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大河・龍馬伝で賑わった寺田屋 |
酒蔵 |
島の弁天さんと呼ばれる長建寺 |
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竜宮門 |
伏見五福めぐり案内 |
境内 |
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かって三十石船に時を告げた鐘は、太平洋戦争時に軍へ供出された。 |
伏見名水・閼伽水 |
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建部政宇奉納した弁天型灯籠 |
中書島の歌碑 |
おけいはん |
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近鉄京都線・澱川鉄橋(有形文化財:昭和期) |
平戸樋門と観月橋 |
(◎o◎;)げっ 通行止めやんか〜(>_<) |
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月橋院 |
昔、宇治川(巨椋池)東端に位置した木幡池 |
隠元橋 |
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「黄檗開山隠元禅師渡岸之地」記念碑(功徳碑) |
許波多(こわた)神社(五ヶ荘:ごかしょう) |
浄土宗・西導寺 |
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法然上人像 |
毘沙門天堂 |
解説 |
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本堂 |
京阪・黄檗駅 |
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JR奈良線 |
墓参り・・・萬福寺塔頭・宝蔵院 |
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鉄眼一切経収蔵庫(重文・江戸期) |
宝蔵院の甍と宇治俯瞰 |
宝蔵院開山塔 |
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霊苑からの宇治俯瞰 |
えぇなぁ〜(*^▽^*) |
柚子? |
黄檗山・萬福寺(重要文化財:江戸期) |
萬福寺は、承応3年(1654年)、中国福建省から渡来した隠元禅師が後水尾法皇や徳川四代将軍家綱公の崇敬を得て1661年に開創された中国風の寺院。日本三禅宗(臨済・曹洞・黄檗)の一つ、隠元禅師、木庵禅師、即非禅師など中国の名僧を原点とする黄檗宗の大本山です。萬福寺の建造物は、中国の明朝様式を取り入れた伽藍配置です。創建当初の姿そのままを今日に伝える寺院は、日本では他に例がなく、代表的な禅宗伽藍建築群として、主要建物23棟、回廊などが重要文化財に指定されています。 |
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萬福寺 |
漢門とも呼ばれる総門 |
放生池と三門 |
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水のせせらぎ |
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えぇなぁ〜(*^-^*) |
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有声軒(全日本煎茶道連盟)・・・ここは、非公開 |
たしかに・・・ |
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菊舎句碑 |
三門(江戸期:重文) |
隠元の書による萬福寺扁額 |
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はすの噴水 |
天王殿 |
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都七福神の一・布袋尊(弥勒菩薩坐像) |
布袋ふくろ祈願・・願いごとにちなんだ五色の袋から好きな色の袋に願い事を詰めて奉納 |
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四天王と呼ばれる四守護神 |
韋駄天(いだてん) |
仏殿(大雄宝殿:だいおうほうでん) |
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雲版(うんばん) |
法器・木魚の原型と云われる開梆(かいぱん) |
独特の香りがする中国線香 |
月台と梵檀石(ぼんだんせき/擯罰石(ひんばつせき) |
仏殿の前にある白砂の基壇を「月台」と言い黄檗建築の特徴の一つです。月台とは常に月光を受けるという意で水陸会(水陸の生物に食べ物を供養する法会)を行う時の祭壇で、その中央の長方形の石は梵檀石(ぼんだんせき)と言い行状のよくない僧侶を石上におき一切の言葉を交じわせないとされ一に擯罰石(ひんばつせき)とも言います。 |
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月台と擯罰石(ひんばつせき) |
仏殿(大雄宝殿) |
釈迦如来坐像 |
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法堂(重文:江戸期) |
中国の風情が漂う回廊 |
卍くずしの匂欄(こうらん)と仏殿 |
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・・・ |
・・・ |
三門を望む |
