坂本龍馬避難の材木小屋跡 |
慶応2(1866)年1月24日未明、薩長同盟を締結した坂本龍馬が、長州藩・三吉慎蔵と寺田屋に潜んでいるところを伏見奉行配下の役人に取り囲まれた。入浴中だったお龍が、不穏な気配を察知し裸のまま二階の龍馬に危機を知らせ龍馬はピストルで応戦。三吉は槍を構えて戦いましたが龍馬は両手首を切られてしまい負傷した龍馬を肩に掛け、裏口の物置を抜けて、隣家の戸を破り小路に出て逃走した。三吉は途中の寺に探索者がいるのに気付き、方向転換して濠川端の材木小屋に忍び込み、龍馬をその小屋に置いて濠川上流の伏見薩摩藩邸に駆け込みました。龍馬が潜んだという西浜の材木小屋は濠川の左岸南方(村上町)にあったと伝える。 |
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坂本龍馬避難の材木小屋跡 |
坂本龍馬避難の材木小屋跡碑 |
菜の花と酒蔵 |
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羽束師橋と西山連峰 |
草津の湊(桂川、鴨川合流地) |
長岡京市へ・・・ |
一文橋(いちもんばし) |
説明碑によれば、京と摂津(西宮)をむすぶ西国街道に架かるこの橋は、室町時代頃に造られた有料の橋でした。大雨の度に小畑川が氾濫し橋が流され、架け替え費用の負担金としてを通行人から銭一文を取り始めたのが、橋名の由来と伝えます。 |
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一文橋(小畑川) |
薬医門(乙訓寺) |
待機のキララちゃん(^▽^;) |
乙訓寺(おとくにじ) |
大慈山と号する真言宗豊山派寺で推古天皇の勅願により聖徳太子の開創と伝わる乙訓地方最古の寺で境内には2000余株のボタンが植えられ4月下旬には華麗な大輪を咲かせ世にボタン寺とも称されています。境内から奈良時代の遺瓦を出土する為、延暦遷都以前に寺院があった事が想像されます。「水鏡」によれば延暦4年(785年)、皇太子・早良(さわら)親王は淡路島に配流される前に当寺にしばらく幽閉されたとされます。弘仁2年(811年)、弘法大師が当寺の別当に任ぜられ鎮護国家の道場となり、宇多法皇が脱履の始め当寺を行宮とされたので一に法皇寺とも号しました。弘法大師がこの寺に在住している時、伝教大師・最澄がこの寺を訪れて真言について教えを乞うたとも伝えられています。中世には禅宗南禅寺派となり応仁元年(1467年)〜文明9年(1477年)、応仁の乱の兵火により焼失衰微しましたが元禄6年(1693年)、徳川綱吉の生母・桂昌院の援助により再び真言宗として再興しました。本堂に安置される本尊・合体大師像は弘法大師と八幡菩薩の合作と伝わり毘沙門堂には毘沙門天立像(重文:藤原期)を安置し明応2年(1493年)の修理銘を墨記した狛犬(室町期)が一対あります。★中世を延暦13年(794年)、平安京遷都〜慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦い迄の時代範囲としています。 |
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乙訓八景の一「ぼたんの乙訓寺」・・・毎年4月下旬〜5月上旬、境内に2000余株のボタンの大輪が色とりどりに美しく咲き乱れます。o(*^▽^*)o |
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奈良・長谷寺から取り寄せた2株のボタンが始まりと伝える2000余株のボタン |
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白色、黄色のボタンは遅咲きの為、見頃時には開花せず人目につかないから珍しいと思われるとか・・・ |
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ボタンの大輪が色とりどりに美しく咲き乱れて綺麗やんか〜 |
仏石塔 |
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十三重石塔 |
悲運の早良親王(さわらしんのう)供養塔 |
弘法大師修行像 |
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ツツジも綺麗 |
色とりどりの大輪の花を咲かせる境内のボタン |
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本尊・合体大師像が祀られる本堂・・・参拝しました。 |
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美しい大輪の花を咲かせるボタンは直射日光、雨風に大変弱く大切に育てられています・・・ |
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ボタンを世話をしている方にシャクヤクに接木をしているから時々、シャクヤクも咲くので切り落としていると伺いました。 |
八条ケ池(長岡天満宮)と霧島ツツジ |
