近江紀行「井伊家35万石の城下町・彦根」

 

鮒ずしや 彦根の城に 雲かかる 蕪村

 

天寧寺〜佐和山(佐和山城跡)〜清涼寺〜龍潭寺〜長寿院〜名勝・玄宮園〜彦根城

 

小江戸情緒あふれる井伊家35万石の国宝・彦根城界隈

関ヶ原の合戦で勝利した徳川家康の命により石田三成の居城だった佐和山城を一掃する為、彦根城は慶長3年(1604年)に築城が開始され金亀(こんき)山の自然地形を活かして大津城、長浜城、佐和山城などの城門や石垣を用いて建設されました。戦略的な城郭の様相でありながら優美な城姿は近江随一の名城と言われます。国宝の天守閣を始め要所の各楼が重要文化財に指定され現存する建造物の殆どが近世城郭の姿を伝え徳川幕府の譜代大名・井伊家は彦根で西国大名勢力の抑えとして200有余年君臨しました。

JR彦根駅に着いたとです・・・

彦根35万石の藩祖・井伊直政像

彦根由緒碑

JR彦根駅

近江鉄道彦根駅

近江鉄道

天寧寺(てんねいじ)

曹洞宗の寺で萩の寺とも言われ、城主・井伊直中(直弼の父)が、腰元・若竹の不義をとがめて母子を死罪に罰した後、相手が自分の息子とわかり、自分の過失を認めて若竹と初孫の菩提を弔う為に創建されました。境内の十六体の羅漢像は、十六ケ国の大名から贈られました。京都の名工・駒井朝運に刻ませた木造五百羅漢は「亡き親、子供、愛しい人に会いたくば、五百羅漢堂に篭れ」と伝え、必ず自分の探し求める人の顔があると言います。庭は直弼(なおすけ)好みの借景の石州流庭園で、羅漢堂の東に地蔵像があり、山門脇に直弼の供養塔や直弼の参謀格だった長野主膳(ながのしゅぜん)の墓、たか女の碑などがあります。

近江鉄道が保有している貨車

天寧寺参道

羅漢堂(仏殿)

堂(本堂)と石州流庭園

布袋尊

彦根城、城下町の眺望

大老・井伊直弼(いいなおすけ)供養塔

説明碑によると大老・井伊直弼が桜田門外の変で暗殺された際、身につけていた血染めの遺品を四斗樽に入れて供養する為に建立された供養塔です。

仏足石

井伊直弼供養塔

五百羅漢像

五百羅漢像

宝冠釈迦如来、十大弟子、五百羅漢像

五百羅漢像

羅漢堂(仏殿)

ん?んん??廃線跡の橋脚台???

間違いない!廃線跡とです・・・

近江鉄道の佐和山トンネルが見えるとです・・・

電車が走ってきたとです・・・

湖東焼窯場跡

石田三成の豪壮な城が築かれていた佐和山(佐和山城跡)

佐和山(標高233m)は、琵琶湖、関ヶ原にも近く、彦根側山麓には入江内湖、松原内湖が広がり古来、水陸交通の要衝にあり近江の南北勢力により争奪が繰り返されました。鎌倉時代初期、近江守護・佐々木定綱の六男・佐保時綱が館を築いたのが始まりと伝え、一に佐保城と言われました。天正18年(1590年)、石田三成が城主となり5層の天守閣を構える城に大改築し「三成にすぎたる城」と言われました。三成が関ヶ原の戦いで敗れた後、井伊直政が新城主となったが、慶長11年(1606年)、彦根城築城に伴い廃城になり建築物の多くは彦根城、山麓にある清涼寺、龍潭寺に移築され大手門は、京橋通りにある宋安寺の表門(赤門)に利用されています。城遺構は皆無に近く、わずかに山腹に石田群霊碑が残ります。

石田三成の居城があった佐和山・・・石垣は城遺構とは違うかな?