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中国の風情が漂う回廊と合山鐘 |
卍くずしの匂欄(こうらん)と松隠堂 |
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松隠堂(しょういんどう) |
開山堂 |
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布袋さん |
萬福寺をあとに・・・ |
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駒の蹄影園碑 |
お待たせ〜 |
・・・ |
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源氏物語ミュージアム |
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大吉山登山道(左)、さわらびの道分岐 |
[第四十七帖・総角(あげまき)]之古跡 |
与謝野晶子「宇治十帖歌碑」 |
世界文化遺産・宇治上神社 |
元は下社の宇治神社と一体で平等院の鎮守社ともいわれ明治維新までは、「離宮上社」と呼ばれていました。本殿は平安時代後期に建てられた現存するわが国最古の神社建築です。祭神は応神天皇とその皇子菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)、兄の仁徳天皇とされています。境内正面の拝殿は鎌倉初期のもので、寝殿造りの様相を伝えています。特に縋破風(すがるはふ)といわれる手法を用いた屋根の美しさは格別です。三棟の内殿を一列に並べて、共通の覆い屋で覆った特殊な形式の建物で、左右の社殿にある蟇股(かえるまた)も建築年代を示すものです。また源氏物語宇治十帖では八の宮の山荘を、平等院の向かい岸の当社辺りを想定したようです。 |
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えぇなぁ〜(*^-^*) |
世界文化遺産・宇治上神社 |
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世界文化遺産・宇治上神社 |
宇治七名水の一・「桐原水(きりはらすい)」 |
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宇治七名水の一・「桐原水(きりはらすい)」 |
拝殿(国宝:鎌倉期) |
宇治神社 |
地域の産土神(うぶずながみ)であった離宮社は、対岸に平等院が建立されると、その鎮守社としての地位も与えられました。江戸時代迄は宇治神社と宇治上神社は一対でした。この一帯は応神天皇の皇子で、宇治十帖の八宮(はちのみや)のモデルとも言われている「莵道稚郎子(うじのわきいらつこ)」の邸宅跡と考えられ、皇子の亡くなった後、邸宅跡にその霊を祭ったのが両神社の縁起と伝わります。応神天皇の離宮とも関わりがあったと思われ、「離宮社」、「離宮八幡」などと称されました。 |
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本殿(国宝:平安期) |
[第四十八帖・早蕨(さわらび)]之古跡 |
宇治神社 |
宇治と兎 |
菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)が宇治を訪ねた折、茨が生い茂り道がよくわからず困惑したとき、一羽(いちわ/一把)のウサギが現れて皇子の道案内をしたと伝える。菟道(とどう/うじ)というのはそれに因んだとも言われるのは、地名から生まれた伝承だと思われる。 |
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菟道にちなんでウサギの手水 |
参道 |
境内 |
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拝殿 |
本殿 |
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本殿 |
朝霧橋 |
宇治橋 |
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又振(またふり)社 |
ヒロイン「浮舟」と「匂宮」が小舟で宇治川に漕ぎ出す場面・・・宇治十帖モニュメントと朝霧橋 |
恵心院(えいしんいん) |
真言宗智山派の寺で平安時代の第52代・嵯峨天皇の弘仁13年(822年)、弘法大師(空海)によって開基されました。当地が大師入唐時に修行された唐の青龍寺の地形に似ていたので「龍泉寺」と号されました。中世以降の度々兵火を浴び堂宇破却したるを、寛弘2年(1005年)、比叡山横川の恵心僧都源信によって再興され、寺号を「朝日山恵心院」と改めました。江戸時代、淀藩主・永井氏の庇護を受けて伽藍の整備がなされたが、兵火を浴び寺運は哀徴しましたが真言宗の一沙門によって中興され現在に至ります。什宝(じゅうほう)に春日局が幼君・竹千代(徳川家光)の安穏祈願をした時の感謝状などを有しています。 |
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宇治川のキラメキ |
恵心院 |
弘法大師がお出迎え
(*^▽^*) |
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山門 |
境内 |
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境内からの眺め |
苑庭 |
本堂 |
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朝霧橋 |
浮島(塔ノ島) |
浮島(橘島) |
興聖寺(こうしょうじ) |