源氏物語の町・宇治おとな旅

 

麓をば 宇治の川霧 たちこめて 雲居に見ゆる 朝日山かな (新古今集)権大納言公実(きんざね)

 

寺田屋〜萬福寺塔頭・宝蔵院、宝善院〜大吉山(仏徳山)〜志津川、神女神社〜白川、白山神社〜カッパカントリーX'masイルミ

要所に地図をリンクしましたのでご参考に!(^_-)

宇治 ☆地図

京都と奈良を結ぶ交通の要衝で古来、歴史に登場した地です。水と緑豊かな美しい景観が今も残り、宇治川両岸に世界文化遺産の平等院、宇治上神社などの古社寺が佇みます。五十四帖からなる『源氏物語』の「橋姫」、「浮舟」など、最後の十帖は宇治が舞台です。宇治橋〜三室戸寺にかけて、これに因んだ石碑や石仏が建てられ古蹟を訪ね歩く人も多く、『源氏物語』の世界を体感できる源氏物語ミュージアムもあり、味わい豊かな宇治茶でも知られます。

NHKの朝ドラ・カーネーションによく出てくる酒蔵 新高瀬川左岸堤防も撮影に使われる・・ キララくんの2011年度末総点検
いつもながらM君の丁寧な点検整備中・・今年は前輪のタイヤとチューブなどを交換!(^-^)v 整備後、嵐山〜木津サイクリングロードへ
二条城の石垣に使われる予定だったと伝える鳥羽の大石 解説
 ワオッ?!\(◎o◎)/!この寒空の下でもうサクラ(ヒマラヤ桜)の花が咲いてます(@_@;) ・・・
道元禅師ゆかりの妙覚山誕生寺 ☆地図

誕生寺は久我家(道元の父・久我通親:みちちか)の旧跡と伝えられ、大正8年(1919年)、47世日置黙仙(ひおきもくせん)禅師によって曹洞宗の祖・道元禅師誕生地といわれる久我(こが:くが)に越前小松荘にあった妙覚寺の本堂を移築した為、安置されている道元御尊像、50世玄透(げんとう)即中禅師木造も全て妙覚寺のままです。昭和63年(1988年)11月、本堂や庫裡などが、完成し伽藍の整備もされました。

桂川・鴨川合流地(草津の湊) 比叡山に雪雲がかかり積雪している・・ 曹洞宗・道元生誕の地と伝える誕生寺
妙覚山誕生寺 道元禅師幼少像 ブッタカヤの仏足跡(水琴窟)
道元の父・久我通親(みちちか)供養塔 道元禅師産湯の井戸 まだまだ見ごろ(*^-^*)
本堂 桂川@久我橋 愛宕山にも雪雲がかかり積雪している・・
坂本龍馬、お龍ゆかりの幕末維新のステージ・・・旅籠・寺田屋
かつては三十石船が頻繁に出入りしていた寺田屋浜 伏見口の戦い碑
坂本龍馬とお龍が見つめる寺田屋浜@宇治川派流 ・・・
朝ドラ・カーネーションによく登場する酒蔵 島の弁天さんと呼ばれる長建寺
十石舟乗り場 近鉄京都線・澱川鉄橋(有形文化財:昭和期) 観月橋
宇治川右岸堤防 山科川合流地 山科川右岸堤防
・・・ 昔、宇治川(巨椋池)東端に位置した木幡池
最強と言われた露軍・バルチック艦隊か?!(^^ゞ 隠元橋 「黄檗開山隠元禅師渡岸之地」記念碑(功徳碑)
許波多(こわた)神社(五ヶ荘:ごかしょう) 京阪宇治線・黄檗駅 かつては隆盛を誇った黄檗新生市場
萬福寺塔頭・宝蔵院・・・墓参り 宝蔵院の甍と宇治俯瞰
まだまだ見ごろ(*^-^*) 宝蔵院開山塔
霊苑からの宇治俯瞰・・・生駒山系か 守本尊 干支の寺 萬福寺塔頭・宝善院
十二支の守り本尊と干支の逸話