佐和山から彦根城を望むとです・・・

清涼寺

井伊家歴代の菩提寺で井伊直弼が参禅修行した寺でもあります。井伊家が、石田三成と戦死者の供養の為に、石田三成の重臣・島左近の屋敷跡に建立したと伝えます。

佐和山城跡

そばをJR東海道線が走るとです・・・

清涼寺

山門

庫裡

座禅堂
 龍潭寺(りょうたんじ)

弘徳山と号する臨済宗妙心寺派の寺で通称、だるま寺と言われます。井伊家始祖・共保(ともやす)以来の井伊家の菩提寺です。奈良時代の天平5年(733年)、行基が遠江国(静岡県)井伊谷(いいのや)に開基しました。関ヶ原の戦の武功により佐和山城主となった井伊直政が僧・昊天に命じ、当地(佐和山々麓)に移築しました。禅僧の研修道場で多数の造園学僧が実習として造った庭園が残り方丈南庭は「普陀落の庭(ふだらくのにわ)」として名高く、当地の数少ない方丈建築の一とされる方丈(江戸初期)には、芭蕉十哲の一人である森川許六(もりかわきょりく)の襖絵や、石田三成の遺品などが残されています。境内には石田三成像があり徳川家を倒そうとした石田三成と徳川家を守る事を使命とした井伊家が同在しています。

井伊直憲(いいなおのり)埋髪塚

井伊直憲は、井伊直弼の嫡男で桜田門外の変後、直弼を継いでわすが13才で彦根藩最後の藩主となりました。後の戊辰戦争で彦根藩は藩是を勤王に方向転換し倒幕軍として参戦しました。

本堂

井伊直憲(直弼の嫡男)埋髪塚

龍潭寺

石田三成群霊供養塔

石田三成坐像

清々しい雰囲気の境内

山門

大洞観音堂

観音お告げ七福神

井伊神社

天保13年(1842年)、井伊直亮が創建した井伊家の始祖・井伊共保(ともやす)を祀っています。

仏足石

いい雰囲気とです・・・

井伊神社

長寿院(大洞弁財天:おおほらべんざいてん)

真言宗醍醐派の寺で正しくは長寿院と言いますが日本三大弁財天の一と伝える弁財天坐像を安置している事から大洞弁財天と呼ばれます。商売繁盛を祈願する人々で賑わっています。彦根城の北東(表鬼門)に位置し、鬼門除けとして日光東照宮建立の総奉行であった井伊直興(なおおき)が、厄除けと城を守る備えとして建立し権現造りの堂舎は内外塗装、極彩 色が施され彦根日光と言われ楼門の扉が額縁となって彦根城が真正面 に見渡せます。 楼門(二天門)は、日月の二神像を安置し楼上には大黒天像四千体を安置しています。

本殿

元禄12年に建立され唐様式を主体とした経堂

阿弥陀堂

毘沙門天などが安置され彦根城と向かい合っている楼門から彦根城を眺めるとです・・・

元禄8年に建立された校倉造りの宝蔵

弁財天堂(本堂:重要文化財:江戸期)

三大弁財天の一とされる弁財天

楼門

参道からの彦根城の眺望

参道の石段

参道途中をJR東海道線が走るとです・・・

彦根城外濠?琵琶湖に繋がっているとです・・・

外濠(旧中濠)に咲くハス

日本の都市公園100選碑

金亀公園碑

内濠とです・・・

楽々園(槻けやき御殿)

旧藩主の下屋敷(槻御殿)で別名を黒門外屋敷とも言いました。延宝7年(1679年)に完成した城郭御殿建築で能舞台を備えた建物でしたが現在では書院や地震の間、雷の間、楽々の間などが残っています。

楽々園(けやき御殿:黒門外屋敷)

槻(けやき)御殿(黒門外屋敷)・・・井伊直弼もこの屋敷で生まれました。

耐震設計を施した地震の間

楽々園

風情があるとです・・・

名勝・玄宮園(げんきゅうえん)

城の北東にあたる大名庭園で琵琶湖や中国の瀟湘(しょうしょう)八景に因んで選ばれた近江八景を模して造営された縮景園です。延宝5年(1677年)、彦根藩4代藩主・井伊直興が造営し池を中心に中の島や入江に架かる6つの橋など変化に富んだ趣が楽しめます。

