宇治の里山めぐり

 

山門を 出れば日本ぞ 茶摘うた 菊舎(きくしゃ)

 

福寺宇治上神社〜大吉山〜朝日山(朝日観音)〜志津川(神女神社)〜天ヶ瀬ダム

 

黄檗山萬福寺

萬福寺は、1654年(江戸時代)、中国福建省から渡来した隠元禅師が後水尾法皇や徳川四代将軍家綱公の崇敬を得て1661年に開創された中国風の寺院。日本三禅宗(臨済・曹洞・黄檗)の一つ、隠元禅師、木庵禅師、即非禅師など中国の名僧を原点とする黄檗宗の大本山です。萬福寺の建造物は、中国の明朝様式を取り入れた伽藍配置です。正面 一間を吹放しとした主要伽藍を中心軸上に置き、同じ大きさの諸堂が左右対照に配されています。このように創建当初の姿そのままを今日に伝える寺院は、日本では他に例が無く、代表的禅宗伽藍建築群として主要建物23棟、回廊、額、聯などが国の重要文化財に指定されています。

坂本龍馬ゆかりの寺田屋

伏見の船宿・寺田屋は薩摩藩の定宿でした。文久2年(1862年)、討幕急進派が寺田屋に集まり決起を企てた「寺田屋騒動」は有名です。又、坂本龍馬の定宿で、お龍さんとの恋宿としても知られています。寺田屋の女将・お登勢は大津の船宿・大本重兵衛の次女で、18歳の時に寺田屋伊助に嫁した。伊助は放蕩者で店は女将お登勢が切り盛りし、二人の娘に加え五人の孤児まで養育した。義侠心が強く志士達にも援助を惜しまなかったと伝えます。

坂本龍馬、お龍ゆかりの旅籠・寺田屋 往時を今に伝える井戸
坂本龍馬の碑 女将・お登勢と寺田屋由来碑 坂本龍馬像と薩摩九烈士(寺田屋騒動)顕彰碑
酒蔵 伏見の弁天さん・長建寺 京阪電車
近鉄京都線・澱川鉄橋(有形文化財:昭和期) 平戸樋門と観月橋 山科川、宇治川合流地
木幡池 「黄檗開山隠元禅師渡岸之地」記念碑(功徳碑) 許波多(こわた)神社(五ヶ荘:ごかしょう)
墓参りへ・・・萬福寺塔頭・法蔵院 法蔵院の甍 霊苑からの宇治俯瞰
駒の蹄影(あしかげ)園碑

昔、宇治の里人が茶樹を植える距離が分からず栂尾(とがお)の明恵上人に教えを乞うた時、上人が馬に乗り畑地を駆け巡りその蹄跡に茶樹を植える様にと教えました。当碑は同上人への感謝と功績を讃えて建てられました。

法蔵院開山堂 駒の蹄影園碑 萬福寺
黄檗山・萬福寺(重要文化財:江戸期)

萬福寺は、承応3年(1654年)、中国福建省から渡来した隠元禅師が後水尾法皇や徳川四代将軍家綱公の崇敬を得て1661年に開創された中国風の寺院。日本三禅宗(臨済・曹洞・黄檗)の一つ、隠元禅師、木庵禅師、即非禅師など中国の名僧を原点とする黄檗宗の大本山です。萬福寺の建造物は、中国の明朝様式を取り入れた伽藍配置です。創建当初の姿そのままを今日に伝える寺院は、日本では他に例がなく、代表的な禅宗伽藍建築群として、主要建物23棟、回廊などが重要文化財に指定されています。

放生池と三門 菊舎句碑
隠元の書による萬福寺扁額 天王殿 都七福神の一・布袋尊(弥勒菩薩坐像)
雲版(うんばん) 法器・木魚の原型と云われる開梆((かいぱん) 生飯台
仏殿(大雄宝殿:だいおうほうでん) 独特の香りがする中国線香 釈如来坐像
招福・布袋絵馬を奉納 ☆⌒(*^∇゜)v 法堂(重文:江戸期) 中国の風情が漂う回廊
中国の風情が漂う回廊 寿蔵(寿塔、真空塔/重文:江戸期) 卍くずしの匂欄(こうらん)
開山堂 隠元禅師が祀られる 松隠堂
松隠堂(左)と開山堂 萬福寺をあとに・・・ さわらびの道
世界文化遺産・宇治上神社

