五里五里のふる里
山背の 久世の鷺坂 神代より 春は萌りつつ 秋は散りけり (万葉集) 柿本人麻呂
寺田屋〜二子塚古墳〜神明皇大神宮〜久津川車塚古墳〜荒見神社〜大蓮寺(甘藷元祖の地)〜城陽・花の小径〜流れ橋
夜叉と寺田庄司の伝説(城陽町史) |
||
むかし、寺田に寺田庄司とよぶ人があった。その娘は幾度も結婚したが不幸にも不縁ばかりであったので、ついに尼僧となり観音寺の観音菩薩に仕えて一生を終わった。世人は、この女性を「夜叉」とあだ名をしたという。夜叉とはインドの鬼神で顔かたちが極めて悪く、しかも猛悪な神とされ仏教では毘沙門天の拳属とされている。この女性が夜叉神のような醜怪な顔であったかは定かでないが彼女の死後、観音堂の前を嫁入りの行列が通ると崇るといい、そこを避けて通ると伝えられる。この夜叉の石塔は、明治13年(1880年)まで寺田の観音寺の東南隅にあったが、この年、明治天皇が大和畝傍御陵へ参詣されるにあたり、旧奈良街道の整備が行われ、当時無住となっていた観音寺が撤去され夜叉の石搭も移転したと伝えます。(中島敏景氏談)★城陽町史より |
||
幕末維新は伏見から・・大河・龍馬伝で賑わった坂本龍馬、お龍ゆかりの旅籠「寺田屋」 ☆地図 | ||
龍馬曰く、わがなすことは我のみぞしる・・(^-^)v | 坂本龍馬像、薩摩九烈士(寺田屋騒動)の碑 | 宇治川派流 |
伏見五福の一・長建寺(弁財天/開運・商売繁盛の神) ☆地図 | ||
真言宗醍醐派の寺で東光山と号する。元禄11年(1698年)、時の伏見奉行・建部内匠頭が、中書島を開拓するにあたり深草大亀谷の多聞院を移しその姓の一字をとり長建寺と改めたと伝える。本堂に安置する本尊弁才天は、世に音楽を司る神とし古来花柳界の信仰を集めました。7月下旬の祭礼は「伏見の弁天祭」と言われます。 |
||
伏見らしい風情・・柳と酒蔵の風情は、朝ドラ・カーネーションのロケ地にもなりました。 | 島の弁天さんと呼ばれる長建寺 | |
・・・ | かつて三十石船に時を告げていた梵鐘 | 弁天型灯篭(伏見奉行・建部内匠頭奉納) |
伏見名水・閼伽水 | 弁財天が奉られる本堂 | 十石舟弁天橋乗船場 |
近鉄・京都線 | 近鉄京都線・澱川橋梁(有形文化財:昭和期) | 平戸樋門と観月橋 |
宇治川右岸堤防を宇治へ | おけいはん(京阪宇治線) | 宇治川・山科川合流地 |
・・・ | 昔、宇治川(巨椋池)東端に位置した木幡池 | |
二子塚古墳 ☆地図 | ||
京都府下最大の前方後円墳で西方寺裏にある竹藪の全長約105mの前方後円墳が宇治二子塚古墳です。大正年間に後円部が破壊されたが、前方部とその西南側に周濠と外堤が残り、往時の偉容を今に伝えている。昭和60年(1985年)の調査で、外堤の外側にもう一重の濠が存在していることが明らかとなり、京都府では数少ない二重濠をもつ古墳であることが判明。このような二重濠を持つ古墳は、仁徳陵古墳のような少数の大型古墳だけで、二子塚古墳も大王陵クラスの古墳として注目されています。宇治二子塚古墳は突如として宇治川東岸に出現した大型古墳で6世紀代の古墳としては全国有数の規模を持ち、謎も多く、継体天皇墓とみなされている今城塚古墳と形が似ている事から、継体朝の内乱時に山城地方の支配権を握った首長墓と考えられています。現在は、二子塚古墳公園として整備されて市民の憩いの場となっています。 |
||
宇治市五ヶ庄大林・二子塚古墳公園 | 解説 | |
・・・ | 京都府下最大の前方後円墳・二子塚古墳と周濠(修景池) | |
二子塚古墳 |
二子塚古墳石室基礎遺構 | 解説 |
かつて、JR西日本の4代目・新快速車両としてデビューした221系(営業Max120km)・みやこ路快速 @JR奈良線 | ||
エアー注入中!!みやこ路快速?キララくん | 京阪宇治線・黄檗駅 | 黄檗新生市場 |
アーケードの規模、店舗数など、かつては繁栄していた新生市場はシャッター市場と化しています。。。( ̄□||||!! | ||
