Pちゃんズの近江紀行「太閤さんの城下町・長浜編」

 

をりをりに 伊吹を見てや 冬籠もり   芭蕉

 

太閤さんの城下町・長浜と長浜城

長浜は西に日本一大きな琵琶湖を擁し東には日本百名山の一に数えられる滋賀県一高峰の伊吹山が聳えます。天正元年(1573年)9月、浅井氏が滅亡すると木下藤吉郎は戦功により浅井氏の領地の大部分を与えられ羽柴秀吉と名乗り小谷城へ入城し城持ち大名に出世しました。翌、天正2年(1574年)夏頃に今浜(長浜市公園町付近)に築城を開始しました。秀吉の狙いは琵琶湖の舟運を重視した領国経営にあったとされます。秀吉の築城に関して当時の絵図、古文書が現存せず不明な部分も多く材木は竹生島などから運んだ事、石垣などの石材は領内から集められ石仏、五輪石塔、墓石まで利用されたと記録されています。天正3年(1575年)秋頃に小谷城から今浜城へ移り地名を主君の信長に因んで「長」の字を使い長浜と改め天正10年(1582年)頃まで居城しました。この間、秀吉は長浜城から信長の先兵隊として北陸攻めや中国攻めに出陣しました・・・今回の近江紀行で訪ねた竹生島、長浜は伏見城遺構が伏見以上に現存し桃山文化の宝庫と言っても過言ではなく特に長浜は秀吉が最初に築いた長浜城の城下町です。Pちゃんズの地元(伏見)も後に秀吉によって築かれた伏見城の城下町で太閤秀吉の終焉の地ともなりました。どことなく長浜と伏見の町並みや風情が似ていると感じました。今回、時間の都合で長浜を周りきれませんでした。夏休みに再訪しようかなと思いますが局長(Pちゃん)にお伺いしないと・・・(爆)

長浜城

湖北は室町時代末期〜安土桃山時代に織田信長、豊臣秀吉の天下統一の動乱に巻き込まれ特に長浜は秀吉が湖畔(今浜)に初めて居城を築き長浜と名付けました。城下に楽市楽座を設け商業都市・長浜の基礎となった城下町を築きました。現在の城は昭和58年(1983年)に歴史博物館として再興され歴史的な資料を数多く展示しています。秀吉は天正2年(1574年)夏に築城を開始し長浜に改めました。長浜城は南北朝時代のバサラ(婆沙羅)大名の京極導譽が建てた今浜城を改修したと伝わります。後に柴田勝豊、山内一豊、内藤信成らが長浜城主になりましたが、元和元年(1615)、一国一城令によって廃城され建造物や石垣の大半が彦根城建設の為に運び出されたれました。バサラ(婆沙羅)とは、華美な風流を好み豪放磊落(らいらく:山などの険しく高い様。心が広く、性質がさっぱりしている様。快活で、細かな事にこだわらない様など。)な振る舞いを意味する室町時代の流行語です。

半世紀の歴史ある長浜の盆梅

長浜城内掘跡碑

長浜城御殿跡碑

長浜城(豊公園:ほうこうえん:日本桜名所100選)

長浜城石垣出土地碑

太閤井戸跡(長浜城遺構)

天正2年(1574年)夏に秀吉が長浜城築城を開始した時に掘らせた太閤井戸跡で石垣の一部と共に数少ない長浜城遺構です。

太閤井戸跡・・・太閤井戸とは琵琶湖?ん??竜神さまが出現?!(*≧m≦)プッ

長浜城の近景

太閤秀吉像と長浜城天守閣跡とです・・・ねね様もおあしまする?!(*≧m≦)プッ

長浜城(歴史博物館)

長浜領境界跡碑

天守閣(歴史博物館)

天守閣パノラマ展望台からの伊吹山方面

パノラマ展望台からの琵琶湖の眺め・・・左から彦根〜安土方面、比良山方面、竹生島方面

長浜城本丸跡碑

長浜城御蔵屋敷跡碑

長浜鉄道スクエア(現存最古の旧長浜駅舎)

長浜鉄道スクエア(旧長浜駅舎鉄道資料館)