十二支の守り本尊は、千手観音(子)、虚空蔵菩薩(丑、寅)、文殊菩薩(卯)、普賢菩薩(辰、巳)、勢至菩薩(午)、大日如来(未、申)、不動明王(酉)、阿弥陀如来(戌、亥)です。十二支は神様に新年の挨拶に来た順番に動物を割り当てたというもので、牛は足が遅いので早めに行ったものの一番乗りしたのは牛の背中に乗っていた要領のいいねずみ。鶏が猿と犬の間になったのは仲の悪い両者を仲裁したから。挨拶に行く日をねずみは猫に嘘を教えたので猫が十二支に入れなかった。それ以来、猫はねずみを追いかけるようになった。十二支に入れなかったイタチをかわいそうに思った神様は、毎月最初の日を「つイタチ」と呼ぶようになった。また唯一架空動物である龍を実在する動物として『パンダ』に変えるなどという話があったりするらしい・・・マジっすか(@_@;) 自分の守り本尊を拝むことによって運気が上がり無病息災に過ごせるご利益があるといわれる。

綺麗に整備されて心地よいお寺さん・・ご住職にどうぞお入りくださいと言っていただき再びのお邪魔しました。<(_ _)>
虚空蔵菩薩・・・丑年生まれ、寅年生まれ 阿弥陀如来・・・亥年生まれ、戌年生まれ 不動明王・・・酉年生まれ
大日如来・・・申年生まれ、未年生まれ 勢至菩薩・・・午年生まれ ・・・
普賢菩薩・・・巳年生まれ、辰年生まれ 文殊菩薩・・・卯年生まれ 千手観音・・・子年生まれ
生まれ年の干支守り本尊が安置される庭 黄檗宗大本山・萬福寺 ・・・
源氏物語ミュージアム さわらびの道 ・・・
・・・ 大吉山登山道(左)、さわらびの道分岐 第四十七帖・総角(あげまき)之古跡
(*^-^*) 与謝野晶子「宇治十帖歌碑」
第四十八帖・早蕨(さわらび)之古跡 えぇなぁ〜(*^-^*)
世界文化遺産・宇治上神社 ☆地図

元は下社の宇治神社と一体で平等院の鎮守社ともいわれ明治維新までは、「離宮上社」と呼ばれていました。本殿は平安時代後期に建てられた現存するわが国最古の神社建築です。祭神は応神天皇とその皇子菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)、兄の仁徳天皇とされています。境内正面の拝殿は鎌倉初期のもので、寝殿造りの様相を伝えています。特に縋破風(すがるはふ)といわれる手法を用いた屋根の美しさは格別です。三棟の内殿を一列に並べて、共通の覆い屋で覆った特殊な形式の建物で、左右の社殿にある蟇股(かえるまた)も建築年代を示すものです。

世界文化遺産・宇治上神社
立砂と拝殿(国宝:鎌倉期) うさぎのおみくじ お願い事を記す叶え雛?
宇治七名水の一・桐原水(きりはらすい) 拝殿(国宝:鎌倉期)
本殿(国宝:平安期)

覆屋(おおいや)のある本殿には、三社が収められ、祭神は向かって右が「莵道稚郎子(うじのわきいらつこ)(弟)」真中が「応神天皇(父)」、左が「仁徳天皇(兄)」とされています。それぞれ神殿としては小規模ですが、その造りは大変優雅で、神社築としては日本最古のものと伝わり、建築年代は平安時代後期と推定され国宝に指定されています。

拝殿(国宝:鎌倉期) 本殿(国宝:平安期)
えぇなぁ〜(*^-^*)
仏徳山(大吉山) ☆地図

興聖寺の山号に因んで近年に名付けられたもので、宇治上神社や興聖寺の背後にある山で朝日山の支峰とします。「万葉集」に挽歌としてかかげる菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)の歌に因んで今木の嶺ともいい、また宇治離宮桐原日桁宮址(きりはらのひけたのみやあと)に因んで離宮山、桐原山とも言われます。山頂の展望台から南を望むと眼下に平等院、宇治の街々を隔てて栗子山が前方に横たわります。