八条ケ池は、寛永15年(1638年)、当時の領主・八条宮智仁親王(桂宮)が灌漑用の溜め池を改造成した大池で八条ヶ池を二分する中堤は参道になっています。中堤道両脇に推定樹齢百数十年の霧島ツツジ(市指定天然記念物)が群生し、八条ヶ池の中堤道の真中道に架かる石の太鼓橋は加賀藩・前田公の寄進と伝えます。 |
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帝に献上された弘法大師所縁のミカンの木 |
八条ヶ池@長岡天満宮 |
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名残の八重桜 |
八条ヶ池と霧島ツツジ |
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待機のキララくん |
乙訓八景『八条ヶ池とキリシマツツジの長岡天満宮』 |
長岡天満宮 |
一に長岡天神ともいい、菅原道真を祭神とします。社伝によれぱ昌泰4年(901年)、道真が筑紫左遷時に随従の中小路祐房に与えた自画像を安置して祀った事が当社の縁起と伝えます。洛南、特に桂川流域には道真の遺蹟、伝説が多くいずれも道真の遺徳を追慕して後に作られたもので当社もその一つです。中世その沿革を明らかにしないが江戸時代に当地が八条宮(桂宮)智仁親王の領地であった関係から同宮の崇敬を受け延宝4年(1676年)、社殿を改築し霊元天皇の勅額を賜りました。現在の本殿は、昭和16年(1941年)、平安神宮の社殿を移築したものです。 |
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毎年、4月下旬〜5月上旬に見事な濃紅色の霧島ツツジが咲き誇ります。\(●⌒∇⌒●)/ |
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見事に咲き誇る霧島ツツジ |
加賀藩・前田公寄進の太鼓橋 |
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水上橋 |
南側はピークを過ぎて落下盛ん!(~ヘ~;) |
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ツツジも綺麗
(*^-^*) |
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菅公の歌碑 |
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手水舎 |
書道上達を願う筆塚 |
拝殿 |
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物集女(もずめ)街道を嵐山へ北上ing・・・気温30℃近く(;´д`)ゞあちぃ |
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勤皇家殉難之跡 |
明智川とも呼ばれる小畠川は今は洛西西幹線用水路 |
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こま札 |
唯一現存する郷倉 |
こま札 |
樫原陣屋跡 |
一に本陣ともいわれ江戸時代に山陰街道を往来した諸大名がしばし宿舎とした所で今も当時の遺構を残しています。奥の間は「上段の間」とされ他の座敷より床を20cmばかり高くし床、違棚を設けた書院造でそれに続く玄関の間六畳(現在は部屋に改造)及び八畳、六畳の控えの間があり表には乳門と称する玄関門があり他に大名が宿泊した時の寄帳(宿帳)、関札など往時を偲ぶ古文書を蔵します。 |
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虫籠窓や街道を往来する旅人が休息した?バッタリ床机のある旧家 |
樫原宿の風情が残る山陰街道 |
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伏見宿に本陣が現存しない今日、この住宅は市内で唯一残る本陣遺構の樫原陣屋跡 |
こま札 |
維新殉難志士の墓 |
元治元年(1868年)の蛤御門の変(禁門の変)で敗れ、樫原札の辻で小浜藩兵に討たれた長州集議隊士・楳本僊之助と相良頼元、新八郎(薩摩藩を脱藩し宇都宮兵と共に長州藩に参戦)の三人らの墓で、街道に放置された亡骸を村人たちが手厚く葬ったと伝える。 |
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維新殉難志士の墓・・・静寂な竹林に3つの墓碑が、ひっそりと並んでいる。 |
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こま札 |
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愛宕常夜灯と道導石 |
こま札 |
三の宮神社お旅所 |
天皇の杜古墳 |
