京都厳戒態勢!初の大雨特別警報発令!!

 

伏見区内を流れる濠川、宇治川派流、高瀬川、鴨川、桂川、宇治川など河川氾濫厳戒態勢!

 

2013年9月16日早朝、京都・滋賀・福井の三府県に初の大雨特別警報発令!

台風18号の接近に伴い四国〜東北にかけて降り続いた大雨で気象庁は16日、京都府、滋賀県、福井県の三府県に大雨特別警報を発令した。三府県では数十年に1度という規模の雨が降っており、気象庁は「直ちに命を守る行動を取ってください」と注意を呼びかけました。気象庁によると三府県の県境一帯では16日未明から1時間に20〜30mmのまとまった雨が降り続き、48時間の雨量が基準を超えたため、16日午前5時5分に大雨特別警報を発令。15日未明の降り始めから16日午前5時半までの総雨量は福井県小浜市で333・5mm、滋賀県大津市で300mm、京都府京北町で280mmにも達した。これら3地点では9月の1カ月分雨量の平均値が174・2〜217・9mmとなっており、平年の1カ月分を上回る雨が数時間で降ったことになりました。気象庁の横山博予報課長は「三府県では16日昼にかけて強い雨が降り続く。台風は16日午後にかけて東北に達するため、他の地域でも特別警報発表の可能性はある」と説明した。特別警報は今年8月30日から運用されており、発表されるのは初めて。「数十年に1度」の規模の大雨や暴風などが予想される場合に発令される。・・・京都府下全域に深い爪痕を残した台風18号による豪雨被害は府のまとめで、京都市、宮津市、与謝野町で計5人が重軽傷を負った。住宅浸水など建物被害は20市町にもおよび、京都市右京区と山科区で住宅2戸が全壊したほか、半壊4戸、一部損壊17戸、床上・床下浸水は5123戸に達した。伏見区の伏見港公園は係留中の三十石舟が流され護岸に乗り上げるなど施設も浸水被害で休園中。農地の水没も相次ぎ甚大な被害が出ました。私の今までの人生でこれほどの全河川が危険水位を超えるほどの増水、氾濫、浸水の体験が皆無でした。正に半世紀に一度の水災害だと思います。改めて自然の猛威、脅威をまざまざと感じました。今回は、堤防決壊、橋梁の流出がなく朝には雨が上がってくれた事が最悪の洪水被害を出さずに済んだ事が不幸中の幸いだったと思います。何よりも、この度、被災されました地域住民の皆様に心よりお見舞い申し上げます。

大手筋の様子・・この後さらに冠水した。 完全に危険水位を超えて流れも澱んでいる濠川
右岸の家屋は浸水しているのでは? 新旧の高瀬川も堤防ラインギリギリまで増水しています・・・
新高瀬川の水位はこれでもピークから少し下がったらしい・・・
危険水位を超えているので橋の下ギリギリです。 鴨川が氾濫した下鳥羽へ
物々しい雰囲気です。 桂川・鴨川合流付近やけど1つの大河状態!
鴨川左岸を走るサイクリングロード 濁流が隆々としている川姿が中国の黄河みたい・・・
桂川と鴨川の二川が一つになって対岸まで川幅、堤防ギリギリで流れています・・・
しゃがんだら川の水で顔が洗えそうなほど増水しています・・・
羽束師橋は上下線ともに通行禁止 桂川・鴨川合流地辺りで鴨川左岸で氾濫しました。(@_@;)
災害派遣の自衛隊!ご苦労様です!!m(__)m 報道のレポーターなどマスコミもウロウロ ここから濁流が氾濫した・・
溢水は引いてましたが洪水の爪痕が白壁やブロック塀などに生々しく残っています。
災害派遣の自衛隊!ほんまご苦労様です!!m(__)m ・・・
桂川・鴨川共に危険水位を超えて二河が一つの大河状態になっています・・・鴨川左岸のサイクリングロードを北上して久我橋へ。。。
低地の田畑、墓地なども浸水しています・・・
危険水位を超えている鴨川 この先のサイクリングロードは完全に水没状態・・・
鴨川に架かる京川橋 見たことがない川幅いっぱいに増水している鴨川
久我橋へ・・・ 桂川に架かる久我橋も交通規制で車は通行禁止
桂川も広い川幅いっぱいに増水して川中の中州も洗い堰きも河川敷の田畑もすべて完全に水没しています。
久我橋の上には災害派遣されている自衛隊車両が駐留し待機しています。
橋のすぐ下に川面が迫り水の脅威をまざまざと感じます・・・
緊急車両も駐留しています・・・ 氾濫した桂川右岸堤防
災害派遣の自衛隊車両 桂川に架かる久我橋の真下に水面が・・・ 桂川右岸堤防
京都史に残る歴史的大災害日本初【特別警報】発令『数十年に一度の大雨』による桂川の氾濫
桂川はこの辺りが氾濫したので土嚢が積まれています。
桂川右岸が氾濫した辺り 桂川右岸堤防下へ・・・ 氾濫した道はかなり濡れています。
すでに水は引いていますが洪水の爪痕が・・・
再び桂川右岸堤防へ上がります・・・
堤防内にある竹林も濁流に水没しています。水位が少し下がったとはいえ、堤防ギリギリの水位です。
幸いにも今回は私は、被災を免れましたが・・・何事も人事ではなく明日は我が身だなと痛感いたしました。
神川(かみかわ)神社地図

