ふら〜り嵯峨野
結びおきし 秋の嵯峨野の 庵より 床は草葉の 露になれつつ 藤原定家
梅宮大社〜広隆寺〜蛇塚古墳〜車折神社〜源光寺(常盤地蔵)〜嵯峨油掛地蔵(大覚寺油掛地蔵尊)〜清涼寺〜城南宮
日課の早朝ウォーキング5kmコース・・・大手筋〜高瀬川へ | ||
高瀬川左岸堤防を歩きます・・・しか〜し、犬の放置ウンチが多過ぎやろ!(ーー;) | えぇ天気や〜\(●⌒∇⌒●)/ | |
途中、三栖神社に参拝します。毎朝、地元のお婆さんも参拝に来られています。 | ||
本殿 | 宇治川派流 | 京阪電車 |
伏見港公園 | 宇治川右岸堤防に出ました。 | 三栖閘門 |
三栖閘門 | 伏見港公園 | 宇治川と宇治川派流合流地 |
宇治川右岸堤防を速歩 | ||
・・・ | 昭和3年建造の近鉄京都線・澱川鉄橋(日本最大級 ワンスパン単純トラス鉄橋) | |
橋脚が1つもない近鉄京都線・澱川鉄橋(国有形文化財:昭和初期) | 京阪宇治線 | |
宇治川派流 | ||
京阪本線・中書島駅方面 | 十石舟・弁天橋乗降場 | |
伏見五福の一・長建寺(弁財天/開運・商売繁盛の神) ☆地図 | ||
真言宗醍醐派の寺で東光山と号する。元禄11年(1698年)、時の伏見奉行・建部内匠頭が、中書島を開拓するにあたり深草大亀谷の多聞院を移しその姓の一字をとり長建寺と改めたと伝える。本堂に安置する本尊・八臂弁財天(弘法大師作の説あり)は、世に音楽を司る神とし古来花柳界の信仰を集めました。7月下旬の祭礼は「伏見の弁天祭」と言われます。 |
||
島の弁天様・長建寺・・・毎朝お参りしています。(*゜▽゜)/合掌 | 伏見名水・閼伽水 | |
かえる石 | 弁天型灯篭(伏見奉行・建部内匠頭奉納) | 弁財天を祀る本堂 |
伏見らしい風情の柳と酒蔵 | ||
宇治川派流 | 納屋町商店街のゆるキャラ・なやまっち | 納屋町商店街 |
約50分で5kmウォーク終了!@大手筋商店街 | 高瀬川右岸 | |
桂川に架かる羽束師橋 | 草津湊跡(桂川・鴨川合流地) | |
過日の大雨で危険水位を超えました! | 氾濫した桂川右岸堤防に現在も土嚢が積まれています。 | |
久我橋 | 嵐山サイクリングロード | |
久世橋の下へ・・・ | 前の堤外人道橋(天神川)を渡ります・・・ | ハーフタイム!(・_・)ヾ(^o^;) 欧米か?! |
・・・ | 阪急京都線・桂川橋梁 | |
・・・ | 梅津大神宮・・・祭神は天照大神と豊受大神。創建、由緒等不明 | |
梅宮大社 ☆地図 | ||
嵯峨天皇の皇后・橘嘉智子(たちばなのかちこ/檀林皇后)がその祖神を祀った氏神社で橘諸兄(たちばんもろえ)の母・県犬飼(あがたのいぬかい)橘三千代が相楽郡井出(綴喜郡井出町)に酒解神(さかとけのかみ)、酒解子神(さかとけこのかみ)を祭神として創祀したのが起こりで平安遷都後、現在地に遷した神で大若子、小若子は伊勢国度会郡より遷した神で何れも橘氏の外家に連なる祖神です。皇室の崇敬も篤く醍醐天皇の御代に定められた延喜式では、名神大社に列し、四度の官幣に預かり二十二社の一となりました。当初、橘氏の氏人が奉幣使となり神主を務めましたが橘氏の哀徴により藤原氏摂関のものが管領して代行しました。本殿には大山祗神(おおやまずみのかみ)、瓊々杵尊(ににぎのみこと)、彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと)、木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)の祭神四柱、相殿に嵯峨、仁明両天皇、檀林皇后、橘清友(皇后父)を配祀し若宮社には橘諸兄、護王社には橘氏公(うじぎみ/皇后弟)を祀ります。 |
||
梅津大神宮 | ・・・ | 梅宮大社 |
梅の名所、酒造、子授け・安産にご利益があることでも有名な梅宮大社 | ||
こま札 | 見事な五葉松 | 奉納酒樽 |