濠の白鳥さんとです・・・

玄宮園

玄宮園・・・臨池閣(りんちかく)、凰翔台(ほうしょうだい)、近江八景を模して竹生島(ちくぶしま)や沖の白石を表現しているとです・・・

玄宮園からの天守閣

臨池閣、鳳翔台(茶室)

楽々園

玄宮園からの天守閣

大老・井伊直弼像

花の生涯碑

馬屋(重要文化財:江戸期)

元禄時代に建てられ常に藩主用の馬が十数頭が繋がれていました。昭和43年(1968年)に解体修理されたコケラ葺きの屋根が美しく日本の城内に現存しているのは彦根城だけです。

水戸から寄贈された二季咲き桜

日本で唯一現存している馬屋(重要文化財:江戸期)

表門橋

表門(冠木門跡)

表御殿(政庁)を復元した彦根城博物館

天守閣への石段

廊下橋と天秤楼

天秤楼(重要文化財:江戸期)

表門から坂を上ると廊下橋(非常時に落とし橋となる)が見えます。この橋を中央として左右対称に建てられているのが天秤楼です。まるで天秤のような形をしているところから天秤楼と呼ばれています。豊臣秀吉の長浜城大手門を移築したと伝えます。日本の城郭でこの形式なのは彦根城だけで重要文化財(江戸期)に指定されています。

廊下橋と天秤楼

天秤楼(長浜城大手門)

楼門

太鼓門楼(重要文化財:江戸期)

本丸(天守閣)への最後の関門である太鼓門楼は東側の壁がなく柱の間に高欄を付けて廊下にしています。登城合図の太鼓の音を響かせる為に考えられたのではと推察されています。

与謝野蕪村の歌碑

天守閣への石段

太鼓門楼

国宝(江戸期)・天守閣

国宝・彦根城天守閣は、京極高次が築いた大津城の天守閣を移築し慶長11年(1606年)に完成しました。幾つもの屋根様式を巧みに組み合わせ美しい曲線の調和を見せどっしりとした牛蒡積と呼ばれる石垣の上に三層三階の天守閣が聳えます。切妻破風、入母屋破風、唐破風を組み合わせた美しさは類い稀とされ彦根城の天守は、長方形(梁行に対して桁行が長い)で、表門から登ると目に入る東の面や琵琶湖側から望む西の面は、そそり立ち端正です。南、北の面は、どっしりと幅の広い安定した面もちで一層目は、大壁の下に下見板が取り付けられ、窓は突き上げ戸になっています。昭和27年(1952年)に国宝に指定され姫路城、松本城、犬山城と共に国宝四城の一で築城以来5回目の大改修が平成8年(1996年)に完了しました。

国宝の彦根城天守閣とです・・・

多景島が見えるとです・・・

長浜方面

石田三成の居城があった佐和山

天守閣の内部とです・・・廊下は、滑りやすく階段も急勾配とです。。。梁柱で頭をぶつけましたがな!(><)

天守閣の内部は優美な外観と違い鉄砲窓など戦略的な城造りになっているとです・・・写真が今一とです!(;^_^A どもども

彦根市の街並みとです・・・

安土方面

彦根城天守閣

優美な彦根城天守閣

黒門

明治8年(1875年)に再建された佐和口多聞櫓

いろは松、埋木舎(うもれぎのや:国指定特別史跡・彦根藩公館御屋敷)

いろは松・・・中濠沿道の松並木で47本あったので「いろは松」と名付けられましたが、現在は34本(補植12本)が残っており当時を偲ばれる通りです。埋木舎・・・幕末の第13代城主・井伊直弼が17才〜32才までの15年間を300俵の捨扶持で過ごした舎で、直弼自身、自らを生涯花咲く事もあるまいと埋もれた木に例えて埋木舎と呼びました。徳川幕府の大老として幕末動乱期に開国の父となった才能の礎は埋木舎で過した時代に養われました。

いろは松並木

井伊直弼が17〜32才までの15年間を過した埋木舎(うもれぎのや)

外濠(旧中濠)と二の丸佐和口多聞櫓

近江鉄道のレトロな電気機関車とです・・・

彦根駅

Tourist  2005.08.17(W)

 

 

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