ゲゲッ(+_+) 大吉山登山ルートにはいってます・・・(^▽^;)大吉山へ・・・突撃ぃ〜o(*^▽^*)oあはっ♪
澄んだ空気と冷気が心地よい・・久しぶりのプチ山チャリo(*^▽^*)o
まだまだ見ごろの紅葉・・・山道の落ち葉をカサコソという音も心地よいo(*^▽^*)o
写真を撮る以外、展望台のあずまやまで乗車率100%で快適に上がれますが、ウォーキングの方もおられるので、安全運転!!!(*^-^*)
・・・ 周辺イラストマップ 展望台
展望台のあずまやまからの宇治市街地俯瞰・・・遠く、梅田スカイビルや六甲山系の稜線が見えてます!!!o(*^▽^*)o
平等院俯瞰 少し霞んでしまってるのが残念(~ヘ~;)
菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)の歌碑 こま札 朝日山経由で志津川へ・・・
大吉山三等三角点(点名:旭山/標高:131.80m) 朝日観音堂へ・・・ ・・・
朝日山、応神天皇の皇子・菟道稚郎子(うじのわきいらつこ) ☆地図

朝日山・・・大吉山(仏徳山)の東に聳える円錐形の優婉な山で宇治の東にあり朝日を受けるのでこの名が生じたと伝える。宇治名山の一として古来、歌に謡曲に歌われ、観月の地としても知られる。山頂には、朝日観音堂があり菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)の墓と伝える経塚があります。菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)・・・父・応神天皇の寵愛を受けて皇太子に立てられたが、異母兄・大鷦鷯尊(おおさざきのみこと、後の仁徳天皇)に皇位を譲るべく自ら果てたという美談で知られる。『山城国風土記』逸文に桐原日桁宮に住まい、応神天皇が崩じた後、大鷦鷯尊(おほさざきのみこと:仁徳天皇)と皇位を譲り合うこと3年。永らくの空位が天下の煩いになると思い悩んだ太子は互譲に決着を期すべく、自ら果てた。尊は驚き悲しんで、難波から菟道宮に至り、遺体に招魂の術を施したところ、太子は蘇生し、妹の八田皇女を献ずる旨の遺言をして、再び薨じたと伝える。菟道山上(『延喜式』諸陵寮に宇治墓)に葬られた。同墓は現在、宇治市莵道丸山の丸山古墳(前方後円墳・全長約80m)に比定され、宮内庁の管理下にあるが、この地は宇治川右岸に近接して「山上」と呼ぶには、相応しくない。

朝日観音(朝日山々頂) 朝日観音堂 朝日観音(南無観世音菩薩)
立派な五輪石塔(供養塔) 応神天皇の皇子・菟道稚郎子の墓(経塚) 石仏
石仏 朝日観音(朝日山々頂) 五重石塔(供養塔)
山頂から俯瞰・・空気が澄んでると梅田スカイビルや六甲山系稜線が見えます!!!o(*^▽^*)o ・・・
朝日山〜志津川ルート(東海自然歩道)も乗車率100%で走れますが、落ち葉でスリップしやすいので安全運転!!!
宇治川が氾濫して川沿いの道が通れない時は、この道が志津川へ行く道だったとか・・・
・・・ 道標石:左 志津川、右 天ヶ瀬 天ヶ瀬ルートは通行止め
志津川の集落・・のどかな里山の風情がえぇなぁ〜(*^-^*)
神女(しんめ/しんにょ)神社 ☆地図

志津川に住んでいた平家の落武者の子孫が祀っていた祠が幾つかあり、明治に入ってから、これらの祠を一つに合祀した神社を作り、祭神が女性であることから、「神女神社」と名付けた。安芸の宮島にある平家ゆかりの厳島神社と同じく市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)を祭神とする志津川地域の産土神です。元は志津川地域の西南にあったが明治6年(1873年)、当地に移したと伝え、八幡神と三輪明神を合祀しています。境内の背後には、俗に伊勢講山と称する巨大な岩山がそそり立ち、前方は仙郷川の渓流に臨んですこぶる幽邃に富んでいます。この社前の渓谷を竜ヶ壷といい、喜撰法師が行を営んだ所とも伝えます。昔は、奇岩、怪石が渓流に横たわり水は数丈の滝となって奔流していたと伝えるが、今は道路改修などにより往時の面影はまったく見られません