境内 | ||
子授けの石として信仰されている・・・またげ石 | ||
二個の丸い石で、またぐと子宝に恵まれるとされます。詳しい由来は残念ながら定かではありませんが、社伝によると檀林皇后は皇子のないのを憂い当社に祈願し石をまたぎ皇子(後の仁明天皇)を授かったと伝えられ以来、血脈相続の石として信仰されます。皇后は出産に際し当社の白砂をしとねの下に敷いて安産されたというので社頭の白砂を請うて帯襟に帯びる風習もあります。いずれも梅宮の梅を産めに通わしたもので産土神(うぶずながみ)にも付会した伝説石とされます。 |
||
神泉苑 | 本殿 | またげ石 |
社務所の受付窓にニャンコが!(@_@;) | 西梅津神明社 | |
門前に立ち並ぶ昔風情の建物・・・今も現役の薬屋さん? | ||
お茶屋(傾城)建築を漂わせている町屋 | 梅宮大社東門前 | |
千代の古道 | 有栖川は嵯峨観空寺谷〜広沢池の流れが合流し、桂川に注ぐ全長7kmの河川 | |
広隆寺 ☆地図 | ||
推古天皇(603年)に建立された山城最古の寺で真言宗御室派に属し山号を蜂岡山と称します。蜂岡寺、秦公寺(はたのきみでら)、太秦寺などの別称があります。帰化人系氏族である秦氏の氏寺で平安京遷都以前から存在し京都最古の寺院です。国宝の弥勒菩薩半跏像を蔵する事で知られる四天王寺、法隆寺など聖徳太子が建立した日本七大寺の一です。 |
||
・・・ | 蜂岡山と号する真言宗系単立・広隆寺 | 大映通り商店街 |
・・・ | マーケットとは懐かしい〜?!(*゜▽゜)/ | ワオッ!!!(@_@;) |
高さ5mはある大魔神や〜!\(●⌒∇⌒●)/スゲ〜。。。でも、怖い?!(^▽^;) | 京都市最大の蛇塚古墳 | |
蛇塚古墳 (遺跡・史跡) ☆地図 | ||
詳細は早くに失われ、今は封土が洗い去られ巨石を積み重ねた石室のみが露出しています。横穴式前方後円墳で長さ17m、高さ4.5m余で以前、玄室に蛇が沢山生息していたので蛇塚と言われます。天塚古墳などと共に秦氏の造営によると考えられています。築造年代は、古墳時代末期の7世紀初頭と考察され元は、全長約75mの前方後円墳だったと考察され、当時の古墳としては、かなり大型のもので玄室 (古墳石室:棺を納める部分)の幅は、有名な奈良県の石舞台古墳よりも広く京都市最大規模の古墳です。昔、おしげという女賊がここを根城とし三条街道で追剥をしたと伝えます。かって、大映、松竹映画撮影所に囲まれ今も映画セットの一部の如き感があります。 |
||
京都市最大の蛇塚古墳 | ||
京都市最大の蛇塚古墳 | のどかやなぁ〜(*^-^*) | |
有栖川の下をサイフォンで立体交差して流れる西高瀬川 | ||
西高瀬川の上を立体交差して流れる有栖川 | ・・・ | |
西高瀬川 | 嵐山のシンボル・渡月橋 | |
車折神社(くるまざきじんじゃ) ☆地図 | ||
社名の車折(くるまざき)は、とある人が牛車に乗ったまま社前を通った時、突然車が裂けてしまったためとも、後嵯峨天皇の大堰川遊幸の際、社前で突然車が前に進まなくなったので、不思議に思って社の者に問うた所、頼業公を祀ると答えがあったので、還御の後に「車折大明神」の神号と正一位の神階を贈ったためとも伝える。・・・平安末期の儒学者・清原頼業(よりなり)を祭神とし同社にある小石を持ち帰って願い事を祈願をし成就したらその小石の2倍の大きさの石を奉納する習慣があります。又、約束を守る事で商売繁盛、売掛金の回収、受験合格にも御利益があるとされます。境内にある芸能神社には、芸能人がよくお参りをします。芸の上達を祈願した芸能人の玉垣が数多く並んでいます。 |
||
悠々と流れる桂川 | 多くの芸能人がお忍びで参拝に来社するという車折神社 | |
・・・ | 境内社・芸能神社・・・多数の芸能人の奉納玉垣 | |
本殿には千じゃ札がベタベタや〜(@_@;) | 本殿 | |
