嵐山サイクリングロード自転車ポタ

 

つれづれなるまゝに 日ぐらし硯に向かひて 心にうつりゆくよしなしごとを

そこはかとなく書き付くれば あやしうこそ物狂ほしけれ  『徒然草』序段 兼好法師

 

嵐山サイクリングロード〜双ケ丘(雙ケ岡)〜嵐山サイクリングロード

 

嵐山サイクリングロード(京都・八幡・木津自転車道線)

嵐山サイクリングロードは、桂川・渡月橋右岸(嵐山公園)〜木津川・泉大橋左岸間の全線約45kmにも及ぶ「自転車と歩行者の専用道」で正しくは、「一般府道京都・八幡・木津自転車道線」と言います。道中は舗装整備された道で走りやすく、四季折々の自然を満喫しながらファミリーでも安心してサイクリングを楽しめます。道中数ヶ所、迷いやすい所などがありコラム中で印で解説してありますので一参考に役立てば幸いです。大まかですが、上のイラスト案内図を参考にしてください。それでは、ハッピーサイクリングを・・・!!!☆⌒(*^∇゜)v

羽束師橋と菅原道真が大宰府に配流された時に乗舟したと伝える草津の湊(桂川と鴨川合流地) 嵐山サイクリングロード
鴨川左岸を走る・・ 難所の一・京川橋界隈・・・この分岐は、サイロを離脱してショートカットで右(堤防道)へ・・
鴨川に架かる京川側道橋を渡ります・・ 久我橋を渡らずに手前を右折(北)・・・道路右側に嵐山サイクリングロードが続きます。
前方に名神高速道路が見えます・・・ ・・・ ・・・
久世橋手前を堤防下へ左折・・・ ・・・ 空が高く感じます・・
堤外人道橋(天神川)を左折して渡ります・・ ・・・ 桂大橋(八条通り)手前を堤防下へ左折・・
・・・ 愛宕山の稜線と晩夏の空・・曇ってるだけ?(^^ゞ 西大橋(五条通り)を渡ります・・
・・・ サイロを離脱して上野橋を渡ります・・ 西山と桂川
府道132号線 太秦・広隆寺 東映太秦映画村
丸太町通り 双ケ丘(雙ケ岡) 法金剛院の西側道路
兼好法師ゆかりの長泉寺

双ケ丘(雙ケ岡)の東麓、浄土宗・長泉寺に兼好法師の墓がある。吉田の地に住まいしていたので吉田兼好ともいった。後宇多天皇に近侍したが天皇が崩ずるに及んで悲しみのあまりに出家。はじめ洛北・修学院にト居したが後に木曽にあそび、帰路の後、48才頃に双ケ丘(雙ケ岡)西麓に庵を結んで68才で没するまでの約20年間をここで閑居した。「つれづれなるままに 日暮し硯に向かいて・・・」から始まる『徒然草』はこの時になったものだと伝える。『徒然草』は清少納言の『枕草子』、鴨長明の『方丈記』と合わせて日本古典三大随筆の一つと評されて、今なお広く愛読され続けている。

双ケ丘(雙ケ岡)は左へ・・右は妙心寺へ 向阿上人終焉地の浄土宗・西光庵 兼好法師ゆかりの浄土宗・長泉寺
西光庵

華開山と号する浄土宗知恩院末の寺。鎌倉末期に浄土教弘通に努めた向阿上人入寂の地である。はじめ上人は浄花房証賢と号し、天台僧であったが法然上人の宗風に帰依し、園城寺を出て礼阿上人につき是心上人と号した。その著すところの「帰命本願鈔」三帳、「西要抄」上下、「父子相迎」上下合わせて三部七冊は、いずれも浄土宗布教の基本を著すといわれる。晩年、花洛の喧騒を避けて静寂の地を求めて終に雙ケ岡(双ケ丘)の東畔、池上の地を相して草庵を結んだのが当寺の起こりと伝える。上人は吉野時代の興国6年(1345年)6月に83才で入寂し当地に葬った。本堂東側の五輪石塔は上人の墓である。

双ヶ丘東麓にある兼好法師旧跡(長泉寺)・・吉田兼好の歌碑と墓があるが残念ながら非公開 御室(おむろ)にあるオムロン発祥の地碑
兼好法師が「徒然草」を執筆したと伝える名勝・双ケ丘(雙ケ岡:ならびがおか)

北から一の丘(116m)、二の丘(102m)、三の丘(78m)と次第に低くなる三つの丘が連なり、世界文化遺産・仁和寺など市街地を眺望できる散歩コースとしても人気。一の丘の頂上には、大規模な古墳があるが何度も盗掘された為に被葬者は元より造成の時期等は一切不明である。30年近く前に発掘調査された後、崩壊を防ぐ為に土砂で埋められ現在に至る。元、仁和寺の寺領でしたが国が買い上げ名勝に指定されている。

