洛南〜洛西の紅葉めぐり
月影の いたらぬ里は なけれども ながむる人の こころにぞすむ 法然上人
八幡・背割堤〜善法律寺〜長岡京・勝龍寺城公園〜長岡天満宮、八条ケ池〜善粟生光明寺〜乙訓寺 ※要所に地図をリンクしましたのでご参考に!(^_-) |
大手筋 | 伏見城の外堀だった濠川 | ・・・ |
NHKの朝ドラ・カーネーションによく出てくる伏見百景の酒蔵 | 新油小路 | |
坂本龍馬非難の材木小屋跡碑 | 濠川左岸 | |
宇治川派流左岸 | 濠川、宇治川派流合流?分流??地点に架かるであい橋 | |
であい橋 | 濠川 | 宇治川派流 |
伏見港へ流れる宇治川派流 | 角倉了以水利功碑(旧高瀬川合流地点) | 旧高瀬川と宇治川派流合流地 |
角倉了以が開削した旧高瀬川 | であい橋と宇治川派流 | 伏見港公園へ・・・ |
伏見港公園 | 三栖閘門 | |
三栖閘門前扉 | 三栖閘門閘室と後扉 | 昭和初期の土木遺産・三栖閘門解説 |
宇治川 | 三栖洗堰と宇治川合流地 | 京阪電車・中書島駅 |
宇治川派流 | 「京姫」蔵元・京姫酒造(山崎町本陣跡)・・日本酒が美味しい季節になりました〜!!♪v(⌒o⌒)v♪ | |
草津の湊 | ||
下鳥羽は、古くは草津と言い木津、今津とも言われ船で西国に赴く人達の乗船地で道路交通上重要な遺跡地です。延喜元年(901年)、太宰府へ流された菅原道真、「平家物語」によれば保元元年(1156年)、讃岐国(香川県)へ流された崇徳上皇、治承4年(1180年)、厳島神社へ行幸の高倉天皇、建永2年(1207年)、法然上人が讃岐国へ流された時も当地より乗船したと伝わります。又、瀬戸内海の鮮魚などが陸揚げされ都に運ばれた水路、陸路交通の中継地として重要だった河川港でした。 |
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草津の湊(桂川・鴨川合流地) | 羽束師橋 | 嵐山〜木津サイクリングロード |
魚市場跡碑 ☆地図 | ||
明治10年(1877)まで生魚市場として賑わった横大路魚市場の記念碑で大正8年(1919年)4月、大橋家が的場正三郎の撰文により建てたものです。現在の碑は台風で倒壊した原碑を復元し昭和60年(1985年)に新たに建立されました。 |
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魚市場跡碑 | 舟のりば跡碑(草津の湊)、柳谷観音道標碑 | |
・・・ | 畑が広がる | ・・・ |
・・・ | 戊辰役東軍戦死者埋骨地(愛宕茶屋碑) | ・・・ |
・・・ | 自転車事故??・・N小の耐寒マラソンでトラブルがあったらしい・・大事に至りませんように | |
・・・ | ・・・ | ・・・ |
洛南随一の桜並木・背割堤 ☆地図 | ||
宇治川と木津川の合流地点迄、約1.4kmの堤に約250本の桜並木(ソメイヨシノ:バラ科)が続きます。京阪電車の車窓からも美しい桜並木を見る事ができます。目の前に広がる桜のトンネルは格別で桜花とホトトギスなど野鳥のさえずりに包まれた桜の花繚乱の見事さは、洛南随一だと思います。昭和50年代始めまで松並木で「山城の橋立」と称されていましたが害虫被害で松が枯れ昭和53年(1978年)3月、当時の建設省が桜(ソメイヨシノ)に植え替えて今日に至っています。府道・京都守口線(旧国道1号線)の御幸橋(ごこうばし)から下流方向に1.4kmの桜並木になっています。ソメイヨシノ約250本、ハナミズキ52本が植栽されています。 |
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御幸橋(宇治川) | 宇治川と背割堤 | 洛南随一の桜並木で有名な背割堤 |
俳人・荷兮(かけい)、基角(きかく)の歌碑 | 洛南随一の桜並木・背割堤 | |
毎年の春に約250本の桜(ソメイヨシノ:バラ科)が満開になり訪れる人々を楽しませてくれる。♪♪v(⌒o⌒)v♪♪ | ||
背割堤入口〜西端まで約1.4km続く桜並木 | ||
天王山 | 山上の酒解神社の鳥居が見える! | キララくん♪♪v(⌒o⌒)v♪♪@背割堤西端 |
昭和50年代始めまで見事な松並木で「山城の橋立」と称されていましたが害虫被害で松が枯れてしまった・・・ | ||