子供たちがポーズしてくれました!(*^-^*) 萬福寺塔頭・宝蔵院・・・墓参りへ | 笠子地蔵は宝地蔵と言います。 | |
霊苑から宇治俯瞰 | 宝蔵院開山塔 | |
黄檗宗大本山・萬福寺 | ・・・ | ・・・ |
通園茶屋 | 宇治橋 ☆地図 | 旧宇治橋の三の間 |
解説 | 洛南の嵐山・・・山紫水明の風情ある宇治は源氏物語宇治十帖の舞台@宇治橋 | |
三の間 | 世界最古の恋愛小説・源氏物語作者の紫式部 | 源氏物語宇治十帖・夢浮橋古跡 |
大和街道(15号線) | 宇治らしいJR宇治駅前ゲート | JR奈良線・宇治駅(みやこ路快速停車駅) |
神明皇大神宮(しんめいこうたいじんぐう) ☆地図 |
||
神明神社は、一ノ坂を経て、大久保に至る旧奈良街道中程から南に入った神明宮西に鎮座する旧村社で、一に宇治明神と称しました。境内には伊勢の内宮と外宮を模した神明造りの社殿二宇と付近から移した末社羽拍子神社があります。社伝によると当社は、白鳳3年(674年)4月、天武天皇の詔により、栗子山に神殿を造営、市杵嶋比売命を祭神として神明神社と称えられたのが起源とされる。桓武天皇延暦13年(794年)、都を長岡京から平安京に遷され、当地が都の巽に当たるので伊勢皇大神宮を勧請。この地を宇治と号し屡々行幸された。その後延喜4年(904年)醍醐天皇の詔により新たに社殿を造営、伊勢内・外皇大神宮及び雨宮・風宮。稲倉魂命の御分霊を祭り歴代天皇が行幸されたが、南北朝の争い等により社殿は大破する等したので、康和元年(1099年)4月に現在地の洛南の景勝地であった神明山に移されたが、たび重なる兵乱により神領は減少し現代に及んでいる。境内には、宇治市名木のしゃしゃんぼ及び椎の大木が昔の名残を止めている。また、山崎の合戦に敗れた明智光秀が山階に逃れる途次隠れたと言伝えのある古井戸を藻隱池と称し現存している。(神社案内板「由緒書」より) |
||
・・・ | 神明皇大神宮・・・明智光秀が隠れ潜んだという藻隱池(古井戸)は改修工事中でした!(>▽<;; | |
弁財天 | 伊勢神宮遥拝所 | 伊勢の外宮・内宮を模した社殿 |
外宮 | JR奈良線・新田駅 | 宇治市と城陽市境界・・この先は城陽市 |
久津川車塚古墳 ☆地図 | ||
南山城屈指の前方後円墳で二重の周濠を含めた全長は約272m、墳丘部は約180mの規模でJR奈良線の線路で墳丘部を二分されています。 |
||
久津川車塚古墳 | 解説 | |
平川廃寺 ☆地図 | ||
奈良時代中頃に創建され、かつては山城国分寺に匹敵する、奈良時代の南山城地域を代表する大規模な寺院だったと推察されている。塔や金堂などの中心建物が火災で焼失し、その後、再建されることなく平安時代初期に廃絶したと見られる。文献に記載がなく寺名は地名をとって名付けられた。昭和50年(1975年)11月25日に史跡に指定された。寺域は東西約172m、南北約115mと推定されています。 |
||
平川廃寺 | 平川廃寺碑 | |
平川廃寺解説・・法隆寺式の立派な伽藍配置でした。 | ・・・ | |
・・・ | 水度神社一の鳥居 | 夜叉の石塔があった場所(寺田観音寺跡)?? |
夜叉婆さんが身投げしたとも伝える池 | 夜叉婆さんのムクノキ・・・コブの形が夜叉婆さんに見えるだろっ?!(^▽^;) | |
水度神社参道 | 六体地蔵石仏 | 夜叉婆さんの墓と伝える夜叉塚 |
荒見神社 ☆地図 | ||
平安中期に編されて「延喜式」神名帳に記されている名社です。本殿は慶長9年(1604年)の再建で三間流造、檜皮葺き、丹塗りの美しい神殿で桃山時代の建築様式を伝え重要文化財に指定されています。 |
||
奈良街道(R24号線) | 荒見神社 | |
解説 | 境内に掲げられる大きな開運招福絵馬 | 拝殿、本殿(重要文化財:桃山期) |
木津川右岸堤防道 | かなり高さのある堤防なので眺めがいい\(●⌒∇⌒●)/ | |
