柳谷観音寺(楊谷寺)、浄土谷花めぐり

 

乙訓の 都は狭き 夏野かな 木母庵

 

乙訓寺〜長岡天満宮、八条ケ池〜楊谷寺(ようこくじ:柳谷観音寺)〜浄土谷(浄谷)・乗願寺(乗願寺大仏:西山の大仏)

 

乙訓(おとくに)

向日市、長岡京市、大山崎町の二市一町からなり桂川右岸に位置し京都、大阪を結ぶ交通の要所で古来、歴史の舞台となり古事記、日本書紀には「オトクニ(弟国)」という地名の由来が記されています。中でも天応4年(784年)、桓武天皇が「長岡京」に遷都し約10年間、都が置かれ戦国時代には羽柴秀吉と明智光秀が覇権を争った「天下分け目の天王山」は、あまりにも有名です。竹林が多く「かぐや姫」伝説発祥の地とも伝わり四季折々の豊かな自然と由緒ある社寺、長岡京遺蹟、古墳、城跡などの歴史的遺産に恵まれた町です。

草津の湊(桂川、鴨川合流地) 淀、八幡方面
一文橋(いちもんばし)

説明碑によれば、京と摂津(西宮)をむすぶ西国街道に架かるこの橋は、室町時代頃に造られた有料の橋でした。大雨の度に小畑川が氾濫し橋が流され、架け替え費用の負担金としてを通行人から銭一文を取り始めたのが、橋名の由来と伝えます。

一文橋 薬医門(乙訓寺) 解説
乙訓寺(おとくにじ)

大慈山と号する真言宗豊山派寺で推古天皇の勅願により聖徳太子の開創と伝わる乙訓地方最古の寺で境内には2000余株のボタンが植えられ4月下旬には華麗な大輪を咲かせ世にボタン寺とも称されています。境内から奈良時代の遺瓦を出土する為、延暦遷都以前に寺院があった事が想像されます。「水鏡」によれば延暦4年(785年)、皇太子・早良(さわら)親王は淡路島に配流される前に当寺にしばらく幽閉されたとされます。弘仁2年(811年)、弘法大師が当寺の別当に任ぜられ鎮護国家の道場となり、宇多法皇が脱履の始め当寺を行宮とされたので一に法皇寺とも号しました。弘法大師がこの寺に在住している時、伝教大師・最澄がこの寺を訪れて真言について教えを乞うたとも伝えられています。中世には禅宗南禅寺派となり応仁元年(1467年)〜文明9年(1477年)、応仁の乱の兵火により焼失衰微しましたが元禄6年(1693年)、徳川綱吉の生母・桂昌院の援助により再び真言宗として再興しました。本堂に安置される本尊合体大師像は弘法大師と八幡菩薩の合作と伝わり毘沙門堂には毘沙門天立像(重文:藤原期)を安置し明応2年(1493年)の修理銘を墨記した狛犬(室町期)が一対あります。中世を延暦13年(794年)、平安京遷都〜慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦い迄の時代範囲としています。

色とりどりの美しい大輪の花を咲かせるボタンは直射日光、風雨に大変弱く大切に育てられています・・・(^0^)ノ 見事やなぁ〜
乙訓八景の一「ぼたんの乙訓寺」・・・毎年4月下旬〜5月上旬、境内に2000余株のボタンの大輪が色とりどりに美しく咲き乱れます・・・
大切に育てられ色とりどりの大輪の花を咲かせている2000余株のボタン えぇなぁ〜 (@^▽^@)
奈良・長谷寺から取り寄せた2株のボタンが始まりと伝える2000余株のボタン
境内に咲き誇る2000余株の大輪のボタンは最高の見頃です! (^0^)ノ イェ〜 帝に献上された弘法大師所縁のミカンの木
悲運の早良親王(さわらしんのう)供養塔 本堂・・・参拝しました。
八条ケ池(長岡天満宮)

八条ケ池は、寛永15年(1638年)、当時の領主・八条宮智仁親王(桂宮)が灌漑用の溜め池を改造成した大池で八条ヶ池を二分する中堤は参道になっています。中堤道両脇に推定樹齢百数十年の霧島ツツジ(市指定天然記念物)が群生し、八条ヶ池の中堤道の真中道に架かる石の太鼓橋は加賀藩・前田公の寄進と伝えます。