昭和53年(1978年)3月、当時の建設省が桜(ソメイヨシノ)に植え替えて今日に至っています。 | ||
春には見事な桜並木になって楽しませてくれますが・・今は紅葉も終わり冬枯れ並木です。 | ||
木津川と見事な桜並木で知られる背割堤 | 御幸橋(木津川) | |
・・・ | 男山 | 石清水八幡宮 |
風情ある八幡銘菓・走井餅老舗 | 能蓮法師歌碑@放生川(大谷川)畔さざなみ公園 | |
八幡八景の一・安居橋(あんごばし:通称「たいこ橋」) | ||
昔の風情を残す町並み | ||
相槌神社 | 今も湧き出ている八幡五水の一「山ノ井戸」 | |
松花堂昭乗の筆「下馬石」(石清水八幡宮参道口) | 松花堂昭乗所縁の泰勝寺(昭乗墓所) | |
φ(..)メモメモ | 昔の風情を残す町並み | |
善法律寺 ☆地図 | ||
石清水八幡宮社務職を務めた善法寺家清が正嘉年間(1257〜58年)に私家を捨て建立した律宗(唐招提寺派)の寺。本堂は八幡宮にあった旧社殿を移築したと伝え、本尊・阿弥陀如来像始め不動明王坐像、愛染明王(鎌倉期)、僧形八幡坐像(吉野期)を安置し他に八幡宮の旧坊舎の遺仏を多数有しています。善法寺家は田中、新善法寺両家と共に当地の旧家ですが通信の女・良子が足利詮に嫁して三代将軍・足利義満を生んで近親関係となり足利将軍もしばしば来訪し寺も足利氏の保護を受け隆盛しました。境内には良子が寄進したと伝える多くの楓樹があり一に紅葉寺とも言われ池畔には大乗院にあった見事な五輪石塔(鎌倉期)が一基あります。 |
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善法律寺 | 解説 | (*^-^*) |
紅葉のグラデーションが美しい!(*^-^*) | ||
(*^-^*) | 本堂 | |
陸軍大将・乃木希典(まれすけ)筆の忠魂碑 | えぇなぁ〜(*^-^*) | |
見ごろを過ぎていますが、紅葉寺と称されるだけの美しさ(*^-^*) | ||
(*^-^*) | 大乗院にあった見事な五輪石塔(鎌倉期)と石仏 | |
ワタリガニ出水のクリームスパキで〜す?!・・・綺麗やなって言うてます!(^▽^;) | ||
よろしいなぁ〜(*^-^*) | ||
Beautiful〜!!!(・_・)☆ヾ(^^ ) 欧米か?! | ||
Deep Impact!!!(・_・)☆ヾ(^^ ) 欧米か?! | ||
名物メニューがある町の食堂(^^♪ | おけいはん(京阪電車)八幡市駅 | |
男山遠望 | 御幸橋(木津川) | |
背割堤と天王山@御幸橋(木津川) | 御幸橋(宇治川) | 嵐山〜木津サイクリングロード |
西山の稜線 | 京滋バイパス | 478号線天王山大橋・・大山崎町へ入りました |
・・・ | ・・・ | 京都ダイハツ工場 |
小畑川左岸を勝龍寺城へ | 勝龍寺城大門橋 | |
勝龍寺(しょうりゅうじ)城公園 ☆地図 | ||
戦国時代、明智光秀の三女・玉(細川ガラシャ)が、細川忠興(ただおき)に嫁いだ城としても知られる勝竜寺城は暦応2年(1339年)、細川頼春によって築城され応仁の乱時に畠山義就が攻略し拠城としたが永禄11年(1568年)、織田信長の近畿平定により細川藤孝の攻撃により落城したが藤孝はこの時の武功により長岡の荘地を賜り城を修築しました。天正10年(1582年)6月13日、山崎の合戦に明智光秀が当城を本陣として秀吉勢を迎え撃った為、城は兵火により荒廃してからは再建されませんでした。平成4年(1992年)、勝竜寺城跡公園として整備され毎年11月に「長岡京ガラシャ祭」が開催されています。 |
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勝龍寺城公園の城壁と堀 | ||
勝龍寺城縄張り図など解説パネル | ||
勝龍寺城公園 | ||
(*^-^*) | ガラシャおもかげの水・・玉(ガラシャ)が姿見をしたと伝える井水 | |
細川忠興(ただおき)と玉(ガラシャ)夫婦像 | 東辺土塁と多聞櫓への階段 | こま札 |
東辺土塁と多聞櫓 | こま札 | |
公園内 | 城壁と堀 | 城門 |
石仏祠(鎌倉〜桃山期?) | 北門跡 | こま札 |
