夜2時に本堂を出発し最初の1日だけは大先輩が先導しますが2日目からは漆黒の闇に閉ざされた比叡山を一人で歩きます。無動寺〜東塔〜西塔〜玉体杉(ぎょくたいすぎ)〜横川〜八王子山〜日吉大社に出て神々に礼拝し坂本を通り無動寺坂の急坂を登って無動寺谷へ帰ってくるコースを百日間休まずに歩き続けます。同じ道、同じ石を踏んで同じ時間に同じ場所を通ります。75日目には京都切廻り、残り25日を終えて葛川参籠(かつらがわさんろう:夏安居 げあんご)に入って満行となります。千日回峰行とは比叡山を千日間歩き続けて不動明王と一体化するという荒行中の荒行ですが、千日は7年間をかけて修行します。まず七百日間(1〜5年間)は、毎日、午前1時より勤行し、午前2時前に本堂を出発します。漆黒の山道を山上から山麓までの約30kmを約7時間で歩破します。第七百日(5年目)は「堂入り」と言われ明王堂に参籠し9日間の断食、断水、断眠、不臥で念誦修法に専念する行は最大の難関で一週間を過ぎると死臭が漂い、瞳孔が開くとされる命賭けの大苦行です。七百日を満行すると「阿闍梨:あじゃり」と称されます。次の百日間(6年目)は、約30kmの他に雲母坂(きららざか)を越えて京都、赤山禅院迄の約60kmを加えた赤山禅院往復となり更に次の百日間(7年目)は洛中、洛外の寺社を巡礼する京都大廻りが加えられ、一日約84kmを歩破します。最後の百日間(7年目)は約30kmの行程に戻って千日を満行しますが最後の百日間は75日をもって満行とし残り25日足りないのは一生をかけての行という意味です。千日回峰行を満行した行者は「大阿闍梨」と尊称され京都御所へ土足で参内し天皇の玉体加持の儀を行う事になっていました。

無動寺明王堂へ・・・
無動寺明王堂(本堂) 地図

貞観7年(865年)に相応和尚が「無動寺」を建立した事に始まり本堂明王堂は、千日(無動寺谷)回峰行の根本道場です。本尊は「不動明王像」で重要文化財に指定されています。無動寺谷は東塔に属し比叡山の南端にあるので叡南(えなみ)、又は南山とも称されます。

無動寺明王堂は千日回峰行の根本道場
法曼院 地図

無動寺谷の総本坊で千日回峰を満行した大阿闍梨が輪番で住持し相応和尚を祀り、不動明王に仕えて弟子の行者を育て信徒の為に加持祈祷をしています。

無動寺谷の総本坊・法曼院 ご朱印を頂きました!(^-^)v 護摩堂
大乗院(親鸞上人修行の地) 地図

親鸞上人の師で「愚管抄」を著した慈鎮和尚が学問興隆に励んだ寺で親鸞も10歳〜29歳までこの寺を中心に修行に励みんでいました。親鸞上人作の「そば食い木像」があります。

母なる琵琶湖俯瞰!\(●⌒∇⌒●)/ 淡水湖で唯一生活者がいる沖ノ島が見えるでござる!(*゜▽゜)/
霞みの琵琶湖 浜大津俯瞰!\(●⌒∇⌒●)/
浜大津俯瞰!\(●⌒∇⌒●)/ レトロチックなケーブル延暦寺駅
レトロチックなケーブル延暦寺駅
ケーブル坂本駅 ・・・ ・・・
・・・ 日吉大社 穴太衆(あのうしゅう)積みの石垣が続く参道
・・・ ・・・ JR湖西線・坂本駅
サンダーバード通過! 大ムカデの伝説がある近江富士こと三上山(*゜▽゜)/
3代目新快速・117系、営業Max:110km・・・京都行き普通車に乗車!(*´ο`*)=3ホッ(*´ο`*)=3ホッ(*´ο`*)=3ホッ
近鉄・桃山御陵前駅にとうちゃこ〜(*゜▽゜)/

無事、帰宅(*´ο`*)=3ホッ

 Tourist.201 5.01.03(Sat)

 

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