喜撰法師が行を営んだと伝える竜ヶ壷 神女神社
志津川村碑 こじんまりとした境内
龍窟水(手水) 神社裏山の大きな岸壁と遥拝所 本殿
里山の風情を醸し出している志津川
志津川をあとに・・・
天ヶ瀬ダムへ向けて快適なダウンヒルo(*^▽^*)o アッという間に7※km/hを軽く超えました〜(^^ゞ風が冷たくて寒いよ〜(^▽^;)
アッという間に・・・天ヶ瀬ダム@白虹橋 天ヶ瀬ダム、発電所ができるまで水力発電していた旧志津川発電所と天ヶ瀬ダム@白虹橋
天ヶ瀬(あまがせ)ダム ☆地図

宇治橋の上流約2.5km、宇治川天ヶ瀬に水害防止と発電の二つを主目的に建造されたダムで高さ73m、長さ254mのアーチ式ダムで2000万㎥(東京ドーム7杯分) の貯水量で下流域の洪水を防ぎ新たに発電所を設け92000kwの電力を宇治市、城陽市などに送電し併せて宇治、城陽、久御山、八幡市など山城地域へ上水道(府営)の取水口も設けられています。総工費66億円と言われ当時、我が国土木技術の粋を結集して昭和32年(1957年)〜7年半の歳月を費やして同39年(1964年)11月に一応完成しました。ダムの完成により宇治川に延々24kmに渡って一大人造湖が出現し他所に見られない水上公園とされ鳳凰湖と名付けられました。

水害防止と発電の二つを主目的に建造された天ヶ瀬ダム 宇治川下流
天ヶ瀬吊橋 宇治川左岸を疾走中・・・
白川紅葉谷(もみじだに) ☆地図

平等院より宇治川左岸を1kmばかり遡り、紅葉谷の渓流に沿って1kmばかり入った幽邃な抜けて丘陵を越えた所に静かな山あいの里、白川があります。宇治川〜白川へ抜ける約1kmの渓谷は春〜初夏の新緑、秋の紅葉の美しい所で、「もみじ谷」とも呼ばれ東海自然歩道になっています。

・・・ 紅葉谷へ・・・いきなり階段?!担ぎ上げでつ。。。(*_*)
紅葉の見ごろは、とっくに過ぎてしまって紅葉谷というより・・くれないの降葉谷かっ?!(^▽^;)
(*^-^*)
九重石塔(後冷泉帝皇后/四条皇太后・寛子供養塔/鎌倉期)

後冷泉帝皇后・藤原寛子の墓と伝えるが、供養塔として建立されたと思われています。皇后は大治2年(1127年)、92才で亡くなられ遺骸は宇治一ノ坂東辺において荼毘に附され、遺骨は木幡の浄妙寺に葬られたと伝えます。

九重石塔(四条皇太后・寛子供養塔/鎌倉期) 柚子と柿・・・美味しそう(^^ゞ (*^-^*)
白山(はくさん)神社 ☆地図

鬱蒼たる樹木の生い茂る山の中腹にある古社で8世紀後半に疱瘡が流行した際、治癒を願って創建されたと伝えますが、後に藤原頼通(ふじわらのよりみち)の娘、四条宮寛子(しじょうのみやかんし)が建立したといわれる金色院の鎮守として加賀の白山(菊理媛、伊弉奈枳命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いぎなみのみこと)の三神)を勧請しました。小社ですが古建築として見るべきものを留めています。因みに「山城史」によると当社を式内室城(むろき)神社に当てていますが、定かではありません。

金色院跡碑 白山神社・・・参道は、いきなりの急勾配な石段・・足元に注意しながらテチテチ
もと宇治離宮の建物を移築された藤原末期の様式を今に伝える田舎造のような拝殿(重文:鎌倉期)
なぜか・・砲弾二発??(@_@;) 狛砲弾?!(^^ゞ爆 本殿(室町期) 上から見ると急峻な階段がよくわかる?!
白川 ☆地図