明治15年(1882年)、北陸本線の始発駅とて建設された初代の長浜駅は、現存する日本最古の駅舎として神戸の鹿鳴館と同時期に建設されたと伝えます。この資料館には、貴重な鉄道資料などが多数展示され第1回の鉄道記念物に指定されました。イギリス人技師が設計した洋風2階建て、文明開化を象徴する近代化遺産で館内には、駅長室や待合室など当時の駅舎を再現しています。

当時の出札口・・・Pちゃんズ御一行様?(爆)

1、2等待合室・・・1等待合室に、どこぞのコイさん?!(*≧m≦)プッ

倉庫係室、駅長室(右)入り口

改札口

蒸気、電気機関車を展示しているとです・・・

D51形蒸気機関車と唯一現存するED70形交流電気機関車、Pちゃん敬礼!出発進行?!(*≧m≦)プッ

慶雲館

慶雲館と盆梅展

明治20年(1887年)、地元の浅見又蔵氏が私財を投じて明治天皇が京都行幸の帰路での行在所として建設され当時の総理大臣・伊藤博文が「慶雲館」と命名しました。25周年を記念して明治45年(1912年)、庭匠の七代目・小川治兵衛(植治)により庭園が増設されました。「慶雲館」と長浜の盆梅展(ぼんばいてん)は、東浅井郡浅井町高山の高山七蔵翁が生みの親で高山翁が丹精を込めて育て上げた盆梅を多くの人達に楽しんでもらおうと昭和26年(1951年)12月に長浜市に着そうされたのが始まりで現在、長浜市は約500株の盆梅を所有し約150鉢が、それぞれの盆梅の一番見頃名時期(1月中頃〜3月中頃)にローテーションを組んで入れ替え展示されます。

慶雲館・・・盆梅展が開催される・・・

レトロな長浜浪漫ビールと舟板塀(米川・朝日橋)

長浜城外堀跡碑(米川)

舟板塀

長浜を縦断する北国街道は中山道と北陸を結んだ交通の要衝でした。長浜は港町として栄え京都、大阪からの船便が到達する港で下ろされる荷物は、北国街道を介して北陸方面へと運ばれました。米川を渡ると、その通りには舟板塀と呼ばれる船の側板など廃材を外壁として使用した家屋が建ち並びます。

風情がある昔の港から続く道沿いにある舟の廃材を利用した舟板塀

レトロなガス灯

潤徳安民碑

徳勝寺(浅井家三代の墓所)

浅井家三代の墓所

浅井氏は、北近江の小谷城主として勢力があった戦国大名でした。浅井亮政が北近江を制圧し子の久政、孫の長政と続きます。元亀元年(1570年)6月、姉川で織田・徳川連合軍に敗れ天正元年(1573年)8月、織田信長に攻められ朝倉氏の滅亡に続いて小谷城も落城し浅井久政、長政父子は自刃して果て浅井家は滅亡しました。落城直前に秀吉の機転によりお市の方と3人の娘(茶々:秀吉側室で後の淀殿、お初:京極高次室、お江:徳川秀忠室)は城を脱しました。徳勝寺は元、小谷城下にありましたが秀吉によって長浜に移され浅井家三代の墓所として浅井久政、亮政、長政の三基の宝篋印塔(ほうきょういんとう)が並んでいます。

浅井家三代の墓所(左から長政、亮政、久政)

妙法寺(秀吉の子・秀勝の墓所)

長浜御坊「大通寺」表参道

長浜御坊「大通寺」

真宗大谷派(東本願寺)の別院で正式には無礙智山(むげちざん)大通寺と号します。長浜御坊の名で親しまれています。本願寺12世・教如上人が湖北門徒に仏法を布教する為の道場を旧長浜城内に開いたのが興りです。当時は長浜御堂と呼ばれ安土桃山時代末期、京都に東本願寺が建立され御堂を大通寺とし、その4年後に現在地に移築しました。伏見城の遺構と伝わる本堂や大広間は華やかな桃山文化の名残を感じさせます。山内一豊の時代に長浜城の大手門を移築した脇門(台所門)など建造物の多くが国や市の重要文化財です。県指定の文化財としては、南北朝時代の銘を刻んだ梵鐘など建物やその内部の美術品は国の文化財に指定されています。客室(含山軒、蘭亭)内部の障壁は、狩野山楽・山雪、円山応挙によって描かれました。鑑賞式枯山水の「含山軒庭園」は伊吹山を借景とし鑑賞式池泉庭園の「蘭亭庭園」も優れた名園で共に国の名勝に指定されています。