南北を主軸とする前方後円墳で墳上には老杉、巨桧が生い茂り森厳さが漂っています。江戸時代に文徳天皇陵いわれ地名もこれに因み御陵(みささぎ)村といわれたが付近の平尾山に貞観4年(862年)、藤原良縄(よしただ)が文徳天皇の菩提を弔う為に建立した真如院という寺があった事から係る伝説が生じたとされます。桓武天皇夫人従三位・藤原吉子(伊予親王生母)を葬った大岡墓は当古墳ではないかという説があります。 |
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天皇の杜古墳 |
嵐山へ・・・ |
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阪急嵐山線 |
保津川下りの舟が・・・(@_@) |
松尾大社 |
松尾大社 |
大山咋神(おおやまくいのかみ)、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと/中津島姫命(なかつしまひめのみこと)を祭神とする旧棺幣大社で京都最古の神社の一です。文武天皇の大宝元年(701年)、秦忌寸都里(はたのいみきとり)が松尾山大杉谷の磐座(いわくら)の神霊を勧請し社殿を造営しその女・知満留女(ちまるめ)を斎女として奉仕させたのが当社の起源で代々秦氏が奉祀しました。平安遷都後、賀茂社と供に王城鎮護神となり賀茂の厳霊、松尾の猛霊と東西並び称されました。大山咋神(おおやまくいのかみ)は上賀茂神社の祭神・賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)の父神とされ賀茂社とは姻戚関係にあり延喜の制には名神大社となり二十二社の制には第四に班し中世を通して上七社の一に列せられる有数の大社です。寛弘元年(1004年)、一条天皇の行幸以来歴代の行幸、行啓すこぶる多く中世以降は酒造の神として崇敬が篤く氏子地域は京都市の1/3にも及びます。 |
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二の鳥居 |
こま札 |
松尾大社は関西一の山吹の名所 |
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左右に随神を配置した楼門 |
境内には約3,000株の山吹が植えられている。 |
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境内を流れる一ノ井川のほとりの山吹も
えぇなぁ〜o(*^▽^*)o |
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亀さんの手水 |
撫で亀さん |
こま札 |
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境内 |
♪♪v(⌒o⌒)v♪♪イエーイ |
御神水「亀の水」 |
御神水「亀の水」 |
大杉谷の崖下から湧出する清泉でこの水を醸造の時に加えれば酒が腐敗しないと伝わり古来醸造家が汲んで持ち帰る慣わしがあり当社の信仰はこの井泉によるものです。亀の井とは松尾神の神使いが亀である事に因りますが神の井に通じます。清泉は飲料水として古代住民にとって神の水で水を求めて聚落が営まれ当社を始め松尾に座す水の神であったのが大山咋神(おおやまくいのかみ)を信奉する信者によって斉い込められ本来の神格が失われたと考えられています。 |
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御神水「亀の水」 |
滝御前 |
天狗に見えるかな?・・・天狗岩 |
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天狗岩の紹介パネル |
神遣いの庭 |
渡月橋 |
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山紫水明な嵐山の風情 |
竹林 |
落柿舎 |
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土佐四天王像と再会!!!・・・左から吉村寅太郎、武市瑞山(半平太)、坂本龍馬、中岡慎太郎 |
解説 |
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二尊院 |
侘びな風情の愛宕街道(町並み保全地区) |
月が渡るの如く・・・渡月橋 |
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渡月橋と愛宕山 |
えぇなぁ〜(*^▽^*) |
サイクリングロード |
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愛宕山 |
・・・ |
阪急・京都線 |
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特急が疾走していきます・・・ |
久世橋 |
桂川 |
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・・・ |
新油小路 |
酒蔵 |
Tourist
2010.5.03(M) |