本殿 | パワーは本物?祈念神石によって祈願が叶ったお礼を記した石は倍返しだ?!(^▽^;) | |
車折神社北参道 | 嵐電(京福・嵐山線)車折駅 | |
車折神社北参道 | ・・・ | 町屋 |
嵐電(京福・嵐山線) | 嵐電・帷子ノ辻駅(かたぴらのつじえき/京福・嵐山線、白梅町線乗り継ぎ駅) | |
あれっ、テレビで見たシーン?!・・・京都殺人案内の音やんこと、刑事・音川音二郎(藤田まこと)の自宅やんか〜!(*゜▽゜)/ | ||
京都六地蔵巡りの一・常盤御前ゆかりの源光寺(常盤地蔵) ☆地図 | ||
京の六地蔵めぐりの一「源光寺」は源光庵とも呼ばれる臨済宗天龍寺派の尼寺です。昔、小野篁が冥土で生身の地蔵尊を拝し、蘇って後、一木から刻んだ六地蔵の一とされ世に常盤谷地蔵、北区の上等寺の姉子地蔵に対して乙子地蔵とも呼ばれます。寺伝によると弘仁2年(811年)、勅旨によって建立され嵯峨天皇の皇子・源常を創業開基とします。のちに後白河法皇が深く帰依され中興開山され、本尊に全ての救済を願われ宗教宗派に関係のない庶民の信仰の根源地と定められている。毎年、春夏秋冬の4回、全国地蔵信仰の唯一の総本山・天地万霊総菩提寺として、源光寺神聖霊場大祭が行われます。この地は、源義経の母、常盤御前の生地で御前が営んだ庵の跡地と伝えられ境内には常盤御前の墓があります。 |
||
嵐電(京福・白梅町線)沿いを北進・・・ | 源光寺 | 地蔵堂(常盤谷地蔵、乙子地蔵) |
常盤御前墓(右 | ・・・ | カモさん48??(≧▽≦)ぷっ |
嵯峨油掛地蔵(大覚寺油掛地蔵尊) ☆地図 | ||
京福電車四条大宮〜嵐山線の鹿王院駅で下車して車北へJRを越え、右にしばらく歩くと有栖川傍に嵯峨油掛地蔵に着きます。伏見区にも油掛地蔵がありますが、諸願成就を祈願して油をかけるという特異な信仰のある地蔵尊です。鎌倉時代後期の1310年に造立され実はお地蔵さまではなく、阿弥陀如来座像です。伏見区の油掛地蔵と同じ伝承をもつほか、江戸時代初期の書物に、油商人がこのお地蔵さまの近くを通るとき、必ず油を注いでさんは参拝したことが記されています。 |
||
嵯峨観空寺谷〜嵯峨野を南流して桂川に合流する全長7kmの有栖川 | 嵯峨油掛地蔵 | |
油でドロドロ・・厚い油膜で覆われて地蔵か如来か不明でしたが昭和53年に阿弥陀如来坐像(鎌倉期)と判明! | ||
有栖川 | JR嵯峨野線(山陰本線)・嵯峨嵐山駅 | |
トロッコ嵯峨駅 | 君が代にも登場するサザレ石 | |
静態保存されているSL・D51 | ||
大きな動輪が4つあるD51・・・今にも走り出しそうです?!(^▽^;) | ||
トロッコ嵯峨駅構内 | 人力車ではなく・・・牛車 | なんや?怖い?!(@_@) |
駅構内にあるジオラマ京都JAPAN・・・京都を再現した精巧なジオラマが展示されています。(*゜▽゜)/ | ||
光源氏のモデルという左大臣・源融(みなもとのとおる)の別荘(棲霞観:せいかかん)跡・・清涼寺(せいりょうじ)☆地図 | ||
嵯峨野有数の古刹で五台山清涼寺と号し源氏物語・光源氏のモデルとされる嵯峨天皇皇子で左大臣・源融(みなもとのとおる)所縁の寺。当地は、元、左大臣・源融の別荘・栖霞観(せいかかん)があった所で寛平8年(896年)、源融の一周忌に融が生前に造立発願して果たせなかった阿弥陀三尊像を子息が造り、これを安置する阿弥陀堂を建てて寺に改め棲霞寺(せいかじ)と号した。天慶8年(945年)、源融と血縁深い式部卿宮重明親王が亡室の為に新堂を建立し金色等身の釈迦如来一体を安置。42年後の永延元年(987年)、南都東大寺の僧・「念(ちょうねん)は宋より帰朝後、請来した等身大の釈迦如来像と摺本一切径を当寺に安置しました。一説に釈迦堂の名起はこの時であるとも伝える。本尊の三国伝来の釈迦仏は有名で嵯峨釈迦堂(さがしゃかどう)として、今も多くの人々に崇拝されています。「念は愛宕山を中国の五台山に擬えて、その麓に大清涼寺を建立しようと考えました。長和5年(1016年)、「念没後、弟子の盛算は師の遺志を継ぎ棲霞寺内に一宇を営み釈迦像を安置し五台山清涼寺と号し都下万民の信仰を集め隆盛したが、軒を貸した棲霞寺は衰徴し、今は境内の阿弥陀堂に名を留めるに過ぎません。本尊・釈迦如来立像(国宝:宋)は、体内に五色の絹で作った五臓六腑(ごぞうろっぷ)とお経を持ち、生身(いきみ)のお釈迦様と称されています。近年、大阪城発掘時に見つかった豊臣秀頼の首塚が本堂横に祀られています。 |