元は下社の宇治神社と一体で平等院の鎮守社ともいわれ明治維新までは、「離宮上社」と呼ばれていました。本殿は平安時代後期に建てられた現存するわが国最古の神社建築です。祭神は応神天皇とその皇子菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)、兄の仁徳天皇とされています。境内正面の拝殿は鎌倉初期のもので、寝殿造りの様相を伝えています。特に縋破風(すがるはふ)といわれる手法を用いた屋根の美しさは格別です。三棟の内殿を一列に並べて、共通の覆い屋で覆った特殊な形式の建物で、左右の社殿にある蟇股(かえるまた)も建築年代を示すものです。

[第四十八帖・早蕨(さわらび)]之古跡 世界文化遺産・宇治上神社 神門
宇治七名水の一「桐原水(きりはらすい)、本殿(国宝)

桐原水・・・室町時代に「宇治七名園」が作られ、それに伴いお茶に欠かせない水にも「宇治七名水」が定められ、桐原水一つに数えられました。現在他の六名水は失われましたが、桐原水だけが、今もなお枯れる事なく涌き出しています。本殿・・・覆屋(おおいや)のある本殿には、三社が収められ、祭神は向かって右が「莵道稚郎子(うじのわきいらつこ)(弟)」真中が「応神天皇(父)」、左が「仁徳天皇(兄)」とされています。それぞれ神殿としては小規模ですが、その造りは大変優雅で、神社築としては日本最古のものと伝わり、建築年代は平安時代後期と推定され国宝に指定されています。

宇治七名水の一・「桐原水(きりはらすい)」 立砂と拝殿(国宝:鎌倉期) 本殿(国宝:平安期)
与謝野晶子「宇治十帖歌碑」

幼い頃から古典文学に親しんだ与謝野晶子は、紫式部を終生の師と仰ぎ、源氏物語の現代語訳にあたりました。昭和13年(1938年)61歳の時、「新新訳源氏物語」全6巻を完成させ、加えて源氏物語五十四帖を五十四首の歌で再編成した「源氏物語礼讃」を著しました。歌碑には、宇治十帖の十首が与謝野晶子の真筆で刻まれています。

与謝野晶子「宇治十帖歌碑」 [第四十七帖・総角(あげまき)]之古跡 大吉山へ・・・突撃ぃ〜o(*^▽^*)oあはっ♪
仏徳山(大吉山)

興聖寺の山号に因んで近年に名付けられたもので、宇治上神社や興聖寺の背後にある山で朝日山の支峰とします。「万葉集」に挽歌としてかかげる菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)の歌に因んで今木の嶺ともいい、また宇治離宮桐原日桁宮址(きりはらのひけたのみやあと)に因んで離宮山、桐原山とも言われます。山頂の展望台から南を望むと却下に平等院、宇治の街々を隔てて栗子山が前方に横たわります。

落ち葉がカサカサ・・・ ・・・ ・・・
展望台のあずまやまからの宇治市街地俯瞰・・・遠く、梅田スカイビルや六甲山系の稜線が見えてます!!!o(*^▽^*)o
キララくん(^_-)-☆@展望台のあずまや 菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)の歌碑 宇治俯瞰
朝日山経由で志津川へ・・・ 朝日観音(朝日山々頂)へ・・・
朝日山、応神天皇の皇子・菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)

朝日山・・・大吉山(仏徳山)の東に聳える円錐形の優婉な山で宇治の東にあり朝日を受けるのでこの名が生じたと伝える。宇治名山の一として古来、歌に謡曲に歌われ、観月の地としても知られる。山頂には、朝日観音堂があり菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)の墓と伝える経塚があります。菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)・・・父・応神天皇の寵愛を受けて皇太子に立てられたが、異母兄・大鷦鷯尊(おおさざきのみこと、後の仁徳天皇)に皇位を譲るべく自ら果てたという美談で知られる。『山城国風土記』逸文に桐原日桁宮に住まい、応神天皇が崩じた後、大鷦鷯尊(おほさざきのみこと:仁徳天皇)と皇位を譲り合うこと3年。永らくの空位が天下の煩いになると思い悩んだ太子は互譲に決着を期すべく、自ら果てた。尊は驚き悲しんで、難波から菟道宮に至り、遺体に招魂の術を施したところ、太子は蘇生し、妹の八田皇女を献ずる旨の遺言をして、再び薨じたと伝える。菟道山上(『延喜式』諸陵寮に宇治墓)に葬られた。同墓は現在、宇治市莵道丸山の丸山古墳(前方後円墳・全長約80m)に比定され、宮内庁の管理下にあるが、この地は宇治川右岸に近接して「山上」と呼ぶには、相応しくない。