薫風に泳ぐ鯉幟 (^0^)ノ イェ〜 八条ヶ池(長岡天満宮) 八重桜とツツジ
八条ヶ池(長岡天満宮) 水上橋
乙訓八景『八条ヶ池とキリシマツツジの長岡天満宮』・・・毎年、4月下旬〜5月上旬に見事な濃紅色の霧島ツツジが咲き誇ります・・・(^0^)ノ 
長岡天満宮

一に長岡天神ともいい、菅原道真を祭神とします。社伝によれぱ昌泰4年(901年)、道真が筑紫左遷時に随従の中小路祐房に与えた自画像を安置して祀った事が当社の縁起と伝えます。洛南、特に桂川流域には道真の遺蹟、伝説が多くいずれも道真の遺徳を追慕して後に作られたもので当社もその一つです。中世その沿革を明らかにしないが江戸時代に当地が八条宮(桂宮)智仁親王の領地であった関係から同宮の崇敬を受け延宝4年(1676年)、社殿を改築し霊元天皇の勅額を賜りました。現在の本殿は、昭和16年(1941年)、平安神宮の社殿を移築したものです。

管公の歌碑 境内 本殿
管公の歌碑 錦秋庭園 待機のキララくん (^0^)ノ
ツツジ 見事に咲き誇るキリシマツツジ えぇなぁ〜 (@^▽^@)
Beautiful!!!(・_・)☆ヾ(^^ ) 欧米か?!
Wonderful!!!(・_・)☆ヾ(^^ ) 欧米か?!
八条ヶ池(^0^)ノ えぇなぁ〜 (@^▽^@)
石造りの大鳥居 キララも萌ゆる? Beautiful!!!(・_・)☆ヾ(^^ ) 欧米か?!
八重桜 八条ヶ池をあとに・・・ 柳谷観音寺へ・・・R79
お待ちかね?ここから2kmの坂上り(^_^;) 爽やかな風が抜ける竹林 第一ピーク地点、あと1km(^_^;)
弥勒谷十三石仏(江戸期) 浄土谷(左)、R79:柳谷分岐点 左足捻挫中には、堪えまする(^_^;)。。。
二町石(約200m) 第二の峠ピーク地点(^◇^;) これより楊谷寺聖域 石灯篭群
楊谷寺(ようこくじ:柳谷観音寺)

立願山(一に柳岩山に作る)楊谷寺と号する西山浄土宗光明寺派の寺です。昔、山中から清泉が湧き出し眼病治癒に応験があり、井水の傍に観音像を祀ったのが当寺の起こりとされます。平安末期の承保年間(1064年〜76年)、水観(一に水願)上人の開創と伝えますが、寺伝によると京都東山清水寺開創の延鎮僧都によって、大同元年(806年)に開山され、僧都はある夜、夢の中に観音菩薩が現れ京都西山へ行けば生身の観音菩薩を仰ぐ事が出来るとのお告げを受けて西山に踏み入りました。柳の生い茂る渓谷の巌上に夢告の観音菩薩(十一面千手千眼観世音菩薩)を発見し僧都は、その場所に堂宇を建て日夜給仕しましたが、清水寺の本尊を刻む為に帰洛したとされます。後世、荒廃していたが、元禄年間に再興したとされ建物は新しいです。毎月の17日の縁日のみ阪急バスが運行され参拝者で賑わいます。庭園は京都府指定名勝、本堂、庫裡、書院、山門は京都府登録文化財に指定されています。

楊谷寺参道 (^0^)ノ 着いたどぉ〜 風神・雷神が奉られる山門(府登録文化財)
解説パネル 境内 楊谷寺俯瞰
奥ノ院・・・心して参拝させて頂きました。本尊の観音様は、西観音霊場第10番札所に指定されています・・・
眼力稲荷と愛染堂(あいりきさん) 奥の院〜本堂へ続く、あじさいの廊下は急階段 (>_<)
楊谷寺庭園(府指定名勝:江戸期)・・・柳谷浄土苑とも言われ十三石仏が安置される。 本堂(京都府登録文化財)
参拝しました・・・合掌 弘法大師(四国八十八ヶ所)お砂踏み 独鈷水(おこうすい)
独鈷水(おこうすい)