||
4代目新快速車両・221系快速電車 | ・・・ | 清涼寺 |
境内案内図 | 広々とした境内 | |
多宝塔(府指定文化財:江戸期) | 弥勒多宝石仏 | 大坂の陣戦没者供養碑(左)、豊臣秀頼首塚 |
源氏物語、光源氏のモデルと伝える左大臣・源融(みなもとのとおる)墓所 | 森嘉の嵯峨野豆腐をゲット!(^^♪ | |
閉館した美空ひばり座 | 渡月橋 | ・・・ |
水害から復旧してきました!(*゜▽゜)/ | 保津川下りの船 | |
(*゜▽゜)/ | 地元の老舗パン屋で買ったパン&ミーコをいただきマンモス!(^^♪マイウ〜 | |
火伏せのご利益がある愛宕山 | ||
渡月橋と比叡山 | サイクリングロード | |
・・・ | 洛西の霊峰・愛宕山 | 洛東の霊峰・比叡山 |
阪急京都線・桂川橋梁 | 桂大橋 | サイクリングロードを南進・・・ |
久世橋 | 名神高速道路 | 鴨川 |
城南宮 ☆地図 | ||
城南宮の由緒は、上古の時代、神功皇后は出陣に当たり、軍船の御旗に八千矛神を招き寄せて戦勝を祈願され、戦が終わると御旗は宮中で大切に保管されていました。桓武天皇が平安京に都を定めた時、御旗を城南の当地に御神体として納め、八千矛神(やちほこのかみ=大国主命:おおくにぬしのみこと)、国常立尊(くにのとこたちのみこと)、息長帯日売命(おきながたらしひめのみこと=神功皇后:じんぐうこうごう)の三柱、伊勢、石清水神社など七社が合祀され、都の南を鎮護する神として祀られた。御旗の日月星の紋章が城南宮の三光の神紋の由来と云われています。平安時代末期、交通の要衝でもあった風光明媚な当地に白河上皇が壮大な城南離宮(鳥羽離宮)を造営し院政を開始、歌会や宴、船遊びや競馬(くらべうま)が、しばしば行われ王朝文化が開花しました。承久3年(1221年)、後鳥羽上皇が流鏑馬揃えと称して兵を集め「承久の乱」を起こし、慶応4年(1868年)正月、城南宮に陣取った薩摩藩のアームストロング砲が鳴り響き、「鳥羽・伏見の戦」が開戦しました。 |
||
方除けの社・城南宮 | こま札 | |
いつ訪ねても清々しい境内 | 本殿 | |
伏見名水・菊水若水 | 城南宮をあとに・・・ | 大手筋商店街 |
Tourist.201 |
★ サムネイル画像サイズ比を縦横逆になりコラム表示サイズがスモールになりました。ご容赦ください。(^^ゞ
関連コラム |
|||
京の都六地蔵めぐり | |||
六地蔵めぐりin京都 | 京・六地蔵めぐり | ||
京都・六地蔵めぐり | 京・六地蔵めぐり | ||
京・六地蔵めぐり | 京・六地蔵チャリチャリめぐり | ||
近江紀行「安土歴史街道チャリチャリ探訪」 | 三条大橋〜逢坂山峠越え・・・東海道歩(ほ)っこ〜り探訪 | ||
近江紀行「秀吉の城下町・長浜」 | 近江紀行「井伊家35万石の城下町・彦根」 | ||
Pちゃんズの近江紀行「湖都周遊編」 | Pちゃんズの近江紀行「烏丸からすま半島編」 | ||
Pちゃんズの近江紀行「竹生島編」 | Pちゃんズの近江紀行「太閤さんの城下町・長浜編」 | ||
桃山、山科・・・洛東探訪 |
桃山、醍醐の史跡探訪 |
||
華の道 |
山の華道(はなみち)1 |
||
山の華道(はなみち)2 |
古の道(いにしえのみち) |
||
明智越え |
伏見醍醐界隈 |