神川座住吉神社と称した。 式内社。鴨川村の産土神で元は、住吉神社と云った。文政年間の当社神主古川為猛の『住吉社之略記』によれば、鴨川、桂川の落ち合う瀬の為ため、度々難破船があり、摂津の住吉社の御神霊を勧請したものとされている。

収穫間近の田んぼにも濁流が浸水しています。 神川神社
神川神社
桂川だけでなく住宅街を流れる小さな川なども氾濫しました。
久我(こが:くが)神社地図

8世紀末、桓武天皇の長岡京遷都の延暦3年(784年)頃、都の北東の守護神として鎮座されたと云われる。延喜式内社であり京都市でも最古の神社の一つである。一説には「山城国風土記」逸文にいう賀茂氏が「久我の国」に居をすえ、祖神を祀ったのが当社であり、更に鴨川を北上して今の賀茂の地に鎮まったとも伝えます。又、西方から丹塗り矢が当社(玉依比売命)に飛んできて、別雷神が生まれたとも伝えます。尚、境内には「お唐臼(おからうす)」という石臼が奉られています。これを持ち帰った者に祟り、元に戻したと伝えます。

久我森ノ宮の住宅街を流れる小川などが氾濫したようです。 久我神社
境内 森乃そりばし(大井手川) 大井手川
拝殿 お唐臼(おからうす) 本殿
本殿 ここら辺りも浸水したようです・・・ 神川小学校
水は引いてますが、泥が堆積しています。 堤防は通行止め
危険水位を超えた桂川は脅威です。
羽束師(はづかし)神社地図

旧羽束師村の産土神で志水、古川、樋爪、菱川地域を氏子とします。創建は、すこぶる古く大宝元年(701年)以前からの鎮座と云われています。羽束師は、羽束首(はづかしのおびと)の居住地で一族は、土器を作り石灰を焼いたりする泥部〔はつかしべ〕の伴造家であった。羽束氏の祖神を祀った神社と言われています。羽束師は元、乙訓郡に属し古くは羽束師郷とも言いました。

羽束師郷 羽束師(はづかし)神社
拝殿 本殿 招きねこちゃん
浸水しています。 治水頌功之碑 久我畷の四つ辻に立っていたと伝える道標石
西羽束師川は桂川右岸一帯に広がる田園地帯の排水を流下させ桂川に合流 羽束師運転免許試験場
西羽束師川 まだまだ危険水位を超えている桂川
淀です・・・対岸に淀競馬場が見えます。
淀へ・・・ 桂川に架かる宮前橋
濁流の桂川上流 桂川左岸堤防のサイクリングロードは完全に水没!(@_@;)
唐人雁木(とうじんがんぎ)旧跡地図

雁木とは、雁行形の階段の事で唐人雁木は、江戸時代に李氏朝鮮王から徳川幕府へ派遣した朝鮮通信使が、上陸した船着場の石の階段でした。当時は宇治川がながれており、宇治川右岸にあった唐人雁木は道路舗装にあたって撤去されました。

宮前橋 桂川上流 唐人雁木旧跡
法華宗・妙教寺(豊臣秀吉、淀の君ゆかりの淀古城跡)地図

元は、細川氏綱の居城で、天正16年(1588年)に豊臣秀吉が「淀君」の為に修築を行った「淀城」です。混同をさける為「淀古城」とも呼ばれています。築城時期は、はっきりしませんが、「細川両家記」などに、永正元年(1504)摂津の守護代薬師寺元一が管領・細川政元に反抗して「淀之城」に篭城し攻め落とされたとあります。元亀3年(1572年)三好三人衆の一人である岩成友通が淀城にあって、足利義昭と呼応して織田信長に対抗したが信長の武将・細川幽斎に攻略されました。淀城は一時小野木重次があずかり、天正17年(1589年)、秀吉は側室・茶々(淀殿)の出産の為、弟の秀長に修築させました。伏見城建設とともに文禄3年(1594年)破却された。