開山・延鎮僧都が清水寺に帰られた後、弘法大師が当寺に参詣した時、堂傍のたまり水でサルの親が子猿の目を一生懸命洗っていました。そして17日目に子猿の目がパッチリ開いたところを見て、弘法大師はその不思議な水を眼病に悩む人々の為に霊験あらたかな霊水にしようと、日夜加持祈祷を施し独鈷(古代インドの武器、現在は仏具)で掘り広げられました。そして大師の法力による霊験水「独鈷水(おこうすい)」が湧き出ています「独鈷水(おこうすい)」は、普段自由に汲めますが少しずつ溜められている貴重な水で、眼病平癒の霊水としても信仰を集めています。決して粗末に扱わないで汲んだ水を一度観音様にお供えしてから持ち帰るのが慣わしです。

独鈷水を頂く心得 ペットボトル(6L)に頂戴しました。m(_ _)m
鐘があるから鐘を撞く。。。 (^◇^;) ゆっくりと境内をめぐって、楊谷寺を後に・・・ 浄土谷へ・・・
快適なダウンヒル・・・ハンドリングとスリップに要注意!特にスピードの出し過ぎは、厳禁!!! ( ̄▽ ̄;)!!
恵心僧都の浄業地・浄土谷(浄谷)

海印寺より柳谷へ至る山道(R79)の中程より南へ500mばかり山中に入った山村集落で、民家は僅かに8軒(現在は?)、他に「西山大仏/乗願寺大仏」で知られる乗願寺、御谷(みたに)神社があるだけです。ここから南へ下ると尺代(大阪府三島郡島本町)に至り、東へ山道を登ると天王山頂を経て大山崎の宝寺に出ます。ハイキングコースとしてハイカーが訪ねるぐらいで、まったくの幽邃境です。浄土谷は、一に浄谷とも言い、昔、恵心僧都が閑居し浄業修行した地と伝えます。付近の山中一帯には、往時の寺院跡と思われる字名が多数残っています。釈迦堂、観音堂を始め、デンズコ、タイコンドなとがあります。東の山中には、恵心僧都の妹・安養尼が住持していたと伝える安養ヶ谷、西方には丹屋(にや)ノ谷、行道石(座禅石)があります。又、西方山上には院ノ墓と称し、天子陵と言われた古墳がありましたが、現在は所を明らかにしません。村の入口(柳谷との分岐点)には、「弥勒谷十三仏」の弥勒、大日、釈迦を始め、十三仏(江戸期)が安置され、当地が仏縁浅からぬ事を思わしめます。浄土谷が恵心僧都の浄業地であったかは別として、早くから仏徒の目をつけるところとなり、西山浄土宗の勃興によって中世以降は、多くの寺院が建立されたと思われ、楊谷寺(柳谷観音寺)もその一と思われます。江戸時代には、禁裏御預地となり、当地名産の楊梅は毎年、宮中に献上する慣わしになっていたと伝えます。

爽やかな竹林・・・(^0^)ノ 浄土谷の里山 のどかやなぁ〜 (@^▽^@) 乗願寺(乗願寺大仏:西山の大仏)
解説 1年ぶりの再会!(^0^)ノ 元気やったニャン? 境内
Beautiful!!!(・_・)☆ヾ(^^ ) 欧米か?! ハーブ種で食用可ボリジ(るりちしゃ:ルリジサ) 本堂
乗願寺大仏(西山の大仏) 気ぃつけて帰るニャン!・・・又、来るニャン!! 御谷神社
御谷神社 天王山ハイキング道 浄土谷(左)、R79:柳谷分岐点
砂防ダム池 快適なダウンヒル(^0^)ノ イェー 無事、下山・・長岡京市(^0^)ノ イェー
柳谷観音寺(楊谷寺)のある西山 \(◎o◎)/!

飛行船(^0^)ノ イェー

Tourist  2008.4.28(M)

 

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