・・・ 朝日観音(朝日山々頂) 五重石塔(供養塔)
山頂からの宇治俯瞰・・・梅田スカイビルや六甲山系の稜線が見えてます!!!o(*^▽^*)o 朝日観音堂
朝日観音(南無観世音菩薩) 応神天皇の皇子・菟道稚郎子の墓 五輪石塔(供養塔)
朝日山〜志津川ルート(東海自然歩道) 道標石:左 志津川、右 天ヶ瀬・・左へGO!
志津川

三室戸より東へ約1km、天ヶ瀬より志津川の渓流に沿って約1kmで達する山間地域で口碑によると、この地域の祖先は、平家の落ち武者で、その子孫は山林伐木を業として一村を成したと伝えます。神女神社の前に、その旨を記した「志津川村碑」が建っています。ひと昔前まで、村の長老十人を選び十老によって諸事万端を執り行ったとも伝えます。以前は山林や茶樹の栽培を主な生業としたが、近年は、道路整備によって交通も便利になり街へ勤める人が多くなりました。また三室戸寺が、はじめ志津川にあったことは「山城名勝志」に記すところですが、その寺跡については明らかにせず、おそらく志津川地域の東北、志津川に臨む山麓のやや平坦な所と推察され、そこは寺名の起こりとなった御諸(みもろ)山と呼ぶに相応しい巨大な岩山が背後に突兀と聳えています。

・・・ 志津川
神女(しんめ/しんにょ)神社

志津川に住んでいた平家の落武者の子孫が祀っていた祠が幾つかあり、明治に入ってから、これらの祠を一つに合祀した神社を作り、祭神が女性であることから、「神女神社」と名付けた。安芸の宮島にある平家ゆかりの厳島神社と同じく市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)を祭神とする志津川地域の産土神です。元は志津川地域の西南にあったが明治6年(1873年)、当地に移したと伝え、八幡神と三輪明神を合祀しています。境内の背後には、俗に伊勢講山と称する巨大な岩山がそそり立ち、前方は仙郷川の渓流に臨んですこぶる幽邃に富んでいます。この社前の渓谷を竜ヶ壷といい、喜撰法師が行を営んだ所とも伝えます。昔は、奇岩、怪石が渓流に横たわり水は数丈の滝となって奔流していたと伝えるが、今は道路改修などにより往時の面影はまったく見られません

喜撰法師が行を営んだと伝える竜ヶ壷 神女神社 志津川村碑
瀟洒な境内 伊勢講山と称する巨大な岩山
本殿 灯篭に灯りが・・・ 三室戸寺旧跡???
里山の風情を醸し出している志津川
天ヶ瀬(あまがせ)ダム

宇治橋の上流約2.5km、宇治川天ヶ瀬に水害防止と発電の二つを主目的に建造されたダムで高さ73m、長さ254mのアーチ式ダムで2000万㎥(東京ドーム7杯分) の貯水量で下流域の洪水を防ぎ新たに発電所を設け92000kwの電力を宇治市、城陽市などに送電し併せて宇治、城陽、久御山、八幡市など山城地域へ上水道(府営)の取水口も設けられています。総工費66億円と言われ当時、我が国土木技術の粋を結集して昭和32年(1957年)〜7ヵ年半の歳月を費やして同39年(1964年)11月に一応完成しました。ダムの完成により宇治川に延々24kmに渡って一大人造湖が出現し他所に見られない水上公園とされ鳳凰湖と名付けられました。

天ヶ瀬ダム@白虹橋 天ヶ瀬吊橋 暮れなずむ宇治川左岸を疾走中・・・
宿り木之古跡 喜撰橋と日本最大の浮島十三重石塔 夕闇迫る宇治川
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紫式部と宇治橋

とある家庭のイルミ(*^-^*)

Tourist 2009.1.05(M)

 

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