・・・ | R24号線近くにあるカキツバタの群生地 ☆地図 | |
今年は見頃が過ぎてしまったようです?!(>_<) | ||
場所によっては、十分に楽しめます。(^-^)v | ||
城陽の名産・イチジク畑 | かわいい花々 (*゜▽゜)/ | |
花の小径(こみち) ☆地図・・・カキツバタ えぇなぁ〜 (@^▽^@) | ||
見頃を過ぎてるけど、カキツパタの青紫と緑のコントラストに目が眩しい程、美しいだろっ?! Beautiful!! (・_・)☆ヾ(^^ ) スギちゃんかっ?欧米か?! | ||
えぇなぁ〜(*^▽^*) | ||
今もご利益があるという「雨乞い地蔵さん」 | ||
カキツバタは杜若、アヤメは菖蒲と書く!(@_@) | キララくん記念写真たぜっ、はいチーズ?!(^▽^;) | 城陽の名産・カラー |
豊富な地下水を利用したカラー栽培 | ||
見事に咲き乱れるハナショウブ・・・ショウブは菖蒲だけど、アヤメも菖蒲と書くから、花の区別と同じく難しいだろっ!?(^^ゞスギちゃんか?! | ||
ハナショウブの群生もえぇなぁ〜(*^-^*) | ||
ハナショウブ | ホワイトのハナショウブだぜ・・Beautifuだろっl!! (・_・)☆ヾ(^^ ) スギちゃんか?!欧米かっ?! | |
甘藷(サツマイモ)元祖の地・大蓮寺 ☆地図 | ||
島利兵衛は故あって琉球鬼界ヶ島に流され享保元年(1716年)に赦免され帰国に際し密に甘藷(サツマイモ)の苗を持ち帰り、青木昆陽より十数年も早く寺田の地で栽培に成功したと伝える。境内墓地近くに島利兵衛の墓所があり墓石はサツマイモを模っています。この辺りは寺田イモの産地として名を馳せています。 |
||
大蓮寺 | 境内 | 甘藷翁利兵衛墓所(甘藷元祖の碑) |
本堂 | 山背(やましろ)古道 | |
古道沿いにある風情ある家屋 | 山背(やましろ)古道 | 長池の駅碑(道標石碑) |
アル・プラザ城陽 | 近鉄・富野荘駅 | 結構な高さがある木津川右岸堤防道 |
・・・ | 近鉄京都線 | |
近鉄特急ビスターカーが通過する近鉄京都線・木津川橋梁・・・昔、この鉄橋下に木津川水泳場があった。 | ||
木津川右岸堤防道 | トトロな世界?!\(●⌒∇⌒●)/ | ・・・ |
・・・ | ・・・ | 遠くに霊峰・愛宕山の稜線が・・・ |
流れ橋が見えてきた・・・ | 路傍の地蔵尊 | |
流れ橋(上津屋橋) ☆地図 | ||
木津川に掛かる木造の橋で正しくは上津屋(こうづや)橋と言います。木津川の増水時に渡板まで水が浸かると渡板が流されますが、渡板がワイヤーで繋がれている為に水位が下がればワイヤーを引張って修復出来る橋構造になっている事から流れ橋と呼ばれています。時代劇の撮影にも利用されている橋でTV、映画で見た事があるかと思います。昭和28年(1953年)3月に架橋されて以来、平成9年(1997年)7月までに通算15回も被災(流失)し9/20現在、増水で被災した為に通行止めになっています。 |
||
時代劇のロケ地でも知られる木津川に架かる全長356m、幅3mの日本最長級の木造橋・流れ橋(上津屋橋:こうづやばし) | ||
自然風景に溶け込んだ橋は、時代劇のロケーションに利用され、河川敷に広がる茶畑と相まって、詩的な風情ををかもしだしている。 | ||
現在、流れ橋の実用的価値は減ったものの、木津川堤防のサイクリングロードとともに、近隣の人々の格好の憩いの場となっている。 | ||
藤田まことが寄贈した流れ橋の石碑 | 流れ橋全景 | 木津川右岸堤防 |
第二京阪道(阪神高速8号線)側道 | 久御山JCT | 第二京阪道(阪神高速8号線) |
・・・ | 夕暮れの帳が迫る西山の稜線 | ツバメのねぐらで知られる広大な宇治川河川敷 |
第二京阪道(阪神高速8号線)巨椋大橋 |
アイスクリンなどゲッツ!(*゜▽゜)/ |
朝ドラ・カーネーションに登場していた酒蔵 |
Tourist.2012.5. |