古くは、宇治白川と呼ばれ、平等院より宇治川左岸を1kmばかり遡り、紅葉谷の渓流に沿って1kmばかり入った幽邃な山間集落です。当地は藤原頼通が早くより山荘を構え、頼通の女・寛子(後冷泉帝皇后・四条皇太后)もこの地に隠棲し、康和4年(1102年)、一宇の仏堂を造営された。本尊は大聖菩提樹院とし七間四面の堂に金箔を張り巡らし金色院と号され、奥州・藤原氏の中尊寺金色堂のモデルにもなったとも言われる。天台宗に属し、白山権現を勧請して寺の鎮守とし、他に不動堂、虚空蔵堂、経堂、弥勒堂、薬師堂、、鐘楼など多くの堂宇が建立された。その荘厳さは洛東神楽岡の菩提樹院と相並び称せられました。しかし、長禄4年(1460年)の火災後、間もなく再建されたが藤原氏の哀徴と共に幾久しからず再び荒廃しました。今は、総門や旧鎮守・白山(はくさん)神社、地蔵院に有する遺仏、遺品にありし日の金色院を偲ぶに過ぎません。

かつて金色院の堂宇が建っていた場所は今は田畑になっている。 金色院遺構の総門
白川をあとに・・・白川を訪ねる時、ほとんど人と出会わない静かな里山
・・・ 第四十九帖・宿木(やどりぎ)之古跡
宇治川の向うに見えるのは愛宕山です。 喜撰橋と浮島(塔ノ島)と大吉山
バルチック艦隊か?!(^▽^;) えぇなぁ〜(*^-^*) (*^-^*)
あじろぎの道の紅葉が最高!o(*^▽^*)o
綺麗やなぁ〜(*^▽^*)
世界文化遺産・平等院(国宝・藤原期)と源頼政 ☆地図

10円硬貨のデザインとしても有名です。宇治上神社と共に平成6年(1994年)、世界遺産登録されました。朝日山と号し元は天台・浄土兼学であったが今は単立寺院となり最勝院と浄土院によって交互に管理されています。藤原氏一族によって多くの伽藍が建立され栄華を誇りましたが藤原氏の衰退、中世以降の兵火によって多くの諸堂を失い、創建当時唯一の建物の阿弥陀堂(国宝)は、永承7年(1052年)、宇治関白・藤原頼通が、父・道長の別荘の宇治院を寺改し平等院と名付けました。鳳凰堂は翌年に阿弥陀堂として建てられ、仏師・定朝の作になる阿弥陀如来像が安置されている中堂は入母屋造り、床下の高い左右の翼廊、楼閣は宝形造、背面の尾廊で構成され正に鳳凰が両翼を広げて飛び立とうとする姿に見せています。大屋根には鳳凰が飾られ、内部は絢爛な宝相華文様や極彩色の扉絵で装飾され、御堂と池が一体化された浄土庭園は史蹟名勝庭園にも指定されあたかも極楽浄土を再現したような絢爛豪華さです。平等院と源頼政・・・平等院は「平家物語」の舞台として一般の人々に注目されました。治承4年(1180年)5月、源三位頼政が平等院に立て篭もり平家の軍勢と戦い敗れて境内の一隅に軍扇を敷き「埋もれ木の 花咲くことも なかりしに 身のなる果てぞ 悲しかりけり」と詠んで自害した事が後世の人々の同情を誘い境内に「扇の芝」、頼政が鎧を脱ぎ捨てた「鎧掛けの松」、頼政が馬を繋いだ「馬つなぎの松」、頼政塔、頼政碑も建てられました。松は枯れて現存しませんが他は現存しています。

(*^-^*) 世界文化遺産・平等院(国宝・藤原期)
平等院参道 宇治橋通り商店街
時計の電池を交換してもらった。 ・・・ 第五十四帖・夢浮橋(ゆめのうきはし)之古跡
源氏物語作者・紫式部と宇治大橋 JR奈良線・みやこ路快速が宇治川通過・・・
日暮れまでに伏見へ帰ろっ!走れ!キララくん!! o(*^▽^*)o 
宵闇が迫る夕暮れ時は寂しそう・・・風が無茶冷たくて寒いよ〜(~ヘ~;)
近鉄京都線・澱川鉄橋(有形文化財:昭和期) 黄桜カッパカントリー
自粛モードで中止されるとこが多いけど黄桜カッパカントリーのX'masイルミネーションが楽しめる!!☆⌒(*^∇゜)v
こじんまりとしていますが、光のページェントが美しい!!!o(*^▽^*)o
納屋町 大手筋

風呂屋町

Tourist.2011.12.19(M)

 

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