風情のある大通寺表参道

大通寺山門(長浜市指定文化財:江戸期)

鐘楼

玄関付大広間(伏見城遺構/重文:桃山期)

本堂(伏見城遺構/重文:桃山期)

脇門(長浜城遺構・大手門/長浜市指定文化財:桃山期)

出ました〜?!Pちゃんスペシャルとです・・・

夜門

どこか伏見に似た町並み

町中に点在する曳山庫(壽山)

長浜城大手門跡辺り

豊国神社

安土桃山時代、秀吉の没後に長浜の町民が遺徳を偲んで建立しました。事代主大神、豊臣秀吉、加藤清正、木村重成を祭神としています。大坂夏の陣で豊臣家が滅びると徳川幕府は秀吉を神として祀る事を禁止し神社を取り壊すよう命じました。長浜の町民は、商売の神である恵比須(えびす)神を表向きにし奥殿に秀吉像を密に祀り神社を守り続けました。明治31年(1898年)、秀吉の300回忌に社殿を再興して現在の社容を整えました。

豊国神社

賤が岳の戦いの「七本槍」の一人、加藤清正像

本殿

出世稲荷社

三献の茶・・・秀吉と三成の出会いの碑

長浜城主となった秀吉は、ある日、領内で鷹狩をしました。その帰途に喉の乾きを覚えて、ある寺に立ち寄り茶を所望しました。対応した寺の小姓は、まずぬるめの茶を一杯に入れた大ぶりの茶碗を出しました。喉が乾いていた秀吉は、それを一気に飲み干しもう一杯所望しました。次に小姓は、やや小ぶりの茶碗に、やや熱めの茶を出しました。秀吉がもう一杯所望したところ、今度は小ぶりの茶碗に熱い茶を入れて出しました。小姓の気心配りに感心した秀吉は、その小姓を城に連れ帰り家来としました。この小姓が後に五奉行の一人となった石田三成と伝えます。

長浜城家臣団屋敷跡

三献の茶に因んだ秀吉、三成出逢いの碑

JR桃山

Tourist  2005.06.13(M)

 

 

<参考資料> 秀吉と長浜(市立長浜城歴史博物館)

秀吉さんのまち探険(地域情報誌みーなびわ湖から・・・)

ながはま文化考現学(長浜市)、その他

 

関連コラム

Pちゃんズの近江紀行「竹生島編」

Pちゃんズの近江紀行「竹生島編」

Pちゃんズの近江紀行「湖都周遊編」

Pちゃんズの近江紀行「湖都周遊編」

Pちゃんズの近江紀行「烏丸からすま半島編」

Pちゃんズの近江紀行「烏丸からすま半島編」

Pちゃんズの近江紀行「竹生島編」

近江紀行「秀吉の城下町・長浜」

Pちゃんズの近江紀行「竹生島編」

近江紀行「井伊家35万石の城下町・彦根」

きらら坂ウォーキング散策

きらら坂ウォーキング散策

三条大橋〜逢坂山峠越え・・・東海道歩(ほ)っこ〜り探訪

三条大橋〜逢坂山峠越え・・・東海道歩(ほ)っこ〜り探訪

Pちゃんズの延暦寺散策

Pちゃんズの延暦寺散策

宇治川、瀬田川(宇治川ライン)「宇治川編」

宇治川、瀬田川(宇治川ライン)「宇治川編」

宇治川、瀬田川(宇治川ライン)「瀬田川編」

宇治川、瀬田川(宇治川ライン)「瀬田川編」

 

Pちゃんズの古都珍道中記 Pちゃんズの古都珍道中記

 

洛雅記 洛雅記2005年探訪コラム

 

inserted by FC2 system