オ〜マイガットツギャザーツギャキ〜?!・・・とっても綺麗やって言うてます?!(^▽^;) | ||
(*^-^*) | 沼田丸への通路 | こま札 |
(*^-^*) | 沼田丸跡 | |
城堀 | 沼田丸への通路 | 公園内 |
えぇなぁ〜(*^-^*) | ||
資料館に展示されている様々な展示品 | ||
勝龍寺城公園パノラマ | 資料館内 | |
よろしいなぁ〜(*^-^*) | ||
キララくん次へ行こっか?! | 明智光秀三女・玉お輿入れの勝龍寺城 | 村田製作所本社ビル |
村田製作所本社 | 動輪のモニュメント | 江戸時代の勝龍寺城本丸跡 |
かつては神足駅と称したJR長岡京駅 | 説明パネル | |
221系普通電車 | 下り223系新快が通過・・・ | 上り223系新快が通過・・・ |
221系普通電車が停車 | 関空特急はるかが通過 | X'masツリー |
長岡天満宮 ☆地図 | ||
一に長岡天神ともいい、菅原道真を祭神とします。社伝によれぱ昌泰4年(901年)、道真が筑紫左遷時に随従の中小路祐房に与えた自画像を安置して祀った事が当社の縁起と伝えます。洛南、特に桂川流域には道真の遺蹟、伝説が多くいずれも道真の遺徳を追慕して後に作られたもので当社もその一つです。中世その沿革を明らかにしないが江戸時代に当地が八条宮(桂宮)智仁親王の領地であった関係から同宮の崇敬を受け延宝4年(1676年)、社殿を改築し霊元天皇の勅額を賜りました。現在の本殿は、昭和16年(1941年)、平安神宮の社殿を移築したものです。 |
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長岡天満宮 | 八条ヶ池 | |
八条ヶ池 | 紅葉するキリシマツツジ | |
毎年、4月下旬〜5月上旬に見事な濃紅色の霧島ツツジが咲き誇ります。\(●⌒∇⌒●)/ | 八条ヶ池 | |
加賀・前田候寄進の太鼓橋 | (*^-^*) | |
よろしいなぁ〜(*^-^*) | 菅公頌徳詩(かんこうしょうとくし)碑 | |
菅公頌徳詩(かんこうしょうとくし)解説 | (*^-^*) | |
ワタリガニ出水のクリームスパキで〜す?!・・・綺麗やなって言うてます!(^▽^;) | ||
紅葉庭園『錦景苑』・・・オ〜マイガット出水ツギャッキ〜・・・えぇなぁ〜って言うてます?!(^▽^;) | ||
爽健出水の美茶樹で〜す?!・・・よろしいなぁ〜って言うてます?!(^▽^;) | ||
(*^-^*) | 菅公の歌碑 | 境内 |
(*^-^*) | 書道上達を願う筆塚 | 本殿 |
なでウシさん・・ウシさんですが、シカとなでなで・・(^^ゞどもども | (*^-^*) | |
参拝しました・・・ | ・・・ | ・・・ |
粟生光明寺(あおうこうみょうじ) ☆地図 | ||
報国山と号する西山浄土宗の総本山で粟生光明寺と称され法然上人の廟所がある所として最も重んぜられています。法然上人の廟所は初め東山大谷にあったが安貞元年(1227年)、比叡山の僧徒が墓を暴き、遺骸を加茂川に流そうと画したので遺弟らによって遺骸を太秦・来迎院に移し、次いで当地において荼毘に付した。遺骨を納めて宗廊を築く時、法然上人の石棺から光明を放ち光明寺と名付けたと伝えます。当地は法然の徒弟・熊谷蓮生房(俗名・次郎直実)が建久年間(1190〜98年)、一宇の草庵を結び、念仏三昧院と号し浄土往生を広めた所で、後に蓮生の徒弟・幸阿弥陀仏(こうあみだぶつ)に付与され、更に西山証空上人が入寺するに及んで西山派の根本道場となりました。当地は小塩山の支峰・鳥ヶ嶽麓に広大な地を占め、本堂以下多くの建物を有しますが、いずれも江戸時代以降の建造物です。 |
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粟生光明寺へ・・・ | 浄土門根元地、西山浄土宗大本山・粟生光明寺 | |
解説 | 高麗門 | 男坂とも言われる参道の石段 |
こちらは女坂 | (*^-^*) | 男坂とも言われる参道の石段 |
(*^-^*) | ・・・ | ・・・ |
御影堂(本堂) | ||