法華宗・妙教寺 境内 秀吉、淀殿ゆかりの淀古城跡碑
歌碑(木村久夫) 戊辰役東軍戦死者之碑(榎本武揚書) 鳥羽伏見の戦いで砲弾が貫徹した本堂
大阪(京)街道に架かる五番橋 淀本町商店街
淀へ来た時は、必ず淀名物のコロッケ、ミンチカツなど惣菜を買って帰ります!(*゜▽゜)/ 大阪(京)街道
與杼(よど)神社 ☆地図

淀・納所・水垂・大下津の産土(うぶすな)神です。祭神は、豊玉姫命(トヨタマヒメノミコト)、高皇産霊神(タカミムスビノカミ)、速秋津姫命(ハヤアキツヒメノミコト)の三柱です。僧・千観内供が応和年間(961年〜963年)に肥前国(佐賀県)佐賀郡河上村に鎮座の與止日女(ヨドヒメ)神社より、淀大明神として勧請したのに始まると伝えるが、延喜式(901年〜)第9巻「山城国乙訓郡」中に、與杼神社の名がある処からみて、応和年間より以前に鎮座していたと考えられます。元の鎮座地は、今の宮前橋の下流、桂川右岸の川原になっているあたりで、古来よりこのあたりを「大荒木の森」と呼ばれていた。桂川河川敷の拡幅工事が実施されることになったので、本殿以下の建物は、明治33年5月24日付の神社移転許可により、明治34年7月移転工事に着工、翌年5月完成、明治35年6月21日、神社のすべてが現在の淀城址内に遷座されました。※当社由緒書きより

與杼(よど)神社
境内 本殿 旧唐人雁木跡碑などの旧石碑
京都守護の目的で徳川によって再建された新淀城
元和9年(1622年)、徳川幕府2代将軍・徳川秀忠は伏見城を廃城とし、松平定綱が淀に新しく築城しました。伏見城天守閣を淀城に移す計画(二条城へ移築)で広大な天守台を築いたが、二条城の天守閣を移築した為に天守台が大き過ぎて天守の四隅に小櫓が急遽設けられました。宝暦6年(1756年)、落雷で天守閣は焼失しました。秀吉、淀君ゆかりの淀城は、淀城跡公園から北東へ約500m行った妙教寺辺りで淀古城と言われます。
天守台石垣 淀城跡碑 水車や、城に舟など
城跡の石垣と堀 淀姫と呼ばれるハス
淀姫・・・ 淀小橋旧跡 新撰組隊士も眠る八番楳木(千両松埋骨地)
宇治川も危険水位を超えているので広い広い川幅いっぱいに濁流が流れている・・
宇治川 高瀬川・宇治川合流地 高瀬川
水位が下がったようですがまだ危険水位を超えている高瀬川 同じく宇治川
三栖閘門へ・・・こんなに増水した宇治川も見たことがありません・・・(@_@;)
平常時は宇治川の方が水位が低いのに閘門内へ逆流して閘室かかなり増水して十石舟乗り場が屋根まで水没しています!(@_@;)
三栖閘門の外側の宇治川 浸水マップ・・意外と正確やな?!( ̄□||||!!
三栖閘門の内側の閘室も氾濫しそうな水位
宇治川 洗い堰方面 宇治川派流(伏見港公園)
伏見港公園も完全に水没しています。(@_@;)
宇治川からの逆流で更に増水し伏見港公園、体育館、プール、テニスコートなどすべて浸水し被害が甚大です。
三栖神社・・・境内に緊急車両が待機しています。
宇治川派流の氾濫で浸水した住宅街・・・土嚢が積まれて対応されています。
三十石舟乗り場も公園も完全に水没しています。 龍馬、お龍さんは仲良く入浴中?!(@_@)
宇治川派流が氾濫して浸水しています・・・

宇治川派流が氾濫してかなり浸水しています。 排水溝?マンホール?濁流が渦巻いています。
氾濫して道路が浸水しています・・・ 長建寺 弁天橋
道路や橋と同じ高さに浮かぶ十石舟・・・乗り場は完全に水没しています。(@_@;)
天気はすっかり回復しましたが、浸水はまだまだ引いてません。被災されました地域住民の方々に心よりお見舞い申し上げます。

Tourist 2013.09.16(M)

 

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