名勝・双ケ丘(雙ケ岡) つれづれなるままに・・軽登山開始?!(*゜▽゜)/ 中々の急坂やんか〜(;´д`)ゞ。。。
ウラジロ群集地帯?!(@_@) アッという間に一の丘(116m)到達!(^-^)v 三等三角点・御室(双ヶ丘/115.79m)
嵐山〜洛西方面、西山の眺め(*゜▽゜)/ヤッホ〜 仁和寺方面俯瞰
世界文化遺産・仁和寺伽藍 一の丘は双ヶ丘1号墳 双ヶ丘1号墳(石室羨道入り口)
右大臣贈正二位・清原真人夏野(なつの)

平安時代初期の貴族、政治家。舎人親王の孫である小倉王の五男。初名は繁野王、のち臣籍降下し清原真人姓を賜与された。平安初期、桓武・平城・嵯峨・淳和・仁明の五代天皇に歴任し従二位・右大臣、贈正二位に官位した。詩文に優れ法制にも通じ「令義解」に携わった。かつて雙ケ岡(双ケ丘)の東麓に山荘を営んだことから雙ケ岡(双ケ丘)大臣とも呼ばれた。承和4年(837年)10月、56才で没した。ここに「右大臣贈正二位清原真人夏野公墓」と記した石碑がある。・・・偶然に出会った犬(フクちゃん)の散歩に来られてた方に、ここは墓ではなく清原真人夏野の別荘地があったところで当地で亡くなったことを示しているだけのようですよと教えていただいたのですが・・真実はどうなのでしょう?`s(・'・;)

右大臣贈正二位清原真人夏野公墓?と一の丘 二の丘(102m)へ・・ ・・・
一と二の丘の間の平坦な台地になった所は、戊辰戦争で仁和寺に屯営していた薩長軍などが射撃訓練をした所とも伝える。
待たせ〜(*゜▽゜)/ 名勝・双ケ丘(雙ケ岡)と165号線(周山街道) 丸太町通り

川が立体交差する西高瀬川と有栖川

西高瀬川・・・嵐山の渡月橋より少し東の大堰川から東流し、太秦を経て天神川と合流した後、三条通り〜千本通り沿いを流れ下京・南区の市街地を貫流して下鳥羽で鴨川へ流れ込んでいます。有栖川・・・嵯峨大覚寺北方の観空寺谷から渓流となり下嵯峨を経て嵯峨野で西高瀬川と交差し、そのまま南下して桂川に注いでいます。両河川とも急速な市街化に伴い、従来の川の断面積が不足し降水時には幾度となく浸水被害をもたらしていた為、昭和49年度から改修事業に取り組んでいます。

東映太秦映画村 西高瀬川が下をくぐる形で有栖川とサイフォンで立体交差して流れている。
西高瀬川 サイフォンの水量調節で余った西高瀬川の水を有栖川に放流している。
嵐山へ・・・ ・・・ 渡月橋
月が渡るが如く・・えぇなぁ〜(*^▽^*) 琴聴き橋碑 渡月橋を渡ります・・・
渡月橋と愛宕山 比叡山遠望 ちとレトロ語やけど・・・マイウ〜(^^♪
わっ?!(@_@;) 保津川下りの舟を見事な一本釣り!?大漁やんか〜(^^ゞ爆
舟をトラックに積み込んで保津川上り?(^^ゞ 保津川下りの出発地まで舟をトラックで運びます。 中の島橋
嵐山サイクリングロード起点(終点) サイクリングロードは嵐山〜木津まで45km ・・・
松尾通過・・・ 愛宕山 比叡山
洛西用水と円形分水(円筒分水)

嵐山〜洛西を流れる幹線延長約20kmの灌漑用水。この地域は、5世紀後半に朝鮮・新羅からきた秦氏によって農業を興した地と伝え、この頃から堰や用水路も整備されたと伝える。当時、秦氏が朝鮮の土木技術を日本で応用することにより、未開拓地であった嵯峨野の地域に農業を広めた。鎌倉時代に山城国桂川用水差図として東寺百合文書に載っており、江戸時代初期には角倉了以が保津川の開削と同時に一の井堰(葛野大堰)の整備をおこなった。現在の一ノ井堰は昭和26年に京都府により10ヶ所余りの井堰を統合し築造されたものであり、西京区〜長岡京市に至る田畑を潤す一方で、都市雨水の排水路としての機能も果たしている。また、西芳寺川堤下の農業用水などを一定の割合で正確に分水するために用いられる農業水利施設を円形分水(円筒分水)という。

用水を正確に分水する円形分水(円筒分水) ・・・ 実りの秋近し(*^-^*)
阪急京都線・桂川橋梁 桂大橋(八条通り) 桂川と愛宕山
夕暮れ間近でも33℃もあるやんか〜(>_<) ・・・ ・・・
・・・ JR京都線・桂川橋梁 ・・・
・・・ ・・・ 久世橋
サイクリングロードから眺める晩夏の夕暮れ三景・・・えぇなぁ〜(*^▽^*)
・・・ 伏見百景の一・酒蔵 洛南最大のショッピングゾーン・大手筋界隈

Tourist.2011.8.29(M)

 

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