宝暦3年(1753年)に再建された光明寺の中心となる本堂で、本尊は法然上人自作の「張り子の御影」。法然上人が75才の時、「建永の法難」と呼ばれる弾圧で四国へ流罪になった時、弟子たちの願いに応えて、大切にしていた母君からの手紙を張り合わせて自らの姿を像に作り形見として与えたと伝える。 |
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(*^-^*) | 法然上人像と法然上人の「張子の御影」を祀る御影堂(本堂) | |
法然上人袈裟祇之松 | 法然上人石棺 | えぇなぁ〜(*^-^*) |
美しい紅葉のグラデーション | ||
童地蔵 (´ー`) | (*^-^*) | 参拝しました・・・ |
・・・ | 法然上人荼毘跡 | 勅使門 |
よろしいなぁ〜(*^-^*) | ||
Beautiful〜!!!(・_・)☆ヾ(^^ ) 欧米か?! | ||
Deep Impact!o(*^▽^*)o | ||
えぇなぁ〜 (@^▽^@) | ||
美しいなぁ〜 (@^▽^@) | ||
Wonderful〜! (・_・)☆ヾ(^^ ) 欧米か?! | ||
冥界の裁判官・閻魔大王 | 光明寺をあとに・・・ | のどかやな〜(*^-^*) |
長法(ちょほう)寺七ツ塚古墳 ☆地図 | ||
100mに渡って点々と大小7つの円墳が並んでいたので俗に七ツ塚と言われました。刀剣、玉類を出土しましたが宅地開発により一、二、六、七の四塚が破壊され三、四、五の三塚しか現存していません。 |
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長法寺七ツ塚古墳(三、四、五号塚古墳) | ||
乙訓寺(おとくにじ) ☆地図 | ||
大慈山と号する真言宗豊山派寺で推古天皇の勅願により聖徳太子の開創と伝わる乙訓地方最古の寺で境内には2000余株のボタンが植えられ4月下旬には華麗な大輪を咲かせ世にボタン寺とも称されています。境内から奈良時代の遺瓦を出土する為、延暦遷都以前に寺院があった事が想像されます。「水鏡」によれば延暦4年(785年)、皇太子・早良(さわら)親王は淡路島に配流される前に当寺にしばらく幽閉されたとされます。弘仁2年(811年)、弘法大師が当寺の別当に任ぜられ鎮護国家の道場となり、宇多法皇が脱履の始め当寺を行宮とされたので一に法皇寺とも号しました。弘法大師がこの寺に在住している時、伝教大師・最澄がこの寺を訪れて真言について教えを乞うたとも伝えられています。中世には禅宗南禅寺派となり応仁元年(1467年)〜文明9年(1477年)、応仁の乱の兵火により焼失衰微しましたが元禄6年(1693年)、徳川綱吉の生母・桂昌院の援助により再び真言宗として再興しました。本堂に安置される本尊合体大師像は弘法大師と八幡菩薩の合作と伝わり毘沙門堂には毘沙門天立像(重文:藤原期)を安置し明応2年(1493年)の修理銘を墨記した狛犬(室町期)が一対あります。 ★中世を延暦13年(794年)、平安京遷都〜慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦い迄の時代範囲としています。 |
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解説 | のどかやな〜(*^-^*) | 薬医門(乙訓寺) |
こま札 | \(●⌒∇⌒●)/ | |
(*^-^*) | 奈良・長谷寺から取り寄せた2株のボタンが始まりと伝える | |
仏石塔と供養塔 | 弘法大師 | 冬枯れのボタンと本堂 |
綺麗やな〜\(●⌒∇⌒●)/ | ||
帝に献上された弘法大師所縁のミカンの木 | こま札 | |
悲運の早良親王(さわらしんのう)供養塔 | えぇなぁ〜 (*^-^*) | |
・・・ | 阪急電車 | ・・・ |
桃太郎と呼ばれるEF210形が高速で牽引する貨物列車、オーシャンアローが通過・・・ | サンダーバードが通過・・・ | |
221系快速が通過・・・ | 207系普通電車が通過・・・ | 223系新快速が通過・・・ |
223系新快速が通過・・・ | サンダーバードが通過・・・ | 外環状線 |
羽束師橋 | 鴨川 | 西山の夕暮れ |
嵐山〜木津サイクリングロード | 納屋町商店街 | 風呂屋町商店街 |
Tourist